「日産スカイラインフェスティバル2012」
2012.07.10 画像・写真2012年7月8日、静岡県小山町の富士スピードウェイで「日産スカイラインフェスティバル2012」が開かれた。今回で3回目となるこのイベントは、新旧「スカイライン」および「GT-R」のオーナー&ファンの大同窓会。2代目となる型式名「S50」から現行「V36」および「R35」まで、300台以上の歴代モデルが全国から集まった。レースで鍛えられたクルマであるスカイラインのサーキットイベントとあって、プログラムは当然ながら走りが中心である。家族や仲間を乗せ、ペースカーが先導してのファミリー走行から、ヘルメット着用が義務づけられたスポーツ走行、D1ドライバーによるドリフトデモンストレーション、締めくくりのエントリー全車両によるパレード走行まで、一時は降雨の影響でコースコンディションが悩ましい時間帯もあったが、ほぼ一日走りっぱなしだった。エキゾーストノートが途切れることがなかった会場から、リポーターの印象に残ったマシンおよびシーンを紹介しよう。(文と写真=沼田 亨)

グループA時代の全日本ツーリングカー選手権で、デビューした1990年から最終年度となる93年までの全29戦で29連勝、29ポールポジションという偉業を成し遂げた「R32 GT-R」やレーシング仕様の「ハコスカGT-R」が並んだホームストレート上で行われたグリッドウォーク。これらのマシンはすべてレプリカだが、いずれも出来栄えはお見事。この後、パレードも披露した。
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グループA時代の全日本ツーリングカー選手権で、デビューした1990年から最終年度となる93年までの全29戦で29連勝、29ポールポジションという偉業を成し遂げた「R32 GT-R」やレーシング仕様の「ハコスカGT-R」が並んだホームストレート上で行われたグリッドウォーク。これらのマシンはすべてレプリカだが、いずれも出来栄えはお見事。この後、パレードも披露した。
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こちらはピットに展示されていたホンモノのレーシングマシン。手前から2002年全日本GT選手権用の「R34 GT-R」、1995年スーパー耐久選手権用の「R33 GT-R」、1990年全日本ツーリングカー選手権(グループA)のチャンピオンマシンである「R32 GT-R」、そして1972年の東京モーターショーに展示されただけで、一度もサーキットを走らなかった通称「ケンメリ」こと4代目スカイラインの「2000GT-R」(KPGC110)。
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こちらは『西部警察』マニアの手になる劇中車のレプリカ。手前から通称「ジャパン」こと5代目「スカイライン」(C210)がベースの「マシンX」、2代目「フェアレディZ」(S130)をガルウイング化した「スーパーZ」、6代目「スカイライン」(R30)ベースの「マシンRS」、そしてシブ〜い5代目「セドリック・セダン」(430)の捜査車両。これら4台もメインコースをパレードした。
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午前中に行われたファミリー走行の終盤に落ち始めた雨は、スポーツ走行が始まるころには本降りとなった。たちまちフルウエットになったコースを行く後期型「R33 GT-R」だと思うが、ちょっと顔つきが違うような? 詳しい方にご教示いただきたいところだが、それはともかく、ドライバーはバッドコンディションのなか、カウンターステアをあてながらけっこうなペースで巧みに操っていた。
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水しぶきを上げながら、それでも(外から見ている限りでは)ビシッと直進していく、社外のエアロパーツで武装した「R35 GT-R」。
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天候は目まぐるしく変わり、午前中のスポーツ走行の終盤近くにはほぼやんだ。写真は、カウンターをあてながらヘアピンを立ち上がっていく型式名「PGC10」こと「スカイライン2000GT-R」。1969年にデビューした、「GT-R」の名を冠した最初のモデルである。
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デビュー当初のワークスマシン風のカラーリングと、鉄チン(スチール)ホイールでシブくキメた「スカイライン2000GT-R」。通称の「ハコスカ」とは、角張ったスタイリングにちなんだ「箱形スカイライン」を略したものといわれている。
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通称「鉄仮面」こと「スカイライン・ハードトップ2000ターボ・インタークーラーRS」(DR30)とおぼしきマシン。オーバーフェンダーやロールバーを備え、おそらく中身もかなり手が入れられているのではないかと思うが、ドライバーの腕も確かで、すばらしく速かった。
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モデルカーでもおなじみの、グループ5の「スカイライン・シルエット」風のボディーワークを施された「鉄仮面」。ブリスターフェンダーを持つボディーは違和感なくまとめられており、こういうワイドボディー仕様があった、と言われたら信じてしまうかも?
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スペシャルプログラムとしてヘアピンを舞台に行われた、「のむけん」ことD1ドライバー野村謙選手のドリフトパフォーマンス。「R34」セダンで「ほぼハンドル切りっぱなし」の妙技を披露したが、あいにくコースがぬれていたため、「白煙番長」の異名とは裏腹にタイヤスモークがほとんど上がらなかったのは残念。
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これもスペシャルプログラムである「櫻井眞一郎 追悼パレードラン」。昨年亡くなった、「スカイラインの父」と呼ばれた設計者の櫻井氏をしのんで、代表作である3代目「ハコスカ」と4代目「ケンメリ」が合わせて40台以上参加した。
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パレードランが始まった午後1時過ぎにはすっかり雨が上がり、一時は強い日が射(さ)すなどして路面も急速に乾いた。午後のスポーツ走行を走る、NISMOのエアロパーツなどをまとった「V35」の「スカイラインクーペ」。クーペのみならずセダンも含め、「V35」や「V36」も少なからず走っていた。
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「R34 GT-R」のファイナルバージョンとして2002年に限定販売された「GT-Rニュル」。「VスペックIIニュル」と「Mスペック ニュル」があり、それぞれ限定1000台だった。発売当初、『webCG』で借りた広報車をエンストさせたらなかなか再始動せず、「ホンモノっぽい」と妙に感心した記憶がある。
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ミッドナイトブルーとでもいうのか、とても上品な色合いのブルーメタリックに塗られた「R32 GT-R」。よく見るとブレーキキャリパーやローターにもブルーがアクセントとして入っていて、シャレている。
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1985年、「都市工学」という難解なキーワードを掲げ、ハイソカーに転身して登場した「7th」こと7代目「スカイライン」(R31)。当初は4ドアセダンとスカイライン史上唯一となる4ドアハードトップ(写真)のみだった。この個体のようなモディファイを施され、85年の東京モーターショーに出展されたグループA仕様の4ドアハードトップが座間にある日産の記念車庫に保管されているが、あれは実戦に参加したことがあるのだろうか?
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スポーツ性が失われた「7th」に対する失望の声は大きく、翌1986年には2ドアスポーツクーペ「GTS」が追加された。さらに87年には、グループA用のホモロゲーションモデル「GTS-R」を800台限定販売。「GTS」には車速が70km/h以上になると自動的にフロントスポイラーが降りてきて、50km/h以下に落ちると収納される世界初の「GTオートスポイラー」が装備され話題となったが、「GTS-R」では固定式だった。
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スポーツ走行の参加車両で、1台きりだった5代目「スカイライン」(C210)。「スカイライン・ジャパン」という広告スローガンから、「ジャパン」と通称されるモデルだが、この個体は1980年に追加されたスカイライン初のターボ仕様。オーバーフェンダーで武装、室内にはロールバーも入っている。
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1973年に登場したものの、一度もレース参戦がなかった4代目通称「ケンメリ」の「ハードトップ2000GT-R」(KPGC110)。途中から調子が上がらなくなったようで、イン側を走る「7th」に道を譲っている。
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いまさらとは思うが、「ケンメリ」とは「ケンとメリーのスカイライン」という4代目の広告スローガンを略したもの。その「ケンメリ」のセダン「2000GT」(GC110)は、4ドアであることからファンの間では「ヨンメリ」と俗称されている。
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1970年代初頭にツーリングカーレースで大活躍し、スカイライン伝説最大の担い手となった3代目「ハコスカ」の「ハードトップ2000GT-R」。この個体は日産ワークスのエース格だった高橋国光のマシンのレプリカである。ただし、ベースはDOHC24バルブのS20エンジン搭載の「GT-R」(KPGC10)ではなく、SOHC8バルブのL20を積んだ「GT」(KGC10)で、それを高度にスープアップしている。JCCA(日本クラシックカー協会)主催のクラシックカーレースで20年近く走っている、おなじみのマシンだ。