「JCCAクラシックカーフェスティバル 富士ジャンボリー」(後編)
2012.04.19 画像・写真2012年4月15日、静岡県小山町の富士スピードウェイで「JCCAクラシックカーフェスティバル 富士ジャンボリー」が開かれた。これは主催するJCCA(日本クラシックカー協会)がTACS(東京自動車クラブ)と名乗っていた1970年代から続いている伝統のクラシックカーレースである。JCCA主催のクラシックカーレースは、このほか筑波サーキットで毎年夏に開かれる「筑波ミーティング」と、同じく筑波で秋に行われる「エンデュランスミーティング」があるが、やはり最大のイベントは春の恒例となっているこの「富士ジャンボリー」。昨年は東日本大震災の影響により中止されたが、1年ぶりに開催された今回はレースだけでも100台以上、走行会も含めると270台以上が出走する盛況となった。それらエントラントのなかから、印象に残ったマシンを紹介しよう。(文と写真=沼田 亨)
(→前編はこちら)

サスペンションとエンジンのチューニングが許された1968年前後に生産された車両と、同じく1970〜75年に生産された車両が混走する「S68/75レース」。スターティンググリッドには全26台が並んだ。結果を言ってしまうと、予選1位の1975年「ポルシェ911カレラ3.0」がポール・トゥ・フィニッシュをキメた。
-
サスペンションとエンジンのチューニングが許された1968年前後に生産された車両と、同じく1970〜75年に生産された車両が混走する「S68/75レース」。スターティンググリッドには全26台が並んだ。結果を言ってしまうと、予選1位の1975年「ポルシェ911カレラ3.0」がポール・トゥ・フィニッシュをキメた。
-
JCCAのクラシックカーレースでは伝統的に「ダットサン・ブルーバード510」が強く、今回の「S68/75レース」でも予選トップ10のうち6台を占めた。サイド・バイ・サイドでストレートを疾走する、かつてアメリカで活躍したBRE(ブロック・レーシング・エンタープライズ)チームの「510」風に塗り分けたカーナンバー47は、予選2位で決勝も2位。かたや往年の日産ワークスに倣ったカラーリングのナンバー65は、予選10位から決勝では4位まで上がった。
-
「S68/75レース」で、前をいくのは日産のロゴカラーでもあったトリコロールがイカす1968年「ダットサン・フェアレディ2000(SR311)」。後ろは孤軍奮闘していた1975年「ホンダ・シビックRS」。
-
「S68/75レース」で、これも1台きりだった「ベレG」こと「いすゞベレット1800GT」。まるでリアエンジン車のような、強いネガティブキャンバーがついた後輪は現役時代からのベレGレーシングの特徴。アルミホイールではなく、当時風に白く塗ったスチールホイールを履いているところがシブイ。
-
「S68/75レース」から、1968年「BMW 2002」。かつてアメリカでは、スペックが似た「ブルーバード510」が「プアマンズ2002」などと呼ばれていたこともある。それから40年余を経た日本のクラシックカーレースでは、たった1台の2002が510軍団に孤独な戦いを挑んでいた。
-
現役当時、ヨーロッパのツーリングカーレースでアルミボディーの「GTA」が大活躍した「アルファ・ロメオ」の「ジュリア・クーペ」。日本でもいまだに人気は高いが、パーツが豊富なのかクラシックカーレースでも常連で、今回の「S68/75レース」にも4台が参戦していた。センスのいいイタリアンカラーに塗られたこれは1968年「ジュリア・スプリントGTヴェローチェ」。いわゆる「段付き」ノーズのモデルである。
-
派手なカラーリングの多い「S68/75レース」の参戦車両のなかで、上品なアイボリー一色のボディーが逆に新鮮に見えた1971年「ポルシェ911S 2.2」。後方には「ホンダS800」と「アルファ・ロメオ2000GTV」の姿が見える。
-
サスペンション、エンジンはもちろんボディーまで大幅な改造が許された、1975年までに生産された車両による最高峰の「Fレース」。スターティンググリッドには25台が並んだ。
-
予選タイムは1分57秒783、決勝でのベストラップもそれに迫る1分57秒892という圧倒的な速さで、「Fレース」をポール・トゥ・フィニッシュで制した型式名KPGC10こと1970年「日産スカイライン・ハードトップ2000GT-R」。マシンもいいのだろうが、加えてドライバーは現役SUPER GT(GT300)ドライバーの加藤寛規選手だった。そりゃ速いはずである。ちなみに加藤選手は2010年の富士ジャンボリーで、同じマシンを駆って1分57秒047を記録している。
-
加藤ハコスカGT-Rの最大の対抗馬と予想されていた1972年「日産フェアレディ240Z-G」。健闘したものの一歩及ばず、予選、決勝ともに2位だった。予選タイムは1分59秒006。
-
懐かしの東名ADVANカラーに塗られた1970年「ダットサン・サニー1200クーペGX(KB110)」。往年のマイナーツーリングの王者は今もすばらしく速く、わずか1.3リッターの直4OHVエンジンながら、2.3リッター直6DOHCの「GT-R」、3リッター直6SOHCの「240Z-G」(排気量はいずれもノーマルよりアップしている)に次いで予選、決勝とも総合3位。今回の予選タイムは1分59秒921だが、4、5位も同じく「KB110サニー」だった。なお「KB110サニー」のベストタイムは、2010年の富士ジャンボリーでプロドライバーの影山正美選手がたたき出した1分58秒278である。
-
日産車が大勢を占める「Fレース」で、奮闘しているトヨタ車その1。型式名のTE27と同じカーナンバー27をまとった1972年「カローラ・レビン」。現役当時、日産・トヨタの両ワークスがここ富士で見せたような激しいバトルは……むずかしいか。
-
奮闘しているトヨタ車その2は、1972年「セリカ1600GT」。クラシックカーレースは、参加者からすれば好きなクルマで走ることに意義があろうし、見る側からしても、参戦車両にバリエーションがあったほうが楽しい。ということで、今後もがんばって!
-
今年から始まった、1969年までのグループ6のスポーツプロトタイプおよびグループ4の量産スポーツカーによる「ヒストリックGP」のスタートシーン。初回ということで予選出走10台、決勝は9台にとどまり、エキシビション的なレースとなったが、今後に期待したい。
-
1964年「ポルシェ904カレラGTS」。64年の第2回日本グランプリの直前に日本に上陸、式場壮吉のドライブにより生沢徹氏の駆る「プリンス・スカイラインGT」と日本レース史上に語り継がれるバトルを演じた。そこから「スカイライン伝説」が始まったわけである。
-
1966年「ポルシェ906」。「カレラ6」とも呼ばれる904の後継モデル。66年、67年と2年続けてプリンス/日産ワークスの「R380」と日本グランプリで激突、67年には日産ワークスを下して優勝した。ちなみにそのときのウィナーである生沢徹は、前年の66年にはプリンスチームで「R380」をドライブしていた。
-
1968年「ローラT70 マークIII」。68年の第5回日本グランプリに、タキレーシングチームから長谷見昌弘のドライブで出走したマシンそのもので、スポンサーのステッカーに至るまでオリジナルに忠実にレストアされている。6リッターのシボレーV8のチューニングをはじめセッティングはこれからという感じだったが、完調となった暁にはドスの利いたエキゾーストノートを轟(とどろ)かせながら豪快な走りを見せてくれるはず。
-
「タイプ26R」こと1965年「ロータス・レーシングエラン」と1967年「ジネッタG12」。ジネッタはこのほか1964年「G4」も2台出走していたが、いずれもセッティングがキマっているようで速かった。
-
フランス本国のルマン・クラシックにも参戦歴のある1963年「アルピーヌA210/M63」。ルマン仕様ならではの流麗なロングテールとリアホイールを覆ったスパッツが魅力的。
-
「ヒストリックGP」に参戦した唯一の国産マシンである1968年「マクランサ」。「ホンダS800」をベースに、現・童夢代表の林みのるが製作したマシン。このアングルではさほど感じないが、低いボディーと相対的に着座位置が高いのか、真横から見るとまるでゴーカートを操っているよう。ドライバーはさぞかし怖いのでは?と思われた。(→前編はこちら)