旧車のレースイベント「第1回 東京ベイサイド・クラシック・カップ」の会場から
2013.07.09 画像・写真2013年7月7日、千葉県袖ケ浦市の袖ケ浦フォレスト・レースウェイで、「第1回 東京ベイサイド・クラシック・カップ」が開かれた。これは敷居が低く、肩肘張らずに楽しめるというコンセプトに基づいて企画された旧車レースで、参加資格は1972年までに生産された(継続生産された同型車含む)国産、輸入車両およびレプリカ車両。初回開催にもかかわらず、英国車を中心に50台近く集まった参加車両は、車検の有無を基本に分けられ、「クラブマンズ・カップ」と「スーパー・クリスタル・カップ」の2レースを戦った。後者は原則的に非登録車やレース専用車両ということだったが、フタを開けてみれば2レースともナンバー付き車両が多く、大半が自走での参加。トランクに積んできたレーシングタイヤに履き替えたり、灯火類に飛散防止用のテープを貼ったりはするものの、基本的に“乗ってきたまま”で出走するという、サンデーレース本来の気軽な雰囲気は好感が持てた。その一方で、初回とはいえ、安全第一をモットーとするイベントの進行はきちんとしており、そのかいもあってアクシデントもなく、無事にレースを終えた。梅雨明けの照りつける太陽に灼(や)かれたサーキットから、リポーターの印象に残ったマシンとシーンを紹介しよう。(文と写真=沼田 亨)

基本的に、車検付き車両による「クラブマンズ・カップ」には「U1500」(1500cc以下)が13台、「U2000」(2000cc以下)が10台の計23台がエントリー、10周で争われる決勝にはうち21台が出走した。予選上位から順にコースインしていくところ。
-
基本的に、車検付き車両による「クラブマンズ・カップ」には「U1500」(1500cc以下)が13台、「U2000」(2000cc以下)が10台の計23台がエントリー、10周で争われる決勝にはうち21台が出走した。予選上位から順にコースインしていくところ。
-
本国イギリスでは“flog eye”(カエルの目)、アメリカでは“bug eye”(虫の目)、そして日本では“カニ目”の愛称で親しまれる1959年「オースチン・ヒーレー・スプライトMk1」。斜めに入れられたロールバーがカッコイイ。
-
1979年「MGミジェットMk3」。かつてはライバルだった「トライアンフ・スピットファイア」用の1.5リッターエンジンと4段ギアボックスを積んだ最終型ミジェット。この個体はウレタンバンパーを外すなどのモディファイが加えられている。U1500クラスの1位、U2000を含めた総合でも3位を獲得した。
-
1962年「トルネード・タリスマン」。イギリスに多数存在した少量生産のスペシャリスト・カーのひとつで、61年から64年にかけて200台弱が販売されたという希少車。鋼管ラダーフレームにFRPボディーを載せ、コスワースがチューンしたフォード製1.5リッター直4 OHVを積む。
-
1980年「ミニ・バン」。ワゴンモデルの「トラベラー」や「カントリーマン」と同じく、長いホイールベースを持つミニの商用バン。とはいえ走りは侮れず、U1500クラス3位、総合でも5位に入賞。
-
1966年「MG1100」。ミニ(コードナンバーADO15)の兄貴分として62年にデビューした「モーリス1100」に始まるADO16シリーズ。モーリスのほか、オースチン、MG、ライレー、ウーズレー、ヴァンデン・プラの5メイク(ブランド)からもリリースされたが、もっともスポーティーなのが、この「MG」版である。
-
1967年「アルファ・ロメオ・ジュリアスーパー」。60年代を代表するスポーツサルーンの1台。デュアル・ヘッドライトの内側ライトの代わりに張られたメッシュとサイドに描かれた四つ葉のクローバーで、レース用ホモロゲーションモデルの「T.I.スーパー」風に装っている。
-
1971年「日産スカイライン2000GT」。通称「ハコスカ」こと3代目スカイラインのセダンGT。走り屋仕様のハコスカは、リアフェンダーが「GT-R」風にカットされていることが多いが、これはノーマルの形状を維持しているところがいい。太いタイヤを履かせるのはむずかしいだろうが。
-
本来はウレタンバンパーを備えていた最終型となる1980年「MGB Mk2」。1コーナーの進入で前輪をロックさせ、タイヤスモークを上げながら激しくブレーキング。この姿から想像されるとおりの速さで、U2000クラス、総合ともに2位を獲得。
-
パッと見にはシートをバケットに換え、ロールバーを装着しただけのようだが、すばらしく速かった1972年「アルファ・ロメオ・スパイダー・ヴェローチェ」。ポールポジションからスタートすると、2周目にこの日の総合ファステストラップ(1分26秒086)をたたき出し、あとは余裕で流してトップチェッカーを受けた。
-
予選タイム順に並んでコースインを待つ、基本的に非登録車やレース専用車両からなる「スーパー・クリスタル・カップ」の出場車両。「U1000」(1000cc以下)が3台、「U1500」(1500cc以下)が13台、「U2000」(2000cc以下)が9台の計25台がエントリー、10周で争われる決勝にはうち23台が出走した。
-
1963年「コルチナ・ロータスMk1」。日本車でいうならコロナやブルーバードのような、英国フォードの平凡なファミリーセダンだったコルチナのボディーにロータス・ツインカムを積んだ、60年代を代表するスポーツサルーン。
-
1967年「アルファ・ロメオ・ジュリア・スプリントGTV」。ジウジアーロの傑作のひとつに数えられるジュリア・クーペ。70年までのモデルは、特徴的なノーズの形状から俗に「段付き」と呼ばれる。
-
1969年「ダットサン・フェアレディ2000」。初代フェアレディの最終発展型で、型式名はSR311。フロントエプロン部分に描かれた「ダットサン」のカナ文字ロゴがいい感じ。1969年「ダットサン・フェアレディ2000」。初代フェアレディの最終発展型で、型式名はSR311。フロントエプロン部分に描かれた「ダットサン」のカナ文字ロゴがいい感じ。1969年「ダットサン・フェアレディ2000」。初代フェアレディの最終発展型で、型式名はSR311。フロントエプロン部分に描かれた「ダットサン」のカナ文字ロゴがいい感じ。
-
1967年「ミニ・マーコス」。オリジナル・ミニのパワートレインとサスペンションを流用した前輪駆動のミニ・スポーツ。見ようによっては不格好なボディーも、また魅力である。
-
1963年「オースチンA40ファリーナ」。名称が示すとおりピニンファリーナがスタイリングを手がけた、ミニの先輩にあたる小型サルーン。
-
コーナーで巧みにテールを流していた1968年「フォード・エスコート Mk1」。70年のロンドン-メキシコ・ワールドカップラリーでの優勝を記念した仕様である「メキシコ」を模している。
-
1975年「MGミジェット・アシュレーGT」。オープンのライトウェイトスポーツであるMGミジェットに、英国のスペシャリスト製のボディーキットを装着して、レーシングライクなクローズドクーペに仕立て直している。
-
1971年「日産フェアレディZ432」。型式名S30こと初代フェアレディZに「スカイライン2000GT-R」用の2リッター直6 DOHC 24バルブエンジンを積んだモデル。「432」とは「(1気筒あたり)4バルブ、(ソレックスキャブを)3連装、(カムシャフトが)2本」という意味。
-
1967年「ホンダS800」。60年代当時、ホンダの国内モータースポーツを統括していた「RSC」が開発した低く、フラットなハードトップを装着、ホイールもRSCレプリカという本格的なレーシング仕様。
-
「スーパー・クリスタル・カップ」で、トップ争いを展開した2台のミニ。前が1964年「モーリス・ミニ・マイナー Mk1」(エンジンは1.3リッター)で、後ろが1995年「ローバー・ミニ」。このままゴールし、U1500クラス、総合とも1、2位を獲得した。
-
1998年「ジネッタG4レプリカ」と1965年「オースチン・ミニクーパーS Mk1」のバトル。ミニクーパーSはポールポジションからスタートしたが、スピンしていったん後退。そこから鬼神の追い上げを見せて総合3位でゴール。つまり「スーパー・クリスタル・カップ」は、総合1~3位をミニが独占したわけだ。ジネッタは総合4位、U2000クラス1位。
-
レースを終え、自走での帰路に備えてドライバー自らレーシングタイヤから公道走行用タイヤに交換する、の図。
-
「スーパー・クリスタル・カップ」で総合優勝を果たした「モーリス・ミニ・マイナー Mk1」は、やはり公道走行に備えてスパークプラグを交換。
-
参加したドライバー、スタッフがそろって記念撮影。なお、第2回は2013年9月16日(月・祝)に開催が決定したとのこと。「将来的には、できればシリーズ化も」ということで、今後に期待が持てるイベントだった。