「JCCAクラシックカーフェスティバル ニューイヤーミーティング」の会場から
2014.02.04 画像・写真2014年2月2日、静岡県小山町の富士スピードウェイで、恒例の旧車イベント「JCCAクラシックカーフェスティバル ニューイヤーミーティング」が開かれた。このイベントも1977年の初回から数えて、今回で38回目。会場は東京プリンスホテル駐車場に始まり、明治公園、汐留駅跡地(現シオサイト)、パシフィコ横浜、有明レインボータウン、そして昨年まで使われた青海臨時駐車場へと移ってきたが、今回は11年ぶりに会場を変更。それも東京都心から100km以上離れた富士スピードウェイである。東京オリンピック開催決定による湾岸エリアの再開発を見越しての変更と思われるが、この決定はイベントの内容を一変させた。前回までの主役は毎回300台前後を数えた個人出展による車両展示だったが、今回はコンクールデレガンスの対象となった日産車52台を含む85台に減少。代わってメインイベントとなったのは、サーキットならではのプログラムであるスポーツ走行で、こちらの参加車両は133台を数えた。ちなみにスポーツ走行は30分×3回、つまり計90分走り放題でタイム計測付きという、走り好きには魅力的なメニューだった。会場移転に加えてもうひとつ、久々の体験となったのが降雨。筆者は20年ほど前からこのイベントを取材しているが、雨具が必要なほど降られた記憶はない。だが今回は開場時間である午前9時ごろからポツポツと雨粒が落ち始め、昼前には本降りに。その後は徐々に好転し、午後2時ごろには日が差し始めたが、残念な天候ではあった。そんな会場から、スポーツ走行の参加車両を中心に紹介しよう。
(文と写真=沼田 亨)

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ピットロードに並んでスポーツ走行のコースインを待つ参加車両。先頭は型式名510こと3代目「ダットサン・ブルーバード」の北米輸出仕様である1970年「ダットサン1600」。国内仕様ではベーシックな1300/1400にしか用意されなかった2ドアセダンである。
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日産のブランドカラーだったトリコロールに塗られた「サニー」としては最後のFRモデルとなった型式名B310こと4代目のクーペ。B310サニーと「KP61スターレット」で戦われるJCCAの旧車レース「TSカップ」に参戦しているレース仕様である。
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“ワークスオバフェン”と呼ばれた、ワークスマシン譲りの大きなオーバーフェンダーを付けた1975年「マツダ・サバンナRX-3」。
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ルマンで知られるようになったレナウンチャージ・カラーに塗られ、大幅なモディファイが加えられた1979年「マツダ・サバンナRX-7」。初代RX-7(型式名SA22C)は、北米ではレースで大活躍した。
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珍しい初代「トヨタ・カローラ1100」(KE10)のレース仕様。現トムス会長の舘 信秀らが、TMSC(トヨタ・モータースポーツ・クラブ)からレースにエントリーしていたカローラがこんな感じだった。
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2代目「サニー」をベースにした、通称サニトラこと「サニー・トラック」。1971年から94年まで作られた長寿モデルである。92年式というこの個体は、ヘッドライトを後期型のオリジナルである角形2灯から前期~中期型風の丸形2灯にコンバートしている。
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1970年「日産セドリック・スペシャル6」。ピニンファリーナがスタイリングを手がけた2代目セドリックの、オリジナルとはまったく異なる顔つきに変えられた後期型。こうしたサーキットに似つかわしくないクルマも走っているところがおもしろい。
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1974年「日産グロリア・ハードトップ2600GX」。「セドリック」の双子車となった型式名230と呼ばれる4代目グロリアの2ドアハードトップ。この個体に装着されているものとは異なるが、メーカーオプションでサイドストライプやリアスポイラー(当時はテールウイングと呼ばれていた)も用意されていた。
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1969年「フォード・カプリ」。3度のF1世界王者に輝いたジャッキー・スチュワートの駆った、ドイツ・フォードのワークス・カプリ2600RSのカラーリングを模している。
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こちらはアルピナのワークスマシン風に仕立てられた1970年「BMW 2002ti」。エンジンルームにはホンモノのアルピナ製キャブ用インダクションボックスが鎮座していた。
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チョイぬれのコースコンディションにもかかわらず、豪快な走りを見せていた「コブラ」。さすがに本降りになった2本目は出走しなかった。
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1972年「デ・トマソ・パンテーラ」。カロッツェリア・ギア在籍時のトム・チャーダが手がけたボディーに、フォードV8をミドシップ。北米ではフォードの高級車であるリンカーン/マーキュリーのディーラーで販売された。
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1974年「ランボルギーニ・ウラッコP250」。こちらはカロッツェリア・ベルトーネ在籍時のマルチェロ・ガンディーニの手になる2+2ボディーの後席の背後に、2.5リッターV8を横置きに搭載。サーキットを走る姿を初めて見た。
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ウエットコンディションでも速かった、1970年「日産スカイライン・ハードトップ2000GT-R」(型式名KPGC10)。カラーリングは北野元がドライブしたワークスマシンに倣っている。
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1968年「マツダ・コスモスポーツ」。ご存じマツダのロータリーエンジン搭載市販車第1号。この個体はホイールベースが延び、エンジンがパワーアップされた後期型。
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1975年「日産ローレル・ハードトップ2000SGX」。型式名C130こと2代目ローレルのトップグレード。かつては街道レーサーに大人気だったモデルだが、この個体は30年以上にわたってオーナーがモディファイを重ねながら走り続けている。
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1970年「ダットサン・ブルーバード1800SSSクーペ」。510クーペの最強モデルのレーシング仕様。ボディーカラーのくすんだ赤は、ワークスマシンに倣っている。
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1974年「日産チェリー・クーペX-1・R」。当時の国産小型車では珍しかったFFを採用、こうした雨中のレースでは強みを発揮した。この個体は星野一義が駆ったワークスマシンのカラーリングを参考にしている(星野のマシンは、白と赤の塗り分けだった)。
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1968年「トヨタ1600GT5」。「コロナ・ハードトップ」のボディーに、ヤマハ発動機がDOHC化した1.6リッター直4エンジンを搭載したモデル。型式名RT55で、レースでも活躍した。
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1971年「マツダ・ファミリア・プレスト・ロータリークーペ」。ロータリー大衆化の第1弾で、レースでも活躍した。「R100 COUPE」は輸出名称で、「萬事達」とは「マツダ」と読む。往年のマカオグランプリの出走車両にこう記されていたのだ。
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コンクールデレガンスの対象だった日産車のなかから1972年「チェリーX-1」。チェリーは日産初のFF車で、X-1はその走りっぷりから“和製ミニクーパー”の異名をとったホットモデル。この個体は昨年の「レジェンド・オブ・ザ・ラリー」に向けて仕立てられたラリー仕様。
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珍しい1976年「日産バイオレット1400デラックス」。バイオレットは「510ブルーバード」の実質的な後継モデルで、型式名は710。この個体は、後方視界が悪いという声に応えてルーフ後端をセミファストバックからノッチバックに改めた後期型4ドアセダン。
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常連だった老舗クラブの多くが参加を見合わせたなか、1972年に創設された日本車のワンメイククラブの草分けである「日野コンテッサクラブ」のクラブスタンドは健在だった。
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「転倒虫OB会」のクラブスタンドに展示されていた、シニアカーのコンポーネンツを使って製作された“電動スバル360”。後ろに見える青い2代目「サンバー・トラック」は、北米から里帰りした左ハンドル仕様。
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展示車両およびスポーツ走行の参加車両が集まったパドック。この写真を撮った正午前後は雨に加えて霧も出ていたが、この後徐々に天候は好転していった。