「横浜ヒストリックカーデイ 3rd」の会場から
2014.11.12 画像・写真2014年11月8日、神奈川県横浜市の横浜赤レンガ倉庫イベント広場で「横浜ヒストリックカーデイ 3rd」が開かれた。今回で3回目を迎えたこのイベントは、この地で開かれる多くのクルマ関連イベントとは異なり、横浜在住の純然たるアマチュアの旧車愛好家が主催している。世代を問わずクルマ離れが加速していくなか、国内外から多くの観光客が訪れる、それ自体が貴重な歴史建造物である赤レンガ倉庫にヒストリックカーを展示し、オーナーと来場者が交流することで、その魅力を知ってもらうと同時に歴史や文化を次世代に伝えられたらという、ひとりのクラシック・ミニ愛好家の思いから企画がスタートしているのだ。参加資格は1974年までに生産された車両と継続生産された同型車で、集まったヒストリックカーは約150台。車両展示のほか、旧車の魅力を来場者に伝えるというイベントの趣旨にしたがってヒストリックカー同乗体験なども実施された。時折小雨がパラつく曇り空にもかかわらず、大勢の来場者でにぎわった会場から、展示車両を中心に紹介しよう。(文と写真=沼田 亨)

7台そろった「ミニ・マークI」。オースチンおよびモーリスのベーシックな「850」あり、「クーパーS」ありだが、生産国も英本国のほかオーストラリア産あり、ニュージーランド産ありだという。
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7台そろった「ミニ・マークI」。オースチンおよびモーリスのベーシックな「850」あり、「クーパーS」ありだが、生産国も英本国のほかオーストラリア産あり、ニュージーランド産ありだという。
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戦後間もない1948年にデビューし、71年まで20年以上にわたって作り続けられた大衆車である「モーリス・マイナー」が5台も並んでいた。設計はミニの生みの親として知られるアレック・イシゴニスで、誕生の時点でモノコックボディーに前輪独立懸架を備えていた。これら5台は60年代に作られた「マイナー1000」である。
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1970年「オースチン1800S」。ミニのコードネームはADO15だが、その兄貴分となるADO16といえば、ベーシックなオースチン/モーリス版から小さな高級車として知られるヴァンデン・プラ版までそろった小型サルーン。で、これはADO17のコードネームを持つ、イシゴニス設計のFFサルーンの長兄。4170mmの全長に対して2690mmという長いホイールベースを持ち、本国では“LAND CRAB”(オカガニ)と呼ばれた。
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ノーマルとラリー仕様の1970年「ミニ・クラブマン1275GT」。オリジナル・ミニのアップデート版としてリリースされた当時は「無個性になった」とか、日本では「(スズキの)『スズライト』に似ている」などと揶揄(やゆ)されたクラブマンだが、今見るとこの顔つきもなかなか味がある。
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1976年「ローバー3500 V8」。63年に誕生した、高品質で凝った設計の中型サルーンである「ローバー2000」のボディーに、GMから生産設備ごと買い取ったビュイック/オールズモビル用の総アルミ製3.5リッターV8エンジンを搭載したモデル。このエンジンは「レンジローバー」用として最終的に4.6リッターにまで拡大され、21世紀まで生き延びた。
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しっとりとした輝きを放つ、漆黒に塗られた双子の「フォルクスワーゲン・ビートル」。リアウィンドウがいわゆるオーバルウィンドウの、1953~57年製造モデルである。
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1968年「フォルクスワーゲン・カルマンギア1600」。通称タイプ3をベースにしたカルマンギアで、8年間に4万2000台強という生産台数はタイプ1ベースのモデルよりひとケタ少ない。よって日本では希少な存在である。
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1969年「ポルシェ911Tタルガ」。リアウィンドウが着脱可能なビニール製だった、初期のタルガ。言うなればロールバー付きの「ロードスター」のようなもので、非常に軽快な印象を受ける。
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上品なシャンパンゴールドで仕上げられた1964年「アルファ・ロメオ・ジュリア・スプリント・スペチアーレ」。先日急逝した徳大寺有恒さんが「これ、『メルセデス・ベンツ300SLガルウイング』に顔つきが似てるんだよな」と言っていたが、たしかにそのとおりだ。
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1974年「フェラーリ365GT4BB」。180度V型12気筒4.4リッターエンジンをミドシップした、「ランボルギーニ・カウンタック」と並ぶスーパーカーブーム勃興(ぼっこう)時の2大スター。この個体の最初のオーナーは、サウジアラビアの王子だったとか。
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今回のテーマカーは日本のモータリゼーションの発展に大いに貢献した、ジャパニーズ・スペシャルである360cc軽自動車。「マツダR360クーペ」「スバル360」「ホンダN360」などが赤レンガ大通りに面した最前列に並んだ。
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1964年「スバル360デラックス」。まだ「横浜」ナンバーがなくて、「神」(神奈川)ナンバーだった時代から半世紀にわたって横浜の街を走り続けてきたワンオーナー車。スバルマチックと呼ばれるエンジンオイルの分離給油が採用された最初のモデルである。分離給油方式が出現するまでは、2ストロークエンジンにはガソリンにエンジンオイルを混ぜた混合ガソリン(スタンドで普通に販売されていた)が必要だったのだ。
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型式名SB1こと、1972年にデビューした初代「ホンダ・シビック」が4台そろった。右2台はツインキャブエンジンに5MTを備えたスポーティーグレードの「RS」で、後の2台は上級グレードの「GL」だが、赤い個体は輸出仕様風に装っている。ちなみに“Road Sailing” の略というRSを名乗ったホンダ車は、この初代シビックが最初である。
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1966年「日野コンテッサ1300クーペL」。ノーマルの0.9mmに対して0.7mm厚の鋼板をボディーに使用した競技用のライトウェイト仕様。フロントを除くウィンドウのアクリル化や内装の簡素化などによって、車重はノーマルより100kg以上軽い830kgとされ、20台作られたという。この個体は、当時アメリカでピート・ブロックが率いていたチームサムライの元へと送られた前歴を持つ。
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1970年「日産スカイライン2000GT」。国産旧車界で最もポピュラーな車種のひとつである、通称ハコスカこと3代目スカイラインのGTだが、純正オプションのレザートップ、キャップ付きの純正スチールホイールにホワイトリボンタイヤといういでたちに加え、新車からの「練馬56」というナンバープレートを下げた貴重な個体。
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オーナーのボランティアにより行われた、ギャラリーを乗せて会場周辺を走るヒストリックカー同乗体験。これは日本ロールス・ロイス&ベントレー・オーナーズクラブ会長の和田篤泰さんが愛用する、車齢104歳の1910年「ロールス・ロイス・シルバーゴースト」。開催地がどこだろうと必ず自走でイベントに参加する和田さんいわく「来場者も見るだけじゃ、どんなクルマかわからないでしょう?」 おっしゃるとおりです!
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通称タイプ2のバスこと1966年「フォルクスワーゲン・マイクロバス」もヒストリックカー同乗体験に参加。道行く人々も振り返って眺めていた。
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「シトロエン2CV」と後方の初代「ホンダ・シビックGL」もヒストリックカー同乗体験の参加車両である。ウィンドウ越しに同乗者の笑顔が見えるようだ。
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ライセンス生産していた「イセッタ」をベースにBMWが独自の改良を加えた1959年「BMW 600」もヒストリックカー同乗体験に参加。クロムパイプ製のバンパーは北米仕様の特徴である。
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150台近い車両が並んだ会場風景。主催者がクラシック・ミニ愛好家であることから、仲間の乗る英国車が比較的多かった。