JCCAクラシックカーフェスティバル エンデュランス筑波ミーティング
2016.10.28 画像・写真2016年10月23日、茨城県下妻市の筑波サーキットで「JCCAクラシックカーフェスティバル エンデュランス筑波ミーティング」が開かれた。これは春の富士ジャンボリー、夏の筑波ミーティングサマーとともに、秋の恒例となっているJCCA(日本クラシックカー協会)主催のクラシックカーレースである。レギュラープログラムであるスプリントレースに加えて、タイトルにエンデュランスとある通り、メインイベントは2人以上のドライバーで構成されたチームによる60分耐久レース。今回はこれに、「クレイジーケンバンド」の横山 剣さんと、かつて全日本F2/F2000や富士グラチャンで活躍し、“黒い稲妻”の異名をとった名ドライバーの桑島正美さんが出場することで話題を呼んだ。2人の乗る通称ハコスカこと「日産スカイライン2000GT-R」の用意をはじめ、このプロジェクトを実現させた立役者は、東京・江東区にあるハコスカの専門ショップ「VICTORY 50(内田モーターワークス)」を率いる内田幸輝さん。自身がJCCAクラシックカーレースの常連である内田さんもドライバーとして加わったチーム名は、「V50狂剣SAMMY RACING」。V50(VICTORY 50)+狂剣(クレイジーケン)+SAMMY(正美)というわけである。エンスージアストとして知られる剣さんは、サーキット走行の経験はあるものの、レース出場は初めて。いっぽう桑島さんは、近年になってデモランこそしているが、JAF公認レース出場となると1979年以来37年ぶりで、筑波を走るのは実に39年ぶりとなる。豪華な顔合わせに胸を躍らせる周囲以上に、当人たちがワクワク、ドキドキだったそうだが、このゴールデン企画のおかげで、当日の筑波サーキットはいつになく大盛況。好天にも恵まれ、最高の一日となった会場から、V50狂剣SAMMY RACINGの奮闘ぶりを中心に紹介しよう。
(文と写真=沼田 亨)
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1/28数日前まで曇りだった天気予報が、前日に晴れに変わり、絶好のレース日和に恵まれた筑波サーキット。朝7時30分のパドック風景。
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2/28レースを前に車検場に向かう「V50狂剣SAMMY RACING」の1969年「日産スカイライン2000GT-R」(PGC10)。チームクルーと共に横山 剣さん(左端)もマシンを押している。サスペンションなどわずかな改造しか認められないPクラスのマシンのため、車検時の測定で車重は1076kg(カタログデータは1120kg)あった。
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3/28無事車検、ドライバーのメディカルチェックとブリーフィングを終え、予選に挑む直前のV50狂剣SAMMY RACING。左から内田幸輝さん、桑島正美さん、そして横山 剣さん。
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4/28予選では桑島さんと剣さんが走行、最初にタイムアタックするのは桑島さん。事前に剣さんは2度練習走行をしたそうだが、桑島さんは遠方にお住まいのこともあって、この予選がぶっつけ本番。マシンに触れるのも初めての状態でコースに向かった。キャリアの大半をフォーミュラとミドシップのレーシングスポーツで過ごしたため、「ハコは苦手」という言葉を残して……。
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5/28自身のタイムアタックを終了し、ステアリングを剣さんに託した桑島さんと内田さんがピットにて。左上から時計回りに、(1)「ウッチー(内田さんのこと)さあ、アンダーステアとロール、なんとかならない?」 (2)「ほとんどノーマルですからねえ。そこはなんとか腕でお願いしますよ」 (3)「ところで剣の走りはどうだ?」 (4)「先輩に負けないよう、頑張ってますよ~」 ※以上の会話は、すべて筆者の想像です。
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6/28予選終了後、クルーが桑島さんをマッサージしているのを見た剣さんが、「僕のほうがうまいかも」。桑島さんいわく、「こりゃ効くわ、ホントにうまいな。剣、いったいどこで覚えたんだ?」。
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7/28剣さんのレーシングスーツの背中には「狂剣賽車隊」の文字が。マカオグランプリに出走するチーム風に、漢字で「狂剣SAMMY RACING」を記したもの。
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8/28決勝のグリッド上で、スターティングドライバーを務める剣さんと、このアングルからは見えないが、ちゃんとPMCS(プリンス・モータリスト・クラブ・スポーツ=プリンス系の名門レーシングクラブ)のロゴの入ったコスチュームを着用した自前のレースクイーン。これも内田さんのこだわりである。
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9/28スタート5分前。チームクルーが去り、グリッドにひとり残される剣さん。ドライバーがふと孤独を感じるとき……なのかな?
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10/281コーナーを行く剣さん。初レースながら、非常にクールな走りで安定したラップを刻み、60分のうち3人中最長となる30分近くをドライブした。ハコスカ「GT-R」のカラーリングは、1969年JAFグランプリでデビューウィンを飾った篠原孝道仕様をベースに、桑島さんのマシンやヘルメットをイメージした赤のストライプを入れている。カーナンバー69は、“ロック”な剣さんのこだわりのナンバー。
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11/28レースでは2度のピットインが義務づけられている。剣さんから第2ドライバーを務める桑島さんに交代するため、最初のピットイン。
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12/28桑島さんのシートベルト装着を剣さんが手伝う。
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13/28メインストレートを行く桑島さん。ハコは苦手とはいうものの、現役時代はF1まで乗ったドライバーである。決してクルマに無理をさせたり、力で抑え込んだりしない、スムーズな走りだった。
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14/28走行を終え、第3ドライバーの内田さんと交代した桑島さんと剣さんがガッチリ握手。
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15/28内田さんの走りを真剣な表情で見守る桑島さんと剣さん。
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16/28無事に完走、パレードラップを終え、トレードマークの笑顔をいっそう輝かせてピットロードを通過する内田さん。結果は出走18台、完走13台中総合9位、Pクラス5位。
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17/28決勝を終えた、V50狂剣SAMMY RACINGのドライバー。
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18/28トランクリッドに貼られたV50狂剣SAMMY RACINGのステッカー。ボディーサイドにも描かれた3人のシャドウは、中央がおなじみのポーズをキメた剣さん、左側がスパナを持つ内田さん、そして右側は指先から稲妻を放つ桑島さんと、これまた芸が細かい。
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19/2860分耐久レースで予選2位から総合優勝(S2クラス優勝)した1970年「ダットサン・ブルーバード1800SSSクーペ」。ベストラップは1分6秒459。
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20/28総合2位、Pクラス優勝の1971年「ポルシェ911 2.4」。
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21/28総合3位、S2クラス2位の1967年「ダットサン・フェアレディ2000」(SR311)。
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22/28サスペンションの改造のみ許されたPレースで、デッドヒートを演じた1970年「ポルシェ911 2.2」と1970年「ポルシェ914-6」。911から白煙が出ている。これ以降ややスローダウンして914-6に抜かれ、最終的に914-6が総合4位、911が5位に入った。
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23/28Pレースに出走した、珍しい1970年「ホンダ1300クーペ9S」。4連キャブを装着した、特異なDDAC(二重空冷)の1.3リッター直4エンジンを搭載する。
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24/28サスペンションとエンジンの改造が許されたSレース。予選2位の1970年「ダットサン・ブルーバード1800SSS」が、スタートでポールポジションの1970年「日産フェアレディZ432」を抑えてトップに立ち、そのまま逃げ切った。
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25/28
毎回激しいバトルが展開される、フルチューンされた「ダットサン・サニー」(B310)と「トヨタ・スターレット」(KP61)によるTSカップ。今回はカーナンバー9の「レーシングフォージ・ムーンパワーサニー」がポール・トゥ・フィニッシュを飾った。
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26/281970年代初頭から1980年代前半にかけて行われた、軽自動車用エンジンを使った日本独自のフォーミュラであるFLレースより。前を行く「スズキ・フロンテ」用水冷エンジンを積んだ1972年「アローS31」は2位、後ろの1970年「ベルコ96A」は、パワー的に不利な「ホンダN360」用空冷エンジン搭載ながら健闘して3位に入賞。
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27/28フルチューニングされた車両によるFレースのスタートシーン。ポール・トゥ・フィニッシュをキメた1973年「スピードマスターFFDビルズセリカ」は、これでJCCA筑波戦(筑波ミーティングサマー、エンデュランス筑波ミーティング)で6連勝。
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28/28Fレースに出走した1970年「RSCRカペラ」。かつて寺田陽次郎氏が駆った、マツダオート東京の「カペラ ロータリークーペ」のレプリカである。