「スーパーアメリカンフェスティバル2011」(後編)
2011.08.08 画像・写真2011年7月31日、富士スピードウェイで「スーパーアメリカンフェスティバル2011」が開かれた。1992年に始まり、今回で19回目を迎えるドラッグレースとカーショーを中心とした、アメリカ車およびアメリカンテイストなクルマの祭典である。当日は会場に集まった数千台にふさわしい、アメリカ西海岸を思わせる強い日差しが……とはいかず、あいにく雨が降ったり止んだりの空模様。その影響による路面コンディションの悪化と、通称「クリスマスツリー」と呼ばれるスタートを指示する信号灯のトラブルにより、残念ながらドラッグレースは不完全燃焼に終わってしまった。しかしながら、さまざまな流派がそろったカーショー、東日本大震災チャリティオークションを含むステージパフォーマンスなど見どころは多かった。会場から印象的なクルマとシーンを紹介しよう。
(文と写真=沼田 亨)(前編はこちら)

降雨によりコースがウエット状態になったため、レースは一時中断。その後雨が上がったのを見計らって、レースの参加車両やスタッフのクルマがごちゃまぜになってホームストレートを行ったり来たり。みんなで走ることで、走行ラインを乾かしていたのである。
-
降雨によりコースがウエット状態になったため、レースは一時中断。その後雨が上がったのを見計らって、レースの参加車両やスタッフのクルマがごちゃまぜになってホームストレートを行ったり来たり。みんなで走ることで、走行ラインを乾かしていたのである。
-
なんとか路面が乾いたのもつかの間、上位のカテゴリーのマシンによるエキシビションランが始まる頃になって、再び雨粒が落ち始めた。本来なら、ウエット路面でのドラッグレースはご法度。スリックタイヤを履いた、ただでさえ直進性の悪いマシンのコントロールが不能になってしまうからだ。それでも来場者のためにと、数台のマシンが男気を見せて特別にデモランを披露してくれた。これは燃料にガソリンを使用した「ガスドラッグスター」。
-
デモランを行ったガソリンエンジンの「ファニーカー」。市販車をデフォルメしたボディをかぶせた、その名のとおりファニー(こっけいな、奇妙な)な姿のマシンである。テールに並んだふたつのズタ袋のようなものは、ゴール後の減速用のパラシュート。
-
そのファニーカーのカウルの中身。エンジントラブルが起きて出火したら……肝が据わってないとドライバーは務まらない。
-
「プロストックバイク」と呼ばれる、市販二輪車を改造した最高峰のドラッグバイクも数台がデモランを披露した。スズキやカワサキの4気筒エンジンを1.5リッターまで拡大したマシンが主流で、これは2002年「スズキGSX-R1000」がベース。最高出力は310hpという。
-
ガソリンではなくアルコール燃料を使用する超パワフルなトップカテゴリーのマシンは、流すのも危険なため、さすがに出走を断念した。これはパドックに戻っていく「トップアルコール・ファニーカー」。エンジンはドラッグ専用の8.2リッターV8ヘミ+スーパーチャージャーで、最高出力は3800hpとか。残念だが、来年に期待。
-
ここからはグランドスタンド裏で行われた「カーショー」会場より。戦後間もない1940年代後半〜50年代初頭の「キャデラック」が2台。右が47年「62セダン」、左が51年「62ハードトップ」あるいは「62クーペ・ド・ヴィル」だろうか。いずれも見たところ素晴らしいコンディションである。もちろん走る際は、サスペンションに仕込んだハイドロ(油圧ポンプ)で少し車高を上げるのだろう。
-
上品な淡いピンクに塗られた1959年「キャデラック62ハードトップ」または「62クーペ・ド・ヴィル」。年を追ってエスカレートしていたテールフィンはこの年がピークで、翌60年からは控えめに。キャデラックは最後までテールフィンにこだわっていたが、64年を最後に消えた。
-
1950年「フォード・2ドアセダン」。前年に初の本格的な戦後型として登場した49年型をわずかにフェイスリフトしたモデルだが、その49年型は量産車としては世界で初めてフラッシュサイドボディ(前後フェンダーが独立しておらず、ボディサイドがツライチ)を採用していた。この個体はローダウンし、マスコットやドアハンドルなどを取り去ってスムージング(凹凸や段差を埋めること)、マットブラックで仕上げている。ちょいサビもいい感じ。
-
レーシングライクなモディファイがキマっている1953-55年「シボレー・コルベット」。戦後、ヨーロッパに進駐していた米兵の帰国とともに大量に流れ込んできた欧州製スポーツカーに対抗して生まれた、アメリカ初のスポーツカーだった「コルベット」。量産車としては世界初のFRPボディを採用していたが、53-54年型のエンジンは3.9リッターの直6のみで、ギアボックスも2段ATしか用意されていなかった。この個体は中身もかなりスープアップされてそう。
-
このイベントでは、というか日本に生息するクラシックなアメリカ車の中では、珍しくノーマルの状態を保っている1957年「オールズモビル・スーパー88コンバーチブル」。数年前に消滅してしまった「オールズモビル」は、GMの中で下位の「シボレー」「ポンティアック」と上位の「ビュイック」「キャデラック」のちょうど中間にあたるディビジョン(ブランド)だった。
-
これもノーマルに近い姿の1964年「シボレー・シェベル ステーションワゴン」。この年に登場したシェベルは、コンパクトとフルサイズの間に位置するインターミディエイト(中間サイズ)。とはいえ全長5m以上、全幅1.9m以上という、北米を除いては「巨大」と表現されるだろう大きさである。ちなみに当時の「ベルエア」や「インパラ」といったフルサイズ・シボレーは、全長約5.4m、全幅は2m以上あった。
-
「シボレー・シェビーII 4ドアセダン」。シボレーが1960年に投入したコンパクトカーの「コルベア」は、空冷リアエンジンという米車としては特殊な成り立ちで、万人向けとは言いがたかった。そのため1962年に加えられた「シェビーII」は、ごくオーソドックスな設計のモデル。ボディサイズは全長4650mm、全幅1800mmで、幅を除けば5ナンバー規格に収まる。この個体は63年か64年型と思われ、車高とホイール以外はほぼノーマルだろう。
-
オレンジとクリームの鮮やかなツートーンでペイントされた1955年「シボレー・パネルバン」。一見したところ車高が下げられているだけのようだが、ウィンドウやピラーの丈を詰めてルーフを低くした、いわゆる「チョップド・ルーフ」である。
-
壊れちゃったわけではない。ペッタペタにローダウンした「ダットラ」こと「ダットサン・トラック」。型式名「720」と呼ばれるこの型は、日本では1979年から85年まで販売されたが、83年からは北米工場でも生産された。この個体は左ハンドルなので、アメリカ製の逆輸入車であろう。もちろん、走る際は少し車高を上げるはず。
-
うわっ、宇宙人だ! 徹底的にスムージングされ、銀色に輝く怪しいこやつの正体は、たぶん1990年代の「スバル・ヴィヴィオ」。リアウィンドウに貼られた、自作とおぼしきステッカー(写真右上)ともども、ちっぽけな体躯(たいく)ながら、筆者に与えたインパクトではフルサイズの米車にも負けていなかった。ところでエアインテークが一切ないようだが、オーバーヒートしないのだろうか?
-
「玉虫色」のようなカラーリングもスゴイが、パックリ割れたボンネットもアグレッシブでスゴイ。ノーズの形状からベースカーは1965年「ビュイック・リビエラ」かと思ったが、テールやサイドビューから判断すると1968年「リンカーン・コンチネンタル」のようだ。
-
インテリア、エンジンルーム、ハイドロが仕込まれたトランク……門外漢にとっては圧倒されるばかりの光景だ。
-
パトカーもいた。アメリカではホンモノのパトカーを、無線などの特殊装備を外し、リペイントして民間に払い下げてしまうという。これもそうした払い下げをベースに、再度パトカー風に仕立てたのかもしれない。車種は1980年代の「シボレー・カプリース」。映画やテレビドラマのカーチェイスに欠かせなかった、FRのフルサイズセダンである。
-
初代「ダッジ・バイパー」。街中なら1台だけでも相当に目立つモデルだが、ここでは3台並んでも、地味とは言わないが突出した印象は受けない。