第17戦インドGP「ベッテルの複雑な気持ち」【F1 2011 続報】
2011.10.31 自動車ニュース【F1 2011 続報】第17戦インドGP「ベッテルの複雑な気持ち」
2011年10月30日、インドはニューデリー近郊に新設されたブッダ・インターナショナル・サーキットで行われたF1世界選手権第17戦インドGP。大国での初開催GPは、セバスチャン・ベッテルが今シーズンを象徴するかのようなパーフェクトウィンを達成したが、レース後「複雑な気持ち」と心境を吐露した。
■インドとF1
日本では東京オリンピックがそうであったように、世界規模のスポーティングイベントは、これから経済発展をしていく国にとって、世界に名を知らしめる象徴的な出来事となる。年々存在感を増す「BRICs」(ブラジル、ロシア、インド、中国)諸国も同様で、オリンピックなら中国(2008年夏季)を筆頭に、ロシア(2014年冬季)、ブラジル(2016年夏季)、サッカーワールドカップならブラジル(2014年)、ロシア(2018年)と、これらの国で開催が予定される大会は多い。
このなかで、世界第2位の人口を誇る大国インドでは、これまでビッグイベントと呼べるものが開かれてこなかった。ゆえにF1開催は、12億の民を抱えるこの国には極めてシンボリックな“事件”。おカネへの嗅覚(きゅうかく)が世界一鋭い(?)ひとり、F1のコマーシャル面を牛耳るバーニー・エクレストンのお眼鏡にかなったのだ。
初開催となるインドGPの舞台は、首都ニューデリー近郊に造られたブッダ・インターナショナル・サーキット。近年の新コースのほとんどを手がけてきたヘルマン・ティルケのデザインは、広いランオフエリア、長い直線の前にトリッキーなターン、後に鋭いターンを置きオーバーテイクポイントとするところなど、他のティルケ・コース同様の特徴がみてとれる。
インドといえば、先んじてGPサーカスに加わったのがフォースインディアだ。1991年にジョーダンGPとしてデビューしたチームは、2006年にミッドランド、翌年スパイカーと名前を変えながら、インドの実業家ビジェイ・マリヤが参画し「フォースインディア」として再出発した。
当初はテールエンダーに甘んじていたものの、マクラーレンと技術提携を結んだことが転機となった。ドライブトレインを強豪チームから供給してもらい、エンジンをメルセデスにすることで、開発の軸足を空力に置くことが可能となり、この小さな体のチームは高効率な体制へとシフトした。
そして2009年のベルギーGPでは、ジャンカルロ・フィジケラがポールポジションを獲得し、2位でフィニッシュするほど大躍進。今年もミッドフィールダーとして激しい競争のなかに身を置いており、いわゆるトップ3以下では、メルセデス、ルノーに次ぐコンストラクターズチャンピオンシップ6位という好位置につけている。
2005年にGPデビューを果たしたナレイン・カーティケヤンは、初のインド人F1レギュラードライバー。一時GPを離れていたが、今年はHRTから参戦している。そしてカルン・チャンドックもロータスの第3ドライバーとして、母国レースでのスポット参戦を夢見ていたが、チームはコンストラクターズチャンピオンシップ10位を維持するため、それを見送った。
インドとF1の関係ははじまったばかり。ダスティな路面も未整備のインフラもコースを横切る犬も、問題はまだあるが、12億人が生きるインドは、さまざまな面でポテンシャルを十分に秘めている。F1、ひいては自動車その他産業界は、この広大で未開拓で魅力的な市場へ、熱烈なラブコールを送っている。
■ベッテル、記録タイまであと1つ
土曜日の予選では、セバスチャン・ベッテルが今季13回目のポールポジションを獲得した。この数は、1992年にチャンピオンとなったナイジェル・マンセルが打ち立てた、年間最多ポールポジションに1つ足らないだけ。残り2戦で、ベッテルのレコードブックにさらなる記録が刻まれるかもしれない。
予選2位にはルイス・ハミルトンがつけたものの、金曜日のフリー走行でイエローフラッグ中にスピードを出し過ぎたことによる3グリッド降格が決まっており、3番手タイムのマーク・ウェバーが昇格、レッドブルがフロントローを独占した。
明けて決勝日、スタートでトップのベッテルの背後についたのが、予選で5位に沈んでいたジェンソン・バトンだった。一番厄介になりかねない相手が2位にあがったのだが、ベッテルは今年の勝ちパターン、つまり早々に後続がDRSを利用できない1秒以上のリードタイムを築きはじめてしまう。
オープニングラップで既に1.3秒リード、そしてファステストラップを連発し、6周もすると4.5秒までマージンは開いた。いっぽうバトンは、3位マーク・ウェバーが並びかけるなど防戦しなければならず、これがベッテルに加勢した。
今年未勝利のウェバーは、シーズンを通じてピレリタイヤの使い方に難儀している。インドでは、レース序盤と終盤に一瞬キラリと光る走りをみせたものの、トップ2台から遅れ、さらには後ろを走っていたアロンソにも2度目のピットストップで抜かれ、4位でレースを終えることになる。
■マッサとハミルトン、5度目の小競り合い
ベッテルは、20周目の最初のピットストップで2位バトンとの差が3.1秒に縮まっても動じず、最速タイムを叩き出しながら徐々にギャップを拡大していった。
ベッテル、バトン、ウェバー、アロンソと続き、5位争いを繰り広げていたのがフェリッペ・マッサとハミルトン。今年既に4回も小競り合いのあった因縁の2人が、24周目、またも接触の憂き目にあう。
前を走るマッサに、ストレートでハミルトンが追いついた。一瞬、ホイール・トゥ・ホイールの並走状態となったが、マッサは誰もいないかようなターンインを仕掛け、ハミルトンは行き場を失った。2台はヒットし、マクラーレンはフロントノーズを壊し緊急ピットイン、フェラーリは5位のまま周回を続けることができた。
今回はマッサに非があるとスチュワードは判断し、フェラーリにドライブスルーペナルティーを科した。その後マッサは、予選で自分がおかしたミステイクを再度しでかし、縁石にマシンをしたたかに打ち付け、サスペンションを壊しリタイアした。
レース後、ハミルトンは「マッサは(接触を避けるための)スペースをあけなかった」とし、マッサは「僕は前にいたし、ブレーキを彼(ハミルトン)より遅らせたし、グリップするラインにいた。ターンをはじめた時も彼を見なかった。なぜ自分にペナルティーがくだされたか理解できない」と、反対の立場をとった。
この接触の責任が誰にあるにせよ、この2人の関係がよろしくないことは事実のようである。
■モータースポーツ界を覆った「複雑な気持ち」
ベッテルは常に十分なマージンを保ったまま、今年11回目の優勝をポール・トゥ・ウィンで飾った。しかも60周すべてをリードし、さらにファイナルラップで(お遊びともとれる)ファステストラップを記録する、まさにパーフェクトウィンだった。
しかし、表彰台でもインタビュールームでも、浮かない顔をしていた。「正直、ちょっと複雑な気持ちなんだ」と口を開いたチャンピオン。「いっぽうでは(勝てて)とてもうれしいし、(インドGPの)最初のウィナーになったことを誇りに思っているのだけど、でもこの2週間を振り返ると、われわれは2人の仲間を失ったんだ」。
2人とは、10月16日にラスベガスでのインディカーレースで事故死したダン・ウェルドンと、同23日のマレーシアでのモトGPで亡くなったマルコ・シモンチェリのことだった。
モータースポーツは危険と隣り合わせの競技、ということは誰もが心得ていることだが、立て続けに起こった不慮の事故に、ベッテルのみならず、ドライバー、チーム関係者らがこの「気持ち」を共有していた。
2011年シーズンも残るは2戦。次戦は11月13日、トワイライトレース、アブダビGPとなる。
(文=bg)
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