消えゆく多摩川スピードウェイ遺構に往時のチャンピオンマシン再び

2021.10.05 自動車ニュース
1929年「インヴィクタ4-1/2リッター」。1970~80年代にアメリカで製作されたボディーは、多摩川スピードウェイを走っていたころとまったく同じ形状ではないが、雰囲気は十分に伝わってくる
1929年「インヴィクタ4-1/2リッター」。1970~80年代にアメリカで製作されたボディーは、多摩川スピードウェイを走っていたころとまったく同じ形状ではないが、雰囲気は十分に伝わってくる拡大

2021年10月4日、神奈川県川崎市中原区の多摩川河川敷に残されている「多摩川スピードウェイ」のグランドスタンド前で、クラシックカー「インヴィクタ4-1/2リッター」の撮影会が行われた。

後方から眺めたインヴィクタ4-1/2リッター。ホイール/タイヤは多摩川時代より小径の19インチ。カーナンバー24は多摩川走行時のもので、その前に描かれた「渡辺甚吉」は当時のオーナーだった実業家の氏名。
後方から眺めたインヴィクタ4-1/2リッター。ホイール/タイヤは多摩川時代より小径の19インチ。カーナンバー24は多摩川走行時のもので、その前に描かれた「渡辺甚吉」は当時のオーナーだった実業家の氏名。拡大
SUツインキャブを備えた直6 OHVクロスフローの4477ccエンジン。同時代の「ラゴンダM45」にも積まれていたメドウズ製ユニット。
SUツインキャブを備えた直6 OHVクロスフローの4477ccエンジン。同時代の「ラゴンダM45」にも積まれていたメドウズ製ユニット。拡大
レースの参加者が所属していた「日本自動車競争倶楽部」の会員証を兼ねたエンブレム。11は会員番号にしてカーナンバーである。多くのメンバーが車両に取り付けて出走していたという。
レースの参加者が所属していた「日本自動車競争倶楽部」の会員証を兼ねたエンブレム。11は会員番号にしてカーナンバーである。多くのメンバーが車両に取り付けて出走していたという。拡大
全長350mにおよぶグランドスタンド。赤い矢印の部分に、2016年5月に開設80周年を記念して多摩川スピードウェイの会と川崎市によって埋め込まれたプレートがある。
全長350mにおよぶグランドスタンド。赤い矢印の部分に、2016年5月に開設80周年を記念して多摩川スピードウェイの会と川崎市によって埋め込まれたプレートがある。拡大
80周年記念プレート。プレートと周囲のわずかなコンクリートのみ切り出されて保存されるとのこと。
80周年記念プレート。プレートと周囲のわずかなコンクリートのみ切り出されて保存されるとのこと。拡大
85年もの長きにわたって風雪に耐えてきたコンクリート製のグランドスタンド。ところどころに近年に施された補修の跡はあるものの、まだまだ寿命はあるように思えるが……。
85年もの長きにわたって風雪に耐えてきたコンクリート製のグランドスタンド。ところどころに近年に施された補修の跡はあるものの、まだまだ寿命はあるように思えるが……。拡大

感慨深い再訪

1936年にアジア初の常設サーキットとして開場してから85年を経た今なお、ほぼ当時のままの姿を残しているコンクリート製のグランドスタンド(観客席)。去る2021年8月にデイリーコラムでお伝えしたように、この世界的にも希少な存在が、国土交通省京浜河川事務所(以下国交省)による多摩川河川敷の堤防強化工事の一環として、取り壊しの危機にひんしていた。かねてこのグランドスタンドを産業遺産および文化財として保存すべく活動してきた任意団体「多摩川スピードウェイの会」では、同10月に着工予定という国交省に対し、治水事業と観客席の保全の両立が図られるべきとの観点から工事計画の見直しについて交渉してきた。

その後の経緯について簡単にまとめると、同会から国交省に提出された代替工法案については、国交省から不可との正式回答があったため、観客席の全面保全は断念。次なる案として提唱した、新たに建設される堤防上への部分移設(観客席の一部を切り出して再設置する)については、国交省としては工事・維持管理を行わないものの、川崎市が行うならば協力可能との返答があった。これを受けて、同会は部分保全について川崎市と交渉を行ったが、市としては工事・維持管理ともに行わないとの正式回答があった。かつて行政ビジョン「新・多摩川プラン」に観光資源としての跡地の保存を明記していた川崎市の返答に同会は困惑したが、これ以上交渉しても無駄と判断。それでも同会は、民間の協力による自力での部分移設の可能性にかすかな望みを持っているというが、残された時間があまりに短く、現実的には非常にむずかしい。なお国交省によれば、10月18日には工事の準備のためにグランドスタンドへの立ち入りが制限され、翌11月の初旬には取り壊し開始の予定とのことだ。

そうした状況のなか、同会ではこれが見納めとなる可能性の強い記念撮影会を実施した。グランドスタンド前に置かれたのは、1936年6月7日に多摩川スピードウェイのこけら落としとして開かれた第1回全日本自動車競争大会で総合優勝した1929年「インヴィクタ4-1/2リッター」。この車両がたどった道のりも誠にまれである。英国製の高級車で、1930年に輸入された当初は4ドアのツアラー(ほろ型)として都内で実用に供されていたが、レーシングカーに改造されて多摩川のレースに出走。戦後の1955年、都内にほとんど残骸の状態で放置されていたものを『CAR GRAPHIC』名誉編集長の小林彰太郎氏が発見。1958年にアメリカにわたった後、1981年に現地で復元が完了。その後1988年に日本に再上陸したが、2003年にはドイツにわたる。そして2016年、三度日本の土を踏み、現在に至る。この数奇な運命をたどったインヴィクタが多摩川の地に戻るのは、1938年4月17日開催の第4回全国自動車競走大会以来というから、実に83年ぶり。決して望ましい状況ではないが、なんとも感慨深い再訪となったのだった。

10月とは思えない強い日差しのなか、グランドスタンド前にたたずむインヴィクタを眺めていると、80数年前にこの地を揺るがしたであろうレーシングカーの爆音と数万人にもおよんだという観客の歓声が聞こえてくるような気がした……などということは現実主義者の筆者にはなかったが、あと10日ほどでこの光景が見られなくなるのは、悲しいことだが現実として受け止めなくてはならないのである。

(文と写真=沼田 亨)

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