増岡浩“パリダカ”優勝報告会開かれる
2003.01.31 自動車ニュース増岡浩“パリダカ”優勝報告会開かれる
2003年1月1日から19日まで開催された「テレフォニカ・ダカール2003」(通称パリダカ)を制した、「チームENEOS三菱ラリーアート」の増岡浩の総合優勝報告会が、1月30日、都内ホテルで行われた。
前回大会に続く2連覇を達成した増岡をはじめ、コドライバーのアンドレアス・シュルツ、総合2位に入ったジャン・ピエール・フォントネとその相棒のジル・ピカールらが参列、栄誉をたたえられた。
■我慢で得た2勝目
「過去2年間、ビジネスの再構築に取り組んできた三菱にとって、今回の勝利は、将来の(会社の)成功のシンボルとなるだろう」。
三菱自動車のロルフ・エクロート社長がこう語った増岡の“パリダカ”2連覇と、三菱車の1-4位独占は、苦しい経営状態に直面している同社にとって、久々に明るい話題となった。
長年、三菱のパリダカ活動の顔だった篠塚建次郎が日産へ移籍。新しいエースとなった増岡にとって、今回のラリーは我慢の連続だったという。
最大のライバルは、今年から本格参戦をはじめた日産、フォルクスワーゲンやBMWではなく、自らのチームメイトで、2輪で6勝した経歴をもつステファン・ペテランセルだった。
ペテランセルは、ヨーロッパステージ2日目で早くもトップに浮上。アフリカに入っても勢いは衰えず、5日目に増岡に首位を譲ることがあったが、その名前は常にタイミングボードの最上に位置していた。
2位で追いかける増岡との差は、日がたつにつれ徐々に開いていき、終盤には30分近くも離されてしまった。
「リビア砂漠では、見えないところでもアクセルを開けていかないと、勝てないでしょう。私の今後の課題でもあると思います」、増岡は謙虚に自分の弱点を認めた。
そして、「ポジション(2位)をキープして間違いなく走るのがゴールするまでの大切な役割」と、チームプレイに徹する覚悟を、ラリー中口にしていた。
大会も残り2日、事実上最後のSS(競技区間)でドラマは起きた。365kmのステージで、順調だったペテランセルのパジェロエボリューションがオイル漏れを起こし、2回ストップ。この時点で1位の座を守っていたが、ゴールまであと50kmという地点で痛恨のクラッシュ、岩にぶつかりサスペンションを壊してしまった。
勝利へのプレッシャー、そして追い上げてくる増岡の存在、ペテランセルの4輪初制覇は夢に終わり、我慢に耐えた増岡がビクトリーレーンに登った。初優勝の時は涙にくれていたが、2回目は、笑顔で声援に応えていた。
■復活のイメージ
仏マルセイユからエジプトのシャルム・エル・シェイクまで、SS区間5257km、総距離8576kmで争われたアフリカン・ラリーレイド。結果は、三菱車の1-4位独占となったが、三菱にとって増岡が勝ったことの意味は大きい。
前述のエクロート社長の言葉通り、三菱は経営基盤再建の真っ只中。モータースポーツ活動も、2003年は世界ラリー選手権(WRC)を休業しており、パリダカは唯一残された晴れ舞台といえる。
「スリーダイヤ復活」のイメージは、日本人ドライバー優勝により、世界へと伝わる・・・三菱にとって願ってもいない展開で、25回目のパリダカは幕を閉じた。
(webCG 有吉)
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