第323回:エディター、小林さん、彰ちゃん
― 「最後の部下」による小林彰太郎氏の思い出 (前編)
2013.11.22
マッキナ あらモーダ!
面接会場での出会い
小林彰太郎氏逝去の知らせを聞いてから、ボクの脳裏にはさまざまな思い出が走馬灯のように駆け巡った。
ただし小林さんと自動車については、ボクは記さない。小林さん自身が人生のすべてを捧げた対象はあまりに奥深く、かつ自動車を通じて、ボクとは比べ物にならないくらい小林氏と深いおつきあいがあった方々が数多くおられるからだ。
以下は、かつて最後の直属の新米編集記者として、小林氏と身近に接することができた筆者の追想である。
今風にいうところの“生・小林彰太郎”に初めて出会ったのは1988年、ボクが音楽大学の4年生のときだった。卒業を前に、愛読書だった自動車雑誌『カーグラフィック』(CG)に載っていた編集スタッフ募集に応募したのだ。
東京・神楽坂の日本出版クラブ会館における役員面接でのことである。当時編集長だった小林氏は、出版元であった二玄社の常務として、他の役員とともに並んで座っていた。
はじめに志望動機を聞かれたボクは、「小林編集長とジャガーのジョン・イートン会長との対話が新型車の改良に生かされたように、明日のクルマづくりに貢献できるような雑誌を作りたい」と、血気盛んに答えた。
ところが続く小林氏の質問はといえば、まったく関係ないものだった。
「雑誌づくりというものは、かなりのハードワークです。箸より重いものを持ったことがありますか?」
あとで考えれば、きゃしゃな音大生青年を見て、これで務まるのかと疑問をもたれたことが容易に想像できた。
しかし、その日のボクはといえば、とっさに「オーケストラの授業の前に、指揮台運びとかやっています!」と、なんともとんちんかんな返答をしてしまった。
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ウイークデイの「小林さん」
それでも後日、今度は高島鎮雄副編集長(当時)による最終面接を経て、ボクは二玄社に採用されることになった。
ボクが配属されたのは、当時創刊準備中だった季刊誌『SUPER CG』の編集部だった。編集部といってもまだ独立した部屋を与えられておらず、他チームと相部屋だった。他チームとは、ひとつは別冊単行本編集部で、もうひとつは『カーグラフィックTV』だった。これまでテレビの中の存在だった田辺憲一氏が、向かい合わせの席にいた。
小林氏はといえば、ボクが入社したのと同じ1989年4月に、『カーグラフィック』誌の編集長を熊倉重春氏に譲り、「編集総局長」という新しいポストに就いた。二玄社の自動車関連出版物すべてを統括するのが仕事だった。
しかし、新創刊『SUPER CG』の立ち上げに深く関与することになったため、小林氏は頻繁に編集部に訪れた。
小林氏の身のこなしは静かすぎて、たびたびボクの背後を通って入室してきても、わからなかった。だが小林氏が担当する長期テスト車がアルファ・ロメオの最新高級車「164」になると、氏のジャケットに移ったアルファの室内の良い香りが拡散して、氏が通ったことを察したものだ。
こうしていきなり雲上人と仕事をすることになったボクだが、いっぽうで驚いたのは、社内における小林氏の呼び方だった。社内全員が「小林さん」と呼んでいたのだ。
雑誌のなかでは専ら「エディター」と記され、社内的には常務だったにもかかわらず、ちまたに何千万といる「小林さん」と同じ呼ばれ方とは。最初は開かれた社風をアピールする演出か? と疑ったが、実際はまだCG編集部が小所帯だった頃の名残だった。
そればかりか、一部のスタッフからは、陰で「彰ちゃん」と呼ばれていたのには驚いた。まあ、これは1本上げた指を軽く曲げながら話す物まねとともに、小林氏本人も知って楽しんでいたに違いない。ということで、ここからは当時呼び慣れた小林さんと記すことにする。
小林さんのウイークデイにおける持ち物は、極めて質素だった。入社早々「これが一番書きやすい」と薦めてくれたのは、ベーシックを絵に描いたような、黄色いボディーのBicのボールペンだった。腕時計もシンプルだった。ボクが働いていた時代、小林さんが巻いていたものは、欧州のブガッティクラブのロゴが入った、限りなくスウォッチ的なものだったり、当時欧州の空港で免税品店に行けばどこでも売っていた、カラフルなプラスチックボディーのタグ・ホイヤー「フォーミュラ1」だった。
服装に関しても徹底的な英国趣味を貫いているかのように誤解する読者が少なくなかったが、実は最も愛用していたチェックのジャケットは、軽くしなやかな生地のミラ・ショーンだったのを覚えている。
うわべの「ブランド」や「格」などに頼らなくてもよい、本当の風格を備えた紳士であった。
服といえば、あるとき、小林さんが運転するクルマにうっかりカーディガンを忘れてしまったことがあった。驚いたことに翌日そのカーディガンは、席を外している間にボクのデスクの上に置かれていた。それも店で陳列されているがごとくきっちりと畳まれていた。小林さんの性格がうかがえた。ちなみに家に帰ってそれをボクの母親に話したら、「上司の方に、そんな丁寧に畳ませるなんて、なんていうこと!」とひどく怒られたものだ。
毎日がトレーニング
と、賞賛したあとでなんだが、小林さんは豊富な知識をもちながら、ささいなことには頭脳の記憶容量を割かない人でもあった。その好例がホテルの名前である。インタビューの席をアレンジするとき、たびたびボクに「それなら“金大中ホテル”でやるか」と毎回告げたものだ。小林さんの頭のなかで、金大中ホテルとは、かつて金大中事件が発生した九段のホテル「グランドパレス」を指していた。
それどころか、ボク自身についても、入社面接時のか弱げなイメージがしっかりと固定されてしまっていたようだ。他の人々に「彼は、女ばっかりのきょうだいのなかで育ったんです」とたびたび紹介した。言っておくが、ボクに兄弟姉妹はおらず、一人っ子である。さらにボクがカゼをひいて休んだりすると「キミは虚弱体質だからな」と笑われた。こちらこそ、小林さんの健康を常に気遣っていたのだが。
いつかあの世でボクが小林さんに出会ったときも、「金大中ホテル」「女きょうだい」「虚弱体質」で終始貫かれるのは、今から目に見えている。
陸路の出張では、よく交代で運転手役をさせられた。新入社員が、今でいうカリスマ自動車誌編集長のドライバーをやらされるのは、かなりのプレッシャーであった。
「もっと下のギアで引っ張りなさい」といったことから「もっとセンターライン寄りに走りなさい!」といったことまで、さまざまな教育的指導が頻繁に助手席から飛んだ。
やがて、小林さんがうたた寝をして起きたときは必ず、「2台前のクルマを見て走りなさい! そうすれば、かなり追突は防げる」など、ひとこと言うことがわかってきた。当時は「寝ていたことの照れ隠しじゃないかよ」と心の中で憤慨したものだ。だが今になってみれば、今ボクが住むイタリアの混乱極まるトラフィックのなかで17年も無事故でこられたのは、この「2台前」を小林さんに刷り込まれたからに違いない。
小林さんとのドライブ中は、クルマ以外のさまざまなことも教わった。たびたび言われたのは、「ジャーナリストというのは素晴らしい仕事である」ということだった。王様とも、ホームレスの人とも対等に話せる唯一の職業だ、というわけだった。それを例の指を1本突き上げるスタイルとともに話すときの小林さんの誇らしげな姿を思い出しながら、本文をしたためていたら、いやはや涙が出てきた。
ただし当時はそんな言葉をかみしめている暇はなかった。外国人が同席している場所で、ボクが小林さんに何かを長々と話していると、小林さんはすかさず「今キミが言ったことを、英語で説明してみなさい」などと指示が飛んだものだ。毎日がトレーニングである。
かくして、小林さんのもとでの新米編集記者生活が始まった。(後編につづく)
(文=大矢アキオ<Akio Lorenzo OYA>/写真=大矢アキオ<Akio Lorenzo OYA>、ラムダインク)
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大矢 アキオ
Akio Lorenzo OYA 在イタリアジャーナリスト/コラムニスト。日本の音大でバイオリンを専攻、大学院で芸術学、イタリアの大学院で文化史を修める。日本を代表するイタリア文化コメンテーターとしてシエナに在住。NHKのイタリア語およびフランス語テキストや、デザイン誌等で執筆活動を展開。NHK『ラジオ深夜便』では、25年間にわたってリポーターを務めあげる。『ザ・スピリット・オブ・ランボルギーニ』(光人社)、『メトロとトランでパリめぐり』(コスミック出版)など著書・訳書多数。近著は『シトロエン2CV、DSを手掛けた自動車デザイナー ベルトーニのデザイン活動の軌跡』(三樹書房)。イタリア自動車歴史協会会員。
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