「JAIA 50th 特別記念展示 ~日本が出会った名車たち~」
2015.02.17 画像・写真2015年2月3日から5日までの3日間、神奈川県大磯町の大磯プリンスホテルで、毎年恒例の日本自動車輸入組合(JAIA)の主催によるメディア向けの合同試乗会が開かれた。海外の自動車メーカーと直接輸入契約を結ぶインポーターによって構成される、非営利法人であるJAIAの設立は、自動車の輸入が自由化された1965年。つまり今年で設立50周年を迎えるが、その記念事業の第1弾として、合同試乗会の会場にて「JAIA 50th 特別記念展示 ~日本が出会った名車たち~」が実施された。会場に展示された50年の歴史を彩った代表的なモデル13台を、写真で紹介しよう。(文と写真=沼田 亨)

会場入口に掲げられたサインボード。
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会場入口に掲げられたサインボード。
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屋内会場には11台が展示された。
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1952年「フォルクスワーゲン・タイプ1」。ドイツ語で国民車を意味する車名のとおり世界中に浸透した、フェルディナント・ポルシェ博士設計の小型実用車。日本へはヤナセによって53年から正規輸入されたが、この個体はその前年にサンプル輸入されたもの。今年、ヤナセが創立100周年を迎えるにあたって当時の状態に復元された。
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スプリットウィンドウと呼ばれる2分割式のリアウィンドウは、この1952年モデルまで。翌53年からはオーバルウィンドウと呼ばれる楕円(だえん)の1枚窓になる。エンジンは空冷水平対向4気筒1131ccで、最高出力25ps。
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1972年「ジャガーXJ6 4.2 シリーズ1」。英国の伝統とエレガンスを体現した高級かつ高性能なサルーンとして高い評価と人気を獲得した初代「XJ」のなかでも、ひときわ繊細で美しいシリーズ1。絶妙な乗り心地とスポーティーな操縦性を両立させたシャシー性能、優れた静粛性は高級サルーンの新たなスタンダードを築いた。
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1980年「フォルクスワーゲン・ゴルフE」。空冷リアエンジンから水冷エンジンによるFFへというドラスティックな転換を果たして74年に誕生した「ビートル」の後継車。ジウジアーロの手になる簡潔ながら機能美あふれるコンパクトなボディーに、5人の乗客に十分な居住空間と荷室を確保したパッケージング、優れた走行性能と経済性でFFハッチバックのベンチマークとなった。
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1987年「BMW 320i」。82年に登場した2代目「3シリーズ」。コンパクトなサイズに高品質でスポーティーなBMWの魅力を凝縮。2/4ドアセダンからカブリオレ、BMW初となるワゴンや4WD、グループAレース用ホモロゲーションモデルの「M3」まで車種も豊富で、日本ではバブル期に“六本木カローラ”と異名をとるほどのヒット作となった。
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1993年「メルセデス・ベンツ190E」。日本の5ナンバー規格に収まるボディーサイズを除いては、スタイリング、品質、走りなどすべてが上級モデルと同じメルセデス基準で作られたコンパクトセダンとして82年にデビュー。日本では“小ベンツ”と俗称され、人気を博した。
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1989年「ポルシェ911ターボ(930)」。北米カンナム選手権を制覇したターボ技術を導入した、ポルシェ初の市販ターボ車として75年に発売。最高速度250km/h、0-100km加速5.2秒という高性能はもとより、エアコンなど快適装備も充実、スポーツカーの新次元を切り開いた。この個体は930ボディーの911ターボの最終型である。
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1993年「プジョー205GTI 1.9」。コンパクトでチャーミングなボディー、SOHCながらレスポンスの鋭いエンジンと俊敏なハンドリングがもたらす痛快な走りが魅力のホットハッチ。堅実だが地味というプジョーのイメージを塗り替え、日本においてはブランドの知名度向上に大きな役割を果たした。
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1995年「ボルボ850エステート」。世界初の横置き直5エンジンによるFFに転換して91年に登場した新世代ボルボの先兵。スクエアなフォルムを残しつつ格段にスタイリッシュになり、先代となる「240」や上級の「740/760」から始まったエステートの人気がブレイクし、ワゴンブームを巻き起こした。
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2005年「アウディTTクーペ」。その後のアウディはもちろん他社のデザインにまで影響を与えた、円をモチーフとしたバウハウス風の独特なスタイリングを持つ、アウディブランドとしては初のスポーツカーで、1998年にデビュー。ターボエンジンとクワトロシステムによる安定感のある走りで、新たなジャーマンスポーツ像を提示して見せた。
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2003年「アルファ・ロメオ147 2.0TS」。1940年代末の「6C2500 ヴィラデステ」から引用したというクラシカルな顔つきを持った欧州Cセグメントのハッチバックで、2000年に登場。車体剛性や仕上げはベースとなった上級の「156」を凌(しの)ぐほどで、アルファが自らうたっていたプレミアムコンパクトとして成功を収めた。
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1969年「シトロエンDS21パラス」。55年の誕生から60年を経過した今なお未来的に映る、宇宙船を思わせる空力的なボディーに、オイルと窒素ガスによるハイドロニューマティック・サスペンションなど独創的な機構を満載。シトロエンの前衛性を見事に商品性に転化した異色の名車。凝った設計ながら20年間に140万台以上作られ、タクシーや特装車のベースカーなどにも使われた。
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1989年に公開された映画『バック・トゥ・ザ・フューチャー PART2』の舞台は2015年という設定だったが、街を走るタクシーはこの「シトロエンDS」をベースにしていた。だが、クルマに詳しくない人の目には、未来をイメージしたオリジナルの劇用車と映ったのではないだろうか。少なくとも、公開当時から30年以上前に誕生したクルマとは思わなかっただろう。
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屋外の特設テントには、特大サイズの2台を展示。これは世界に冠たるGMの、アメリカの富と権力を象徴する最高級車だった1967年「キャデラック・ドヴィル コンバーチブル」。全長5.7m、全幅2mの巨大なボディーに7リッターV8エンジンを搭載、エアコンや各種パワー装置をフル装備していた。
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当時のアメリカでは、この巨大なキャデラックがブランド全体で年間20万台近く売れていた。恐るべき購買力、消費力である。
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もう一台は1972年「メルセデス・ベンツ600リムジーネ」。メルセデスの威信を懸けて63年に登場した、当時もっとも速く、安全かつ豪華な世界最大級のサルーン/リムジン。長大なボディーにメルセデスが誇る最先端の技術を満載。戦前のグローサー・メルセデスの再来と呼ばれ、世界中の王侯貴族やVIPに愛用された。この個体はヤナセ2代目社長の故・梁瀬次郎氏が愛用していたもの。
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これはホイールベース3.2m、全長5.5mで5/6座のリムジーネ(サルーン)だが、ほかにホイールベース3.9m、全長6.2m以上で7/8座のプルマン(リムジン)も存在した。
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「輸入車が憧れだった時代」「輸入車 メジャープレーヤーを目指して」「ブランドバリューへの回帰」「エポックメイキングな輸入車たち」という、展示車両がゾーニングされた4つのテーマを解説したパネル。