クラシックカーラリー「コッパ ディ 小海」参加車両
2015.04.20 画像・写真2015年4月11日、12日の2日間、長野県南佐久郡小海町にある小海リゾートシティ・リエックスをベースとして、恒例のクラシックカーラリー「コッパ ディ 小海」が開かれた。今では数多くの類似したイベントが開催されているが、その先駆けとなるコッパ ディ 小海は、今回、1991年の初回から数えて25回目を迎えた。その記念すべき節目に参加した車両は、1920年代から70年代までのおよそ60台。プログラムは初日が風光明媚(めいび)な八ケ岳周辺の全行程約204kmのコースで走りの正確さを競うレギュラリティーラリーで、2日目は小海リエックス内のクローズドコースにおけるヒルクライム競技と周辺約52kmのツーリング。すっかりおなじみとなった内容だが、毎回異なるルート設定によってマンネリに陥ることもなく、それが長年にわたって参加者を引きつける魅力となっている。そんなイベントの様子を、参加車両を中心に紹介しよう。(文と写真=沼田 亨)

初日の午前10時、小雨と霧の中をラリーがスタート。カーナンバー1をつけた1922年「ブガッティT13ブレシア」に、2台の戦前型ブガッティが続く。
-
初日の午前10時、小雨と霧の中をラリーがスタート。カーナンバー1をつけた1922年「ブガッティT13ブレシア」に、2台の戦前型ブガッティが続く。
-
1960年「アルファ・ロメオ・コンレロ」。アルファ・ロメオのチューナーとして名高いコンレロが手がけた、60年のルマンに出場歴があるレーシングスポーツ。
-
1955年「アストンマーティンDB2/4」。直6 DOHCエンジン搭載のDBシリーズ最初のモデルである2座クーペの「DB2」を2+2に改めたモデル。
-
往年のフランス車特有のイエローバルブのヘッドライトをともした1963年「ルネ・ボネ・ミシル」。ルノー製の845cc直4エンジンを搭載した軽スポーツである。
-
たたずまいが幻想的なムードを醸し出す1972年「シトロエンSM」。霧の中がこれほど似合うクルマもないだろう。
-
雨があがり、ドライコンディションとなった女神湖畔を行く1950年「シアタ750S MM」。俗に「虫」と呼ばれるイタリア製軽量スポーツカーのひとつで、独自の750cc直4 DOHCエンジンを搭載。
-
1952年「エルミニ1500S」。ほかのイタリアン・バルケッタと同様にフィアットのコンポーネンツを流用しているが、エンジンは自製のツインカム。
-
1961年「アルファ・ロメオ・ジュリエッタSZ」。コッパ ディ 小海に初回から参加し、顧問を務めていた故・小林彰太郎氏の愛車。ご子息の大樹氏がドライブした。
-
1967年「フィアット・ディーノ・スパイダー」。量産エンジンがベースと定められたF2用エンジン規定を満たすため、フェラーリが開発したV6を量産すべく生まれたモデル。ピニンファリーナが手がけたボディーに、「ディーノ206GT」用をデチューンしたDOHCの2リッターV6を積む。
-
上品なライトグリーンに塗られた1948年「チシタリア202SC」。MoMA(ニューヨーク近代美術館)に永久保存されていることで知られるイタリアン軽スポーツ。ボディーワークはピニンファリーナ。
-
1967年「フィアット850スパイダー」。大衆車である「850ベルリーナ」のシャシーにベルトーネ在籍時のジウジアーロが手がけたボディーを載せた、オシャレな軽スポーツ。
-
参加車両中、最も新しいモデルだった1975年「ランチア・ストラトス」。それでも車齢40年である。
-
1953年「DB HBR」。「パナール・ディナ」用の745ccフラットツインを搭載したフレンチ・レーシングスポーツ。ルマンやミッレミリアで好成績を残している。
-
1969年「ポルシェ911E」。初日のレギュラリティーラリーで1位を獲得、2日目のヒルクライムを合わせた総合成績でも優勝を果たした。
-
レギュラリティーラリーでゴールインする、コーダトロンカのテールを持つ1964年「アルファ・ロメオ・ジュリアTZ」。
-
朝から快晴となった2日目、小海リエックス内で行われたヒルクライムを走る1969年「ディーノ206GT」。ボディーは総アルミ製で、生産台数152台という希少なモデル。
-
1954年「フィアット1100TVピニンファリーナ」。主力車種だった4ドアセダンの1100の高性能版である1100TV(ツーリズモ・ベローチェ)のシャシーにピニンファリーナ製クーペボディーを架装。フロントグリルに“TV”の文字がデザインされている。
-
1952年「パナール・ディナ・アレマーノ」。745cc空冷フラットツインを積んだ「パナール・ディナ・ユニオール」のシャシーに、ミケロッティがデザインしてアレマーノが製作したボディーを載せた仏伊混血の希少車。
-
1965年「マトラ・ボネ・ジェット」。世界初の市販ミドシップスポーツである「ルネ・ボネ・ジェット」の製造元を買収したマトラが、自社名を冠して再リリースしたモデル。
-
1949年「ヒーレー・シルバーストーン」。オースチン・ヒーレーで知られるドナルド・ヒーレーが、自身の名の下に製作したスポーツカー。生産台数104台という希少車で、ライレー製2.4リッター直4エンジンを搭載。
-
最後の走行プログラムである小海リエックス周辺のツーリング。1963年「フィアット・アバルト850TCニュルブルクリンク」に2台の「アルファ・ロメオ・ジュリエッタ・スパイダー」と「ポルシェ356」が続く。
-
1954年「オースチン・ヒーレー100」。車名からハンドレッドと俗称される、2.7リッター直4エンジンを積んだオープンスポーツ。タフでラリーでも強みを発揮した。
-
雪の残るコースに映える1971年「ルノー8ゴルディーニ」。続くのは、参加した唯一の日本車だった「マツダ・コスモスポーツ」。
-
1967年「パナール24BT」。世界最古の自動車メーカーのひとつであるパナールの最後のモデル。全長4260mm、全幅1624mmというボディーに対して、エンジンはわずか848ccの空冷フラットツイン。
-
小海リエックスの駐車場に並んだ参加車両の一部。