「ジャパン・ロータスデー2011」(後編)
2011.11.02 画像・写真2011年10月29日、静岡県小山町の富士スピードウェイで「ジャパン・ロータスデー2011」が開催された。これはロータスの輸入元であるLCI(エルシーアイ)が企画・実施するロータス愛好家のための公式イベントで、2009年9月に第1回が開かれた。
初回にもかかわらず700台ものロータスが集まる盛況ぶりで、昨年10月に2回目の開催が予定されていたが、台風の影響により中止。今年4月に仕切り直しされたものの、今度は東日本大震災により中止を余儀なくされた。そして今回、「三度目の正直」としてようやく2回目の開催に至ったわけである。まだ白い冠のない富士山をくっきりと望む、絶好のイベント日和に恵まれた会場には、全国から約550台の新旧ロータスが集合。初回よりは少なかったものの、インポーターやショップの展示車両と合わせて、およそ600台の新旧ロータスがパドックを埋めた。
「走り」のブランドであるロータス、そして会場がサーキットとなれば、イベントのプログラムは当然ながらサーキットランが中心。タイム計測付きのスポーツ走行をはじめ、体験走行、ワンメイクレース「ロータスカップ」の特別戦、F1を含むヒストリックマシンのデモラン、そしてラストのパレードランに至るまで、メインコースには一日中エグゾーストノートがとどろいた。その会場から、印象的なマシンを中心に紹介しよう。
(文と写真=沼田 亨)(前編はこちら)

ロータス好きの間では「26R」のタイプ名で呼ばれる1964年「ロータス・レーシング・エラン」。標準でも600kgちょっとだった「エラン」のボディーをさらに軽量化してサスペンションを固め、高度にチューンされた1.6リッターのロータス・ツインカムを積んでいる。
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ロータス好きの間では「26R」のタイプ名で呼ばれる1964年「ロータス・レーシング・エラン」。標準でも600kgちょっとだった「エラン」のボディーをさらに軽量化してサスペンションを固め、高度にチューンされた1.6リッターのロータス・ツインカムを積んでいる。
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レースの世界にスポンサーカラーを導入したロータスの、最初のスポンサーだったタバコメーカー「ゴールドリーフ」カラーをまとった1967年「ロータス47GT」。見た目は「ヨーロッパ」(タイプ46)とほぼ同じだが、リアサスペンションが変更され、1.6リッターのロータス・ツインカムを積んだ、特殊GTレース用の競技専用車である。
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テールウイングやフロントスポイラーを装着するなど、派手にモディファイされた1967年「ロータス47」。
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1963年「ロータス23B」。同年に開かれた第1回日本グランプリで、たった1.1〜1.6リッターながら、何倍も大きなエンジンを持つフェラーリやアストン・マーティン、ジャガーなどを抑えて1〜3位を独占し、日本人にレーシングカーと市販スポーツカーの違いをまざまざと見せつけたのがこのマシン。低い車高、ミドシップ、ほとんどロールしない姿勢などなど、すべてが驚きだった。
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1964年「ロータス30」。「エラン」で実績のあるスチール製のX型バックボーンフレームにFRP製のオープンボディーを着せ、フォード製の4.7リッターV8エンジンをミドシップしたグループ7のレーシングスポーツ。北米のUSRRC(後のカンナム)を狙ったビッグマシンだが、フレームの剛性不足などによって成績は芳しくなく、新興のローラやマクラーレンのライバルとはなり得なかった。
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350ps程度までチューンされていたという、フォード製4.7リッター(289立方インチ)V8 OHVエンジンを積んだ「ロータス30」。成績はパッとしなくても、日本ではタミヤ製のプラモデルやスロットカーのおかげで知名度は高かった。今回、個人的には見ることができていちばんうれしかったのが、この「30」である。
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1960年「ロータス18 FJ」。ロータス初のミドシップマシンだった「18」。この個体は当時のレギュレーションに沿って1リッターエンジンを積んだFJ(後のF3)だが、「18」には1.5リッターの「F2」、そして2.5リッターを積んだトップカテゴリーの「F1」まで存在した。
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1962年「ロータス22」。先の「18」から2年後の「FJ」だが、ボディーカウルが角張っていた「18」に対して、だいぶスリムになったことがわかる。
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1965年「ロータス35 BRM」。50年代から70年代にかけて、シャシーとエンジンの双方を製作するフルコンストラクターとしてF1に参戦し、また一時期はロータスにもエンジンを供給していた「BRM」(ブリティッシュ・レーシング・モータース)製の1リッター・ツインカムユニットを積んだ、希少なF2マシン。
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1968年「ロータス51」。67年に入門者向けシングルシーター・レースとして始まったフォーミュラ・フォード用のマシン。コストを抑えるために、エンジンは「フォード・コーティナGT」用のOHV1.5リッターをストックのままで使用し、ホイール/タイヤも量産車用と規定されていた。なお、この個体は本来の仕様よりチューンが高められているようだ。
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1969年「ロータス59」。68年のインディ500に出走した「56」に始まる、ウエッジシェイプを採用したボディーカウルを持つF3で、69年当時、生沢徹やエマーソン・フィッティパルディがこれでイギリスF3を戦っていた。その年のF3王座を獲得したフィッティパルディは、翌70年にチーム・ロータスに加入。71年にはF1にステップアップを果たし、72年と74年にF1チャンピオンに輝くのである。
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1967年「ロータス41C」(前)と1969年「ロータス59」の、F3同士のバトル。ブリティッシュレーシンググリーンにイエローのチームカラーをまとった葉巻型から、スポンサーであるゴールドリーフカラーに塗られたウェッジシェイプへ。2台の間に横たわる2年の間に、大きな変化があったことがわかる。
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往年の2台のF1マシンもデモランを行った。左はジャッド製の3.5リッターV8を積んだ1989年の「ロータス101」、右は81年シーズン用に開発されたものの、画期的なアイデアだった「ツインシャシー」がレギュレーション違反とされ、一度も実戦を走らなかった「ロータス88」。
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ピットアウトしていく、世界に2台しかないという「ロータス88」。「ツインシャシー」とは、通常のシャシー(セカンダリーシャシー)と、グラウンドエフェクトを発生させるボディーカウル(プライマリーシャシー)を分離し、双方をスプリングダンパーを介してマウントした構造である。
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ストレートを疾走する「ロータス88」。貴重なマシンといえども、オーナーはけっこうなペースで走らせていた。
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ヘアピンを抜けて300Rに向かう「ロータス101」。現役当時のドライバーはネルソン・ピケと中嶋悟だったが、成績は奮わず、どちらも最高位は4位だった。だが、中嶋はその4位に入った最終戦のオーストラリアGPで、彼自身にとってF1では唯一となったファステストラップを記録している。なお、カーナンバー11はピケの仕様である。
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デモランを終えた「ロータス88」に、熱心に見入るギャラリー。来場者は誰もがピットに入場可能で、至近距離からマシンを眺めることができた。
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サーキット走行のほかにも、会場内ではさまざまなプログラムが実施されていた。これは駐車場の特設コースにおける「ドキドキ同乗体験走行」。「ケータハム・セブン」によるジムカーナに同乗するようなもので、かなりのスリルが味わえたことだろう。
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ラストのパレード走行を除き、メインコースにおける最後のプログラムとなったサーキット走行初心者による「ロータス・チャレンジB」。「エキシージ」をはじめとする30台以上のマシンが、すでに西に傾いた日を浴びながらコースインに備える。
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好天のため陽炎(かげろう)がゆらめくストレートエンド。「ロータス・チャレンジB」の参加車両が、逃げ水に姿を映しながら1コーナーに消えていく。