クラシックカーラリー「第18回コッパ ディ東京2024」の会場から
2024.11.29 画像・写真2024年11月23日、勤労感謝の日の恒例となっているクラシックカーイベント「第18回コッパ ディ東京2024」が開かれた。このイベントは晩秋の都内を設定ルートに沿ってクラシックカーで巡り、PC競技(例えば20mを5秒で、30mを6秒で走行といったふうに、決められた区間を指定時間にいかに近く走れるかを100分の1秒単位で競う)を行って走りの正確さを競うラリーである。首都圏では随一の希少なモデルが集まるイベントとしても知られるが、スタート/ゴール地点である東京・港区東新橋 汐留シオサイト5区イタリア街の汐留西公園には、“ゼロカー”ことカーナンバー0の先行車を含めて109台のクラシックカーが集合。なかには1928年のルマン24時間の優勝車である「ベントレー 4-1/2リッター オールド・マザー・ガン」など超希少車の姿もあった。
ラリーのルートは、まず汐留西公園をスタートした直後にPC競技を行い、日比谷や九段を経て最初のチェックポイントである神田明神で交通安全のおはらい。その後に上野、浅草を通って2つ目のチェックポイントは柳橋。両国橋を渡ってから南下し、築地を経由して青山方面に向かい、国会議事堂の前を通って3つ目のチェックポイントはアルヴィスの霞が関ショールーム。そこから東京タワー周辺を経て、汐留西公園に戻ってくる全長約42kmだった。このイベントは雨にたたられることが少なくないが、今回は幸い絶好のイベント日和に恵まれ、たくさんのギャラリーが訪れ大盛況だったイタリア街周辺およびルートから、エントリー車両を中心に紹介しよう。
(文=沼田 亨、写真=沼田 亨、コッパ ディ東京 実行委員会)
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1/40スタート/ゴール地点となる汐留西公園。参加車両は熟練スタッフのスゴ技によって、間をどうにか人が通れるギリギリまで詰め込まれている。
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2/40今回の参加車両中、最もギャラリーの注目を集めた1968年「バンディーニ1300サロンチーノ」。スポーツクーペとのことだがレーシングカーにしか見えない。
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3/40「バンディーニ1300サロンチーノ」の後ろ姿。パワートレインを誇示するかのようにリアカウルの大半はスケルトン。
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4/40「バンディーニ1300サロンチーノ」のパワーユニット。ダウンドラフトキャブレターを備えた1.3リッター直4 DOHC。
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5/40午前9時30分、カーナンバー順にスタート! 1番は1926年「ブガッティT13ブレシア」。
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6/40今回はブガッティが8台も参加していた。カーナンバー7を付けたこれは1928年「T43グランスポルト」。
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7/40スタート直後の1937年「アルヴィス4.3リッター ヴァンデン・プラ ツアラー」。当時の仕様のまま現代につくられたコンティニュエーションシリーズ。
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8/40ギャラリーに見送られる1937年「フィアット508SベルリネッタMM」。
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9/40汐留西公園の裏手にあるJRの線路沿いの道を行く、これも今回の注目モデルである1927年「ベントレー4-1/2リッター オールド・マザー・ガン」。1928年のルマン24時間で優勝したマシンで、日本を代表するロールス・ロイス/ベントレーのエキスパートであるオーナーの涌井清春さんがドライブ。
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10/40線路沿いの道では、計時センサーが仕込まれたケーブルをタイヤで踏むことから、俗に“線踏み”と呼ばれるPC競技を実施。オフィシャルの指示にしたがって競技に臨む1951年「ジャガーXK120」。続くのは1959年「アストンマーティンDB2/4 Mk3ドロップヘッドクーペ」。
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11/401960年「ブリストル406」。2014年に亡くなったモータージャーナリストの川上 完さんがこよなく愛していたクルマ。
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12/401966年「ランチア・フルヴィア クーペ」のナビゲーターが、“線”を踏むタイミングを見極めるべく大きく身を乗り出している。
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13/401941年「キャデラック・フリートウッド60スペシャル」。小山のような巨体に5.7リッターV8フラットヘッド(サイドバルブ)ユニットを積む。
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14/401966年「アルファ・ロメオ・グランスポルト クアトロルオーテ」。イタリアの自動車専門誌『クアトロルオーテ』が企画した、往年の名車「アルファ・ロメオ6C 1750グランスポルト」の復刻版。ラダーフレームにザガートが2座オープンボディーを架装し、パワートレインなどは初代「ジュリア」系から流用している。
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15/40汐留イタリア街の周辺道路を、駐停車車両を縫うように走る1961年「マツダR360クーペ」。続くのは1948年「フィアット500Bザガート パノラミカ」。
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16/40東京駅を背景に行幸通りを行く、1960年前後のイギリス製オープン2座スポーツの代表的なモデルである「MGA」と「トライアンフTR3」。
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17/40最初のチェックポイントとなる、千代田区外神田にある神田明神。道路に面した隨神門前で゙交通安全祈祷(きとう)を受ける1961年「アルファ・ロメオ・ジュリエッタSZ」。
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18/40交通安全祈祷を終えてコースに戻る1974年「フィアット・アバルト124ラリー グループ4 ワークスカー」。
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19/40浅草・雷門前を人力車と並走する1966年「フォード・マスタングGT」、そして1973年「シトロエン・アミ スーパー」。
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20/402番目のチェックポイントにして最初のスタンプポイントとなる柳橋。正確には柳橋北詰(台東区柳橋)手前の神田川沿いの路地で、スタンプを押してもらっているのは1955年「メルセデス・ベンツ190SL」。
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21/40ドアを開けて、柳橋手前にある小松屋謹製のおみやげ(つくだ煮)をもらっている1959年「BMW 600」。「BMWイセッタ」から発展した4人乗りの四輪ミニカー。
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22/40小松屋の前を通って柳橋を渡ろうという1972年「アルファ・ロメオ・ジュニア ザガート1600」。
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23/40柳橋を渡る1967年「アルファ・ロメオ2600スパイダー」。トゥーリングデザインの4座コンバーチブルボディーに2.6リッター直6 DOHCエンジンを積む。
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24/40柳橋は区境にあり、南詰は中央区東日本橋となる。渡り切ったのは、非常に珍しい1968年「デイブリアン・インプMk5」。リアエンジンの小型車である「ヒルマン・インプ」のパワートレインを流用した英国製スペシャリストカー。橋上にいるのは1928年「ロールス・ロイス20HP」。
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25/401968年「プリンス・スカイライン2000GT-A」(S54A-3)を駆るのは、プライベートでも大変なクルマ好きとして知られるレーシングドライバーの松田次生選手。ちなみに2023年は通称ハコスカこと「日産スカイライン ハードトップ2000GT-R」(KPGC10)で参加していた。
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26/40柳橋から京葉道路に出ようとする1973年「アルファ・ロメオ・ジュリアスーパー ジャルディネッタ」。イタリアでは警察車両にも使われていた、初代ジュリアがベースの特装ワゴン。
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27/40これから両国橋を渡ろうという1956年「オースチン・ヒーレー100/4 Bn2」。ドライバーはクレイジーケンバンドの横山 剣さん、コドライバーは同バンドでサックス、フルートを担当する中西圭一さん。
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28/40ベルトーネ・デザインの1974年「ディーノ308GT4」。1976年からはフェラーリブランドに改められる。
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29/40国会議事堂から桜田門方面に向かう参加車両。1960年「メッサーシュミットKR200」に1960年「ハインケル・トロージャン200」などが続く。
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30/40定員6人をガッツリ乗せた1928年「ランチア・ラムダ ティーポ224」。『CAR GRAPHIC』名誉編集長の故・小林彰太郎氏はラムダを高く評価しており、「現代の路上でも実用になる」と語っていたが、それを表す図である。
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31/40最後のチェックポイント兼スタンプポイントが置かれた、アルヴィス霞が関ショールームの前を通過する1961年「BMWイセッタ ブライトン」。
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32/401959年「フィアット・アバルト750GT ザガート」を後尾に、スタンプポイントに並んだイタリアンレッドをまとった参加車両。
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33/40サンルーフからスタンプカードをスタッフに渡している1955年「イソ・イセッタ」。ライセンス生産された「BMWイセッタ」ではなく、イタリア製のオリジナルである。
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34/40イエローバルブのライトをともしてスタンプポイントを後にする1968年「ルノー8ゴルディーニ1300」。
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35/40ゴールである汐留西公園まで残すところ約1km、港区芝の増上寺前を行く1973年「シトロエンSM」。1959年「アルファ・ロメオ・ジュリエッタ スプリント」が続く。
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36/40アメリカ車が最もパワフルだった時代の1970年「シボレー・カマロZ28」。センターラインオーバーは駐車車両を避けるため。
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37/40後ろ姿が印象的な通称“Bullet Bird”、日本では“ロケットサンダー”こと1962年「フォード・サンダーバード」。
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38/40汐留西公園に戻り、スタートと同じようにゲートをくぐってゴールする、通称“デイトナ”こと1969年「フェラーリ365GTB/4」。
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39/40無事に全車フィニッシュしてイベント終了。野太い排気音を響かせて会場を後にする1955年「ポルシェ550RSスパイダー」。
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40/40西日をスポットライトのように浴びながら、帰路につく1927年「ベントレー4-1/2リッター オールド・マザー・ガン」。