「第7回 コッパ ディ 東京2014」イベントリポート
2014.11.27 画像・写真2014年11月22日、「第7回 コッパ ディ 東京2014」(7a Coppa di Tokyo 2014)が開かれた。すっかり恒例となったこのイベントは、晩秋の都内をクラシックカーで巡り、いかに設定タイムに合わせて走れるかを競うラリーである。2009年の第2回以来、汐留シオサイト5区のイタリア街をスタート/ゴール地点としていたが、今回はイタリア街は途中のPC(指示速度の測定区間)およびゴール地点となり、晴海埠頭(ふとう)からスタート。そして毎回異なるルートは、晴海~東雲~日本橋~イタリア街~日比谷~竹橋~九段坂上~湯島~上野~浅草~両国~辰巳~芝~イタリア街という全長約55kmだった。昨年に続いてすばらしい好天に恵まれ、オープンカーでも肌寒さを感じないほど気温も上昇したなか、1924年「ブガッティT13ブレシア」から67年「ダットサン・フェアレディ2000」まで約70台のエントラントは、ドライブを楽しみつつ、走りの正確さを競った。リポーターの印象に残った車両と光景を紹介しよう。(文と写真=沼田 亨)

今回のスタート地点である晴海埠頭に集まった参加車両。
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今回のスタート地点である晴海埠頭に集まった参加車両。
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今年3月に開通したばかりの、江東区豊洲と有明を結ぶ富士見橋を渡って進んでいく参加車両。2台の1960年「メッサーシュミットKR200」に66年「パナール24BT」、51年「パナール・ディナ」などが続く。
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最初のチェックポイントは富士見橋の袂(たもと)近くにある、こちらも9月にオープンしたての、ガレーヂ伊太利屋が経営する正規ディーラーであるALFA ROMEO/FIATお台場。到着したのは「ランチア・アウレリアB20 GT」。世界で初めてGTを名乗り、1951年に登場したモデルである。
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アウレリアに続くのは、今回の参加車中の白眉である1950年「フェラーリ195インテル」。48年に登場したフェラーリ初のグランドツアラーである「166インテル」の後継モデルで、1気筒あたり195cc、2.3リッターのV12エンジンを搭載する。生産台数27台という希少車で、トゥーリング、ギア、ヴィニャーレといったカロッツェリアがボディーを架装していた。これはトゥーリング・ボディーである。イベントを後援しているサンマリノ共和国大使館から、グランプレミオ・サンマリノ(サンマリノ大賞)が贈られた。
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女性ペアの乗る1964年「ジャガーEタイプ・ロードスター」。コッパ・シリーズでは女性ドライバーはさほど珍しくないが、ジャガーEタイプ、それもシリーズ1のロードスターをサラリと乗りこなすステキなレディーは初めて見た。
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1950年「シアタ750スポルト・コルサ」。シアタは戦前からフィアットベースのスペシャルを作っていたメイクで、これは自社開発の750cc直4 DOHCエンジンを積んだレーシングスポーツ。見事総合優勝に輝き、協賛企業であるムラキからクエルボ・イ・ソブリノスの高級腕時計が贈られた。
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1952年「DBセブリング」。フランス人のルネ・ボネ(頭文字B)とシャルル・ドゥーチェ(同D)が設立した、後のマトラのルーツとなる小型軽量スポーツカーメイクがDB。空冷フラットツイン745ccエンジンなどのメカニカルコンポーネンツは小型FF実用車の「パナール・ディナ」から流用している。
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2つ目のチェックポイントは、丸の内仲通りにあるヴァルカナイズ。英国の高級ブランドをそろえたショップの前でチェックを受けているのは、やはり英国生まれの1937年「モーガン3ホイーラー・スーパースポーツ」。モーガン3ホイーラーはこれを含め3台参加した。
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1965年「マトラ・ボネ・ジェット5」。前出のDBを作ったルネ・ボネが、シャルル・ドゥーチェと袂を分かった後にリリースした世界初の市販ミドシップスポーツが「ルネ・ボネ・ジェット」。その製造権を得たマトラが自社名を冠して再発売したモデルがこれで、ルノー製の1.1リッター/1.3リッター直4エンジンを積む。
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1966年「パナール24BT」。世界最古のメーカーのひとつだが、65年にシトロエン傘下となり、67年にはブランドが消滅したパナール最後のモデル。「シトロエンDS」にも通じる、いささか面妖だが当時としては空力的なボディーは全長4.2m以上、全幅1.6m以上あるが、エンジンはわずか848ccの空冷フラットツイン。お互いにソッポを向いたワイパーもユニークだ。
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1965年「マセラティ・セブリング Sr2」。カロッツェリア・ヴィニャーレが手がけた2+2ボディーに、50年代のF1およびスポーツカーレースで大活躍したレーシング・マセラティ直系となるダブルイグニッション(ツインプラグ)の3.5リッター直6 DOHCエンジンを積んだ大型高級GT。いうなれば今日の「グラントゥーリズモ」のルーツである。
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1969年「ジュリア1300TI」、60年と57年の「ジュリエッタ・スパイダー」と3台並んだ「アルファ・ロメオ」。ジュリア1300TIは家族4人そろって、59年ジュリエッタは夫婦で、57年は親子で参加していた。
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1963年「フィアット500コルタ」。ただでさえ小さいヌオーバ・チンクエチェントこと2代目フィアット500をさらに切り詰め、ルーフを取り去ったスペシャル。ドライバーが伊香保おもちゃと人形自動車博物館館長の横田正弘氏とあって、「おもちゃの自動車で参加?」の声が飛んでいた。しかし、この超ショートホイールベースのRR車をまっすぐ走らせるのは大変そうである。
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ルートは下町方面へ。靖国通り(国道14号)の両国橋付近を走る1960年「BMWイセッタ」と57年「ジャガーXK140フィクストヘッドクーペ」。排気量が10倍以上異なる2台(300ccと3.4リッター)が仲良くランデブー。
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両国橋からすぐ近く、隅田川と合流する直前の神田川に架かる柳橋を渡る、シャンパンゴールドのボディーが美しい1969年「マセラティ・ギブリ・スパイダー」。
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船宿やつくだ煮屋など江戸の風情が残る柳橋付近の光景のなかで、まるでタイムスリップしてきた宇宙船のように映る1974年「ランチア・ストラトス」。
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参加した唯一の日本車だった、型式名SR311こと1967年「ダットサン・フェアレディ2000」。エントリーリストには67年「ホンダS800」も記されていたが、出走しなかった。
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柳橋を渡ってきた、前出の「DBセブリング」のベースとなった1951年「パナール・ディナ」、68年「ポルシェ912タルガ」など。
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ゴールは例年ならばスタート地点でもある汐留シオサイト5区のイタリア街。1960年「アルファ・ロメオ・ジュリエッタ・スパイダー」がフィニッシュしたところ。
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ゴールから表彰式を終えて散会するまで、イタリア街にはたくさんのギャラリーが訪れにぎわった。