ヒストリックカーレース「第12回 フェスティバル・オブ・サイドウェイ・トロフィー」の会場から
2018.05.31 画像・写真2018年5月27日、千葉県袖ケ浦市の袖ケ浦フォレストレースウェイで、「第12回 フェスティバル・オブ・サイドウェイ・トロフィー」が開かれた。2012年11月から毎年春と秋に開催されているこのイベントは、ヒストリックカーレースの本場であるイギリスのイベントを範とする、四輪および二輪の旧車レース。レースとはいえ、順位やラップタイムだけにとらわれることなく、エントラントからギャラリーまで、会場に集うすべての人間が往年のスタイルを意識することで、あたかもタイムスリップしてしまったかのような雰囲気を醸し出すことを目的としている。参加資格は原則として1969年までに製造されたモデル(継続生産車含む)で、オリジナルの持ち味を壊すような改造は認めず、使用可能なタイヤはダンロップ製バイアスレーシングタイヤのみと規定されている。今回はレギュラープログラムの四輪および二輪のレースとパレード(走行会)に加え、初の試みとしてドライバー交代義務のある四輪の40分耐久レースが行われた。終日好天に恵まれ、和やかな雰囲気の中で安全かつ円滑にプログラムを消化した会場から、出走車両を中心に紹介しよう。(文と写真=沼田 亨)
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1/33開会式にて、左からレジェンドドライバーにして、イベントの名誉プレゼンターを務める生沢 徹さん、イベントを主宰する英国車専門店パルクフェルメ代表の金子 温さん、そして進行役を務めるモータースポーツジャーナリスト/レースアナウンサーの中島秀之さん。
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2/33ピットに並んだ参加車両。
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3/33日本有数のアルピーヌと「マツダ・ファミリア ロータリークーペ」の愛好家であり、アルピーヌでルマン・クラシックに、ファミリア ロータリーでスパ・クラシックに参戦歴もある加藤 仁さん(後列左から2人目)。今回はリアエンジン愛好家仲間の、日野コンテッサクラブ会長を務める鈴木陽一郎さん(後列左から3人目)と組んで40分耐久にエントリー。1970年代のマツダワークスのジャケットを複製したというチームウエアがイカしてる。
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4/33こちらは二輪のピット風景。
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5/33サラブレッド・グランプリ&ゴールデンエラ・トロフィーと題された、1950年以前のモーターサイクルと1962年以前の単気筒プロダクションレーサーによるレースの、コースインを待つ参加車両。
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6/33サラブレッド・グランプリ&ゴールデンエラ・トロフィーに出走した、四輪も含めた参加車両中、最も古い年式の1929年「ヴェロセットKTT Mk1」。
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7/33ブルックランズ&フレディー・ディクソン・トロフィーと題されたサイドカーレースにて、コーナーでアクロバティックな動き(体重移動)を見せるパッセンジャー。
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8/33初開催されたセブリング 40m トロフィー。1950~69年に造られた量産サルーンとスポーツカーによる、ドライバー交代義務のある40分耐久レース。これに「クレイジーケンバンド」の横山 剣さんとレジェンドドライバーの桑島正美さんのペアが、“黒い稲妻”の異名をとった往年の桑島さんのマシンのように真っ黒に塗られた1971年「BMW 2002」で参戦した。コースインしようというファーストドライバーの桑島さんを、剣さんとチームクルーがピットウオールから見送る。
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9/33セブリング 40m トロフィーは、セカンドドライバーがマシンに乗るファーストドライバーに駆け寄り、タッチしてから発進する変則ルマン式スタートを採用。F1では今年からいなくなった(モナコGPを除く)グリッドガールも、サイドウェイ・トロフィーでは健在だ。
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10/33変則ルマン式スタートで、マシンに駆け寄るセカンドドライバー。右端の赤いジャンプスーツ姿が横山 剣さん。
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11/33桑島正美さんに代わって「BMW 2002」に乗り込む横山 剣さん。ドライバー交代時には、ピットロードで2分間の停止が義務づけられている。
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12/33横山 剣さんのドライブで順調にラップを重ねる「BMW 2002」。本来はクーゲルフィッシャー製メカニカルインジェクションを備えた「2002 tii」だったそうだが、φ45ウェーバーキャブ×2に換装されていた。
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13/3317台が出走したセブリング 40m トロフィーで、優勝した「ロータス26R」と同じく26ラップを走り2位に入った1968年「TVRヴィクセンS2」。
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14/33セブリング 40m トロフィーで9位となった1964年「ジャガーMk2 3.8」。
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15/33セブリング 40m トロフィーを走る、先に紹介した1968年「マツダ・ファミリア ロータリークーペ」。燃料ポンプの不調により残念ながらリタイア、ドライバーの加藤さんがダブルエントリーしていたティントップ・カップ(ツーリングカーレース)は、参加キャンセルとなった。
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16/33セブリング 40m トロフィーで1967年「MGB」のステアリングを握るのは鈴木恵一さん。1970年代後半に型式名KP47こと初代「トヨタ・スターレット」を駆ってマイナーツーリング選手権を3連覇した後、富士GCやグループC時代のスポーツカー耐久などで長らく活躍した名ドライバー。現役引退後はレース解説やSUPER GTのチーム監督なども務めたが、サーキットを走るのはウン十年ぶりとか。
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17/33セブリング 40m トロフィーに出走した1969年「フォード・カプリ」。カラーリングは、ジャッキー・スチュワートも駆ったフォードのワークスカーに倣っている。
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18/33セブリング 40m トロフィー終了後の横山 剣さんと桑島正美さん。トップより2周少ない24ラップを走り、5位に入った。ちなみに剣さんはサルーンカー・レースのティントップ・カップとのダブルエントリーだった。
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19/331950~69年の量産サルーンによる10周のスプリントレースであるティントップ・カップ決勝で、終始激しいトップ争いを演じた1968年「フォード・エスコート ツインカム Mk1」と1967年「アルファ・ロメオ・ジュリア スプリントGTヴェローチェ」。予選2位のエスコートがポールポジションのアルファを1周目で逆転、そのままゴールを迎えた。
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20/3311台が出走したティントップ・カップで3位に入った、アランマン・レーシングのカラーリングをまとった1966年「フォード・コルチナGT Mk1 Sr2」。
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21/33ティントップ・カップで、後ろを走る1965年「モーリス・ミニクーパーS Mk1」を振り切って4位に入った1968年「アルファ・ロメオ・ジュリア スプリントGTヴェローチェ」。
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22/33RACメモリアルランと題されたパレード(走行会)に出走した1967年「ヒルマン・インプ」。
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23/33同じくRACメモリアルランに出走した1959年「オースチンA40ファリーナ」。ピニンファリーナによるハッチバックボディーをまとったミニの先輩である。
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24/33これもRACメモリアルランに出走した1962年「ジャガーEタイプ FHC」。
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25/33最終レースとなる、1960~69年の量産スポーツカーが10周を競うエバーグリーン・カップ決勝のスターティンググリッド。このレースに限らず、各レースともスタート前にはグリッド上でバグパイプが演奏される。生沢 徹さんの1968年「ポルシェ911T」を抑えてポールポジションを獲得したのは、ほぼ毎回、彼とトップを争っている関口好夫さんの1966年「ロータス26R(レーシングエラン)」。
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26/33エバーグリーン・カップ決勝における生沢さんの「ポルシェ911T」と関口さんの「ロータス26R」のバトル。生沢さんいわく「そろそろ後輩に花を持たせなきゃと思っていたが、26Rが耐久レースで優勝したので、ダブルウィンまでさせるわけにはいかないと……」とのこと。
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27/33ポールポジションからスタートしたが、1コーナーで生沢さんにトップを奪われ、その後抜き返したものの、再度逆転され結局2位となった関口さんの「ロータス26R」。しかし、最終ラップに生沢さんを上回る1分20秒579のファステストラップを記録。またダブルエントリーしたセブリング 40m トロフィーでは、2位に1分以上の差をつけて優勝した。
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28/33エバーグリーン・カップで5位に入った1960年「オースチン・ヒーレー3000」を駆るのは、イベントを主宰する金子 温さん。
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29/3313台が出走したエバーグリーン・カップで6位に入った1969年「モーガン4/4」。
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30/33エバーグリーン・カップに出走した唯一の日本車だった1967年「ホンダS800」。総合7位、1000cc以下でクラス優勝。
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31/33エバーグリーン・カップで8位に入った1964年「ポルシェ356C」と、9位の1965年「トライアンフTR4A」のバトル。
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32/33各レース終了後にはコース上で暫定表彰が行われ、ドライバーにはグリッドガールの祝福とシャンパンファイトが贈られる。これはエバーグリーン・カップで、左から2位の関口さん、優勝した生沢さん、そして1965年「ロータス・エラン」で3位に入った田中宏昌さん。
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33/33全レース終了後、表彰式にて入賞者にカップを授与。その後に締めのプログラムとして、恒例となった生沢さんのトークが行われた。今回のお題は、彼がヒストリックイベントについて思うところ。大きく引き伸ばした写真パネルを何枚も用意するなどして貴重な話を聞かせてくれたが、彼のファッションにも注目。まるで1970年代前半のメンズファッション誌『男子専科』から抜け出てきたようなコンチネンタル(ヨーロピアン)スタイルの千鳥格子のニット、バギーパンツにハイヒールシューズという今回のアイテムは、すべて当時モノ。知る人ぞ知る物持ちの良さもさることながら、それらがそのまま着られる、つまり体形が変わっていないこともあっぱれというほかない。