“いいシート”はどう選べばいい?
2025.09.23 あの多田哲哉のクルマQ&A安全・快適に運転を楽しめるようシートにはこだわりたいのですが、“いいシート”を見定めるコツはありますか? 開発者の方がご存じの着眼ポイントがあれば、ぜひお聞かせください。
いい質問ですね。そもそも「いいシート」ってなんでしょうか。ホールド性に優れたものがいいのか、ふわふわとやさしい掛け心地なのがいいのか。いいシートの定義は、それぞれのユーザーの体形や感じ方によって変わってくるので難しいですよね。
日本のクルマについては、どのメーカーも欧州に対して後発で、彼らのいいところを参考にキャッチアップしてきたという経緯があります。そのなかで、エンジンやサスペンションに関しては早い段階で追いつくことができました。ボディー剛性の問題も、時間はかかったものの、衝突安全性能を向上させるのにともない欧州車と同等レベルになってきた。最も後れをとったのがなにかといえば、シートだったのです。
シートは、「日本車もかなりいいところまできましたね」と評価される時代になっても、まだまだ差があるといわれていた。私が開発した「トヨタ86」についても、じつはシートが最も苦労した項目で、当初は「そもそもなにをどうすれば品質を向上させられるのか、ポイントがわからない」というありさまだったのです。
当時、シートのクオリティーは人間工学的なことを研究している部署の人が決めることになっていて、シート評価会みたいなものを設けていろんなシートを並べては、関係者に座ってもらい性能チェックをしていました。「もう少し腰のあたりが硬いほうがいい」とか、「ここは柔らかすぎる」「この形状のせいで乗り降りしやすい/しにくい」とか。シートを単体で置いた状態であれこれ批評するというのが基本でした。
しかし、それで「これはいい」というシートができても、いざ長距離を走ってみると体のあちこちが痛くなってくる。特に腰。つらくなるシートとならないシートがあって、この差はなんなんだと。問題意識をもって取り組んでいるのに、どういうわけか欧州車のレベルにはならない……。それが2000年代の後半あたりのことだったと思います。
86のときは、それを解決すべく、開発パートナーであるスバルの開発拠点である群馬に赴く際にはあえて電車を使わず、さまざまなタイプのクルマにいろんなシートをとっかえひっかえ装着しては、トヨタのある愛知から片道5~6時間かけて自走していました。つまり、実走テスト。この機会を「長距離でみる」ということに生かしたのです。
シート単体で品質をチェックするのはもちろん大事なのですが、やっぱり長距離で使ってみないと本当の良しあしは判断できない。だからといって、現実的には、「ディーラーで借りて2~3時間乗りたい」みたいな要望はなかなかかなわないのですが……長く乗らないとわからないのは確かであり、シートにこだわるなら、レンタカーやカーシェアといった手段を使ってでも試す価値があると思います。
そんなクルマのシートのつくり方には、大きく分けて2つのアプローチがあります。ひとつは「座ったときの印象がカチッと固めの、シート形状で体をサポートするタイプ」。極端な例を挙げるなら、バケットシートがそれにあたります。もうひとつは、フランス車やイタリア車にしばしばみられる、「ふかふかしているようだけれど、座るとヒトの体を包み込んでホールドしてくれるタイプ」です。
どっちがいいということもないのですが、共通しているのは、「いいシートというのは長距離乗っても疲れず、頭もぐらぐらしない」ということ。つくり方はぜんぜん違っても、たどり着くところは同じなんです。
われわれ86の開発陣は、当初は「ドイツ路線が理想的」みたいな考え方だったのですが、最終的にはこの両方、ドイツ流からもフランス流からも多くを学んで、トヨタ紡織とともに相当な時間を割いて、シート開発を進めていきました。そのかいあってか、2010年あたりから、トヨタ車のシートは劇的によくなったと思いますね。欧州メーカーにもかなり近づきました。
あるいは、シートの部分的なチェックポイントを知りたいという方がいるかもしれませんが、どこがどうということはいえないのです。地面から座面までの距離だけみても、クルマのボディータイプ次第、ヒップポイント次第というところがあります。乗員一人ひとりに合わせて設計できればベストなのですが、これがまた千差万別です。
そのため、前述の86開発のころのトヨタには、「最も大きな体格のアメリカ人ユーザーに合わせる」という基準があったくらいです。メーカーとしては、お客さんからの「座れない、乗れない」というクレームが最も怖いから(苦笑)。しかし、それでは「大きな方以外にとってはルーズな着座感のシート」になってしまうので、86については最終的に割り切って(大きすぎるアメリカ人までカバーするのはあきらめて)設計をまとめました。
最後に、技術的な要素について説明すると、シートは骨組みとクッション、表皮の3要素からできていて、それぞれに役割があります。表皮は見た目や質感にかかわるだけでなく、体をホールドする(摩擦力を生じる)という機能のうえで、極めて重要です。そのため、いいシートは、必要性に応じて部分的に性質の異なる表皮を組み合わせていることが多い。形状とクッションだけに目がいって、そういうことにまで理解がなかったというのも、前述のように日本メーカーが後れをとった一因でしょうが、みなさんがシート選びをする際には、そうした点にもぜひ注目してみてください。

多田 哲哉
1957年生まれの自動車エンジニア。大学卒業後、コンピューターシステム開発のベンチャー企業を立ち上げた後、トヨタ自動車に入社(1987年)。ABSやWRカーのシャシー制御システム開発を経て、「bB」「パッソ」「ラクティス」の初代モデルなどを開発した。2011年には製品企画本部ZRチーフエンジニアに就任。富士重工業(現スバル)との共同開発でFRスポーツカー「86」を、BMWとの共同開発で「GRスープラ」を世に送り出した。トヨタ社内で最高ランクの運転資格を持つなど、ドライビングの腕前でも知られる。2021年1月に退職。