アウディ“ふるさと”写真館 〜ドイツのアウディ ミュージアムから
2010.10.02 画像・写真ドイツはインゴルシュタットにあるアウディ本社を訪問。その敷地内にあるミュージアムをのぞいてみたら……? 自動車テクノロジーライターの松本英雄が、今昔珠玉のアウディ車を写真とともにリポートします。 (文と写真=松本英雄)
2010年9月中旬、アウディ本社の最寄り空港、ミュンヘン空港の広場では、新型車「アウディA1」のイベントが行われていた。その隣りには、民族衣装で迎えてくれるサマータイムオンリーのビアガーデンも。ミュンヘン空港にはエアブラウという醸造所があって、出来立てのビールをいつでも提供しているのだ。
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2010年9月中旬、アウディ本社の最寄り空港、ミュンヘン空港の広場では、新型車「アウディA1」のイベントが行われていた。その隣りには、民族衣装で迎えてくれるサマータイムオンリーのビアガーデンも。ミュンヘン空港にはエアブラウという醸造所があって、出来立てのビールをいつでも提供しているのだ。
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インゴルシュタット着。写真右側、円柱のガラス張りの建物が、アウディ本社の敷地内にある「アウディミュージアム」だ。左手に見えるのは、「アウディフォーラム・インゴルシュタット」。その手前のスペースは、新車の引き渡し場所になっている。たまたまこの日は「RS 6」の納車風景が見られた。
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いざ、ミュージアムの中へ。写真のクルマは、1936年式「DKW F5 Luxus Cabriolet」。Fはフロントドライブの意味でありFF車を示す。2ストローク2気筒エンジンを搭載、584ccから18psを絞り出した。DKWは、現在のアウディへとつながるメーカーのひとつで、小型フロントエンジンが得意。戦前からDKWは軽量で丈夫なイメージで知られた。
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今日のアウディの成り立ちには欠かせない“弩級(どきゅう)の高級車”、1937年式「ホルヒ853 Sport Cabriolet」。貴重がゆえに、のぞき見ることすらできない。アルミボディで、エンジンもアルミブロックだ。いまやアルミ材を多用するイメージのアウディ、その創始者A・ホルヒには、「高級車はアルミを多用するものだ」という信念があったという。
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後ろから見た「アウトウニオン・タイプC/Dヒルクライム」。なんと、16気筒をミドに積むレーシングカーである。片バンク8本のエグゾーストがその証。イギリスの名門レストアラー、クロス&ガーディナーの手で完全に蘇り、いまはアウディ ミュージアムに安置されている。
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こちらは、「アウトウニオン・タイプC/Dヒルクライム」の傍らに展示されていた、SOHC+プッシュロッドのV型16気筒スーパーチャージドユニット。ほどよいレストレーションで、オリジナルを忠実に再現している。砂型の鋳肌が美しい。
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ドイツ的なオレンジとクリームのルーフが、柔らかい流線型のボディを引き立たせる、1961年式「アウトウニオン1000Sクーペ」。2ストロークの3気筒エンジンは57psを発生。135km/hの最高速をマークした。
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幼い頃、ドイツの古い絵本でしか見たことがなかった1950年式「DKW F89 Commercial van」。激レアです! ファニーな顔つきは、一度見たら忘れられない。これだからメーカーの博物館は面白い。
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写真手前から、DKWの「ジュニア」「1000SPカブリオレ」「F102」。端に半分だけ見えるのが「アウトウニオン・アウディ 72(F103)」。いまのアウディへと移り変わる様子がうかがえる。
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静粛性と軽量を考え、バンケルエンジン(=ロータリーエンジン)を搭載した「NSU Ro80」。極めて進歩的な空力ボディもあわせもつ。エンジンレイアウトやシックスライトのあり方、質感の良さなど、歴史的なモデル。個人的には、現在のアウディのもとになったクルマだと思う。
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アウディの開発責任者ルートヴィヒ・クラウスが次世代を考え抜いて造ったという、1974年製「アウディ50」。このコンパクトなエンジンとFFの技術がなかったら、今日の「フォルクスワーゲン・ゴルフ」もなかったかもしれない。後のフォルクスワーゲン社長となるルドルフ・ライディングが、アウディからフォルクスワーゲンに移るとき、手土産にした技術なのだから。
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1983年に世界ラリー選手権(WRC)史上初の女性優勝者になったミシェル・ムートンが操った、「アウディ・クワトロA2 Gr-4」。記念すべき優勝車の実車である。WRCはこのモデルでクワトロ旋風を巻き起こし、後のラリーではフルタイム4WDが常識化した。
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F・ピエヒがWRCのグループBで勝利するために200台限定で造らせた「アウディ・スポーツクワトロ」。DOHC20バルブの5気筒ターボエンジンは306psを発生。これをベースとしたWRCマシンの「S1」は倍の600psだった。なんとPDKを搭載していた。
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1995年に造られた「アウディTT」のスタディモデル。後のカーデザインに大きな影響を与えたフォルムは、いま見ても独特だ。リアのクォーターパネルこそ量産車とは異なるが、1998年には、これが忠実に再現される形で市販化された。当時のデザイナーは「ポルシェ356の影響を受けた」と言っていた。
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こちらは、(もっとゆっくり見て、買い物したかった)「ミュージアムショップ」。お約束のお土産コーナーである。閉店間際になってしまい、慌ててワッペンやミニカーなどのレア商品を購入。もう一度行きたい……。
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お隣の「アウディフォーラム・インゴルシュタット」には、アウディファンにはたまらない「アウディショップ」がある。ゴルフバッグからウェア、小物まで、アウディのロゴ入りグッズが盛りだくさん。こちらでは、クワトロシステム“だけ”のミニチュアを購入した。
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1945年の第二次世界大戦終戦後も、分断されることなく“西側”に造られたアウディの総本山、インゴルシュッタット本社。手前のグレーの新しい社屋は現在のコーポレーテッドデザインによるものだが、昔からある建物もアウディらしく整然としたたたずまい。現在に至る一貫したアイデンティティーを感じる。
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そのアウディの最新作が、これ。日本にも導入が予定されている「A7スポーツバック」。スタイリッシュな5ドアハッチバックモデルだ。写真左が「A7スポーツバック 3.0TSI クワトロ」。右が、20mmローダウンするなどスポーティな雰囲気をウリにする同「3.0TSI クワトロ S-line」。写真は、イタリアはサルデーニャ島に場所を移してのひとこま。
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「A7スポーツバック」自慢の装備のひとつ、『Google』の3Dマップと連携したナビゲーションシステム。その完成度は高く、ひとたび慣れれば知らない土地で効力を発揮する。モニター自体も、広く鮮明で申し分ない。日本への導入が待ち遠しい 。
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コスタ・ズメラルダの小高い丘にて。古い石造りの教会と「A7スポーツバック」のツーショット。ちなみに、サルデーニャ島で高地に街があるのは、かつてマラリア伝染の際、人々が安全な高地に移り住んだからだという。