
遍路道は信仰の道である。45番岩屋寺。
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遍路道は信仰の道である。45番岩屋寺。
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お寺はそれぞれに魅力あるが、これは有名な37番岩本寺の天井画。数多くの人に勝手に描いてもらったといい、このようにマリリン・モンローの絵もある。
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一番厳しかったのが12番焼山寺への登り。折しも冷たい雨が雪になり、さらには氷砂糖ぐらいのあられが降り注いだ。その途中にある大師像、浄蓮庵に着いた瞬間、大きな杉の枝が氷の重みに絶えかねて目前に落ちてきた。
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山道よりも精神的につらいのは、延々と続く舗装路。ここは誰もが一番大変という室戸岬への道。太平洋を左に、ただただ海岸線を歩くしかない。はるか前方の岬を越えると、また次の岬が見えてくる。昔の遍路は下の浜を命がけで歩いたという。
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時にはこんな「猫道」のようなところもある。人の家の軒先を行くような遍路道。
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最後の試練は88番手前の女体峠越え。名前とは裏腹に厳しい峠で、最後はこんな岩を必死になってはい上らなくてはならない。
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つらいばかりではない。こんな素晴らしい瞬間にも会うことができる。室戸岬のちょっと手前で見ることができた「だるま朝日」。空気の温度と海水温の関係で太陽の下が伸びて、だるまのような形に見える。そして晴れてなくてはならないということで、年に数回しか見ることができないという。何回も歩きながら初めて見ることができたという同宿の年配の方は、「これでもう死んでもいい」と口にされていた。
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土佐久礼に近い有名なそえみみず遍路道の手前で、いつも歩き遍路にお接待してくださることで有名な方。傍らのカゴには手作りの小物とおやつが用意されていた。毎朝こうやって歩き遍路を世話するのが生きがいという。
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ひどく冷たい雨が降る中、「お遍路さんどうぞ」という看板につられて入った今治市菊間で。ここは瓦作りで有名な町だが、その中でお爺じいさん二人が陶芸教室を開いて教えていた。手前に置かれたものは、お遍路に差し上げる小さな陶製のカエル。「無事にカエル」ように作っているという。暖かい火を前にいただいたコーヒーは本当に身も心も温めてくれた。
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歩き遍路のための休息所もあちこちにある。中でも近畿大学の歌一洋教授が提案して、四国各地に作られている「ヘンロ小屋プロジェクト」は大きな構想で、全体で88+1作るのが目標。それも場所の提供や工事、維持管理など、すべてボランティアベースでやっており、今は40カ所が生まれている。これはその第1号。徳島県美波町に作られたヘンロ小屋「香峰」。昔何度か歩き遍路をした女性が、遍路には休む場所が必要だと考えて土地も提供し、今でも驚くほどきれいに維持してくださっている。こういったウッドの建物が前方に見えると、本当に心がやすらぐ。
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ヘンロ小屋プロジェクトとは別に、個人で休息所を作っている人はたくさんある。これは高知県安芸市近辺。
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自宅を改装するついでに、こんなに立派な遍路用設備を作った方さえいる。中は驚くほどきれいだった。高松市手前で。
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高速道路建設は問題だけど、働いている人には何の罪もない。いやとても親切な人が多い。こういうところは大抵、こんな看板を出している。トイレだけは、本当にありがたいと思う。
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あらゆる宗教、あらゆる人を受け入れる遍路道だけに海外の人もかなり歩いている。写真のレナはベルリン出身。2009年の遍路では、何度か同じ宿やお寺で出会った。きちんと般若心経を唱えていた。
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この人はスペイン人。日本語はおろか英語も話さず、「私はスペインからきました。四国はサンチアゴ・デ・コンポステーラの巡礼道とそっくりです」と書かれた大きなノートには、旅に必要な日本語がいくつか用意されていて、周囲の遍路に指さして意思疎通を図っていた。室戸岬で会ったのだけど、ここまで一人で来られたのだから、遍路同士の助けを借りればなんとかなるのだ。
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今年の遍路で出会ったイギリス人のアーニー。空海の信奉者で、「英語で出た空海に関する本はすべて読んだ」、と言っていたし、普段は何でも食べて飲むのに、遍路の間だけは絶対にアルコールは口にしないばかりか、完全なベジタリアンを通していた。
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横峰の山で出会ったのはオーストリア人。「日本にいて、四国遍路を歩かない手はない」と言っていた。
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2009年4月末、最初の遍路が結願したとき。八十八番目の大窪寺で。
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