最終回:四国遍路の本当の魅力
2010.10.25 ニッポン自動車生態系最終回:四国遍路の本当の魅力
16回も続いたこのエッセイも今回で終わりである。最後だけはクルマを離れて、四国遍路を成り立たせているもっとも大切なものを紹介したい。
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別世界をさまよっていた50日
なぜ私たちは2年も続けて、あんなに厳しくつらい旅に出たのか? 歩き遍路は時間もお金もかかる、もっともぜいたくな旅だとは言われるが、どうしてそんなことを2度も続けたのか?
答えを簡単に言えば、歩き遍路をめざして四国に入った私たちを迎えてくれた世界、そのものに魅入られてしまったからだ。
本当に四国遍路道には別の世界が存在していた。50日の間、私たちはあたかも時空をスリップしてパラレルワールドに入り込んでしまったかのように、あるいはタイムマシーンで少年時代の日本に戻っているかのように感じていた。この間、ずっと異空間をさまよい歩いていたような独特の感覚に包まれていた。
それは素晴らしい体験だった。だからまた今年も、春の気配を感じかけたときに、どうしてもあの世界の感覚が忘れられず、旅立ってしまったというわけである。
その独特の世界の魅力を支えているのは、信仰、土地、そして人であり、その三つの要素は分かちがたく結びついて、四国遍路道という一つの素晴らしい世界を形成している。
信仰は、この世界全体の基本である。あえて宗教という言葉を使いたくない。この四国遍路は、弘法大師こと空海を抜きにしては考えられないし、空海に対する深い信仰の上に成り立っている。だからといって、空海を開祖とする真言宗、さらに密教系仏教、いやすべての仏教徒だけに開かれた世界ではない。神道を信じる人にも、クリスチャンにも、ムスリムでも、無神論者でも誰でも、まったく差別することなく受け入れる。
必要なのは信仰心であって、それは何を希求しても、何を願ってもいい。いや、信仰の心すら求めない。純粋なスポーツとして、きままな旅として、観光のために回ってもまったく構わない。お遍路をするという気持ちさえどこかにあれば、それは誰でも分け隔てなく受け入れるという寛容の世界がそこにある。でもお寺に着いた時のりんとした空気に触れると、誰もが心のどこかで信仰の気持ちを感じるはずだ。
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美しき国、四国
そして四国の土壌、それが作り出す自然、人工も含めた土地の魅力がここにある。
遍路道は楽なところばかりではない。厳しい山道もあれば、寂しい峠越えもある。太平洋から嵐が吹き付ける海岸線もあれば、トラックに脅されながら堅い路面を歩き続けなくてはならない場所も多い。
それでも美しい風景にはいくらでも会える。忘れていたような古い山村風景もあれば、さまざまな花が咲き乱れる山々もあって、特に春に歩くと1カ月近くずっと桜を追うようなことになる。荒々しい太平洋、貝類の養殖が盛んな豊後水道から瀬戸内海に入ると、海というのはこれほど変化に富むのかと驚くし、それぞれの海の幸は新鮮で最高においしい。
今の日本にこんな美しい風景や山々が残っていたのか、これほど懐かしい村がまだあったのか、そこを歩く私たちは毎日が感動の日々だった。
だが、最大の魅力は、私たち遍路を迎えてくれる地元の人々の優しさ、あたたかさだろう。実はそれこそ1100年を超える遍路史の中で、この土地がはぐくんできた文化なのだ。素晴らしい自然に恵まれた信仰の場で、長い年月のうちに、土地のひとたちは、そこを訪れる遍路に対するやさしい気持ちを育てていったのだろう。
地元の人たちは、遍路、特に歩き遍路に対しては本当に親切である。遍路をとても大切な人間として、接してくださる人が多い。遍路道を歩いていると、地元の人からしばしば声をかけられる。場合によっては、声を出さなくても、遍路に向かって手を合わせてくださったりする。
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お接待文化は無償の善意
これをもっとも象徴するのが「お接待」という習慣である。これは遍路に対して与えられる有形無形の好意であり、支援であり、ギフトである。そしてその裏にあるのは、遍路を思いやる無償の善意であり愛情なのだ。
「お接待」の形はいろいろある。ねぎらいの言葉から始まり、飲食物、旅行用小物、一夜の宿などの無料提供から、直接に現金を手渡すことまで、さまざまな形で、地元の人は遍路を大事にしてくれる。
特に金銭的御接待というのは、慣れない人は驚く。私たちも初めての時はちょっと動揺した。畑の中の道を歩いているとき、目の前で軽自動車が急に止まった。「なんだ、あれでは歩きにくいじゃないか」実は私は一瞬そう思った。その直後、クルマから女性が降り立ち、「お疲れさまです。これをどうぞ」と言って、私たち一人一人に500円玉を渡してくれたのだ。「あ、ありがとうございます」。動転した私は、あわててそうご返事するのが精一杯だった。その後、走り去るクルマに向かって、深く頭を下げた。
それ以降も何度も金銭的御接待に会った。ある街角では足が不自由なおばあさんから、きれいに10枚ずつまとめられた5円玉を頂いた。昔は漁業をしていたけれど、足を壊してから、こうやって歩き遍路を力づけているのだという。手押し車で歩いているおじいさんからもお金を頂いた。
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ほおを伝わる雨が涙に変わった
時には数千円単位で接待されたという話も聞くが、大事なのは心なのである。ひどく冷たい雨が降る中、疲れた思いで歩いていた私たちがコンビニにちょっとした買い物に入ったとき、お客の年配の女性が急にレジに向かったのが見えた。そしてそのコンビニを出たところで、「寒いでしょうね。これをどうぞ」と、今買ったばかりの温かいお茶を二人に手渡してくれた。その時は本当にうれしかった。
凍えていた指先が、お茶のボトルで温められていくのを感じながら歩く私たちのかなり前を、その女性が歩いており、やがて右の方に消えた。数分後、その場所を通ったとき、彼女が入ったのは、今では首都圏では見られないような、古く小さな公営住宅だったことを知った。私たちは好き勝手で遍路をしているし、それだけの余裕はある。でも失礼ながら私たちよりも明らかにつつましい生活をされているだろう方が、わざわざお茶を買い求めてくれた。それを考えていると、さっきから冷たい雨が流れていたほおに、あたたかいものが混ざってくるのを止められなかったものだ。
どうしてこういうお接待文化が育ったのだろうか? 遍路を大切にする。それを通じて自分自身の心も豊かにし、功徳を積む。自分は歩かなくても、同じ価値を共有するなどの説があるが、基本的には人を思いやり、自分ができる範囲で支援したいという、純粋な優しさや人としての愛情から出ていると理解するべきなのだろう。四国の最大の魅力はそこにある。
こんな文化的背景に魅せられて、2度も回った遍路の話に、読者を長いこと付き合わせてしまった。
結局4カ月の長期連載になってしまったが、われながら四国で考えた日本のモータリングの姿に対して、何ら前向きの発言もできなかったことは恥ずかしく思う。でも、あの体験がなければ知らなかった日本のクルマ事情を、少しでもお伝えできたなら幸いである。
さあ、この原稿を出したら、来週から秩父34観音の巡礼道をまた歩きに行くつもりである。そしてできるだけ年を取らないうちに、スペインのサンチアゴ・デ・コンポステーラへの巡礼道もまた歩きたいと願っている。
その話は、またいずれ……。
(おわり)
(文と写真=大川悠)

大川 悠
1944年生まれ。自動車専門誌『CAR GRAPHIC』編集部に在籍後、自動車専門誌『NAVI』を編集長として創刊。『webCG』の立ち上げにも関わった。現在は隠居生活の傍ら、クルマや建築、都市、デザインなどの雑文書きを楽しんでいる。
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