「勝率7割」のブリヂストン、恒例のF1プレスミーティング開催
2004.10.07 自動車ニュース「勝率7割」のブリヂストン、恒例のF1プレスミーティング開催
2004年10月6日、F1チャンピオンタイヤ、ブリヂストンは、日本GPを前に恒例のF1プレスミーティングを開いた。“最強コンビ”を組むフェラーリからミハエル・シューマッハー、ルーベンス・バリケロらが出席し、今シーズンの戦いを振り返った。
■2004年の最強コンビ
今年で8回目を迎えたブリヂストンのF1ミーティングは、「1997年のF1参戦以来、132戦を経て、歴代2位の93勝を記録。勝率は7割を誇ります」という渡辺惠夫ブリヂストン社長の挨拶で幕を開けた。
8年で成し遂げた大記録は、1999年からタイヤを供給しているフェラーリ、そしてミハエル・シューマッハーを抜きには考えられなかったろう。
2004年は、フェラーリが17戦15勝した2002年に次ぐ、スクーデリアの“当たり年”となった。
開幕戦のオーストラリアからシューマッハー5連勝、第6戦モナコGPでルノーに勝利を譲るも、第7戦ヨーロッパからは破竹の7連勝。8月の第13戦ハンガリーでコンストラクターズタイトル、翌14戦ベルギーでシューマッハーの7度目のタイトルが早々と決まった。
タイトル獲得後はバリケロが開眼し、フェラーリの地元イタリア、そして初開催の中国と目下2連勝中。フェラーリ&ブリヂストンは、16戦で14回も勝利している、文字どおり2004年の最強コンビである。
■屈辱をバネに
あまりに強いがために忘れがちだが、昨2003年シーズンは、チャンピオン争いが最終戦までもつれこむほど、両社が大苦戦した年だった。
浜島裕英モータースポーツタイヤ開発総括責任者は、「ターニングポイントは2003年のハンガリーGPだった」と語る。
王者シューマッハーがウィナーのフェルナンド・アロンソに周回遅れにされるという事実と屈辱をバネに奮起し、さらなる進化と発展を遂げた結果が今年の成功である、というわけだ。
会場のスクリーンには、ハンガリーでのラップタイムをあらわしたチャートが表示され、アロンソとシューマッハーのタイムが比較された。まったくルノーに追いつけなかった2003年、そして格段に速くなった2004年と、その差は一目瞭然だった。
■成功の秘訣
もちろん、ブリヂストンタイヤ装着マシンは、フェラーリ以外にもザウバー、ジョーダン、ミナルディがおり、「特に最近のザウバーはいい」(安川ひろしモータースポーツ推進室長)と、他チームにも配慮したコメントも聞かれたが、やはりチャンピオンチームとの関係は特別といっていい。
壇上に上がったフェラーリのテクニカルディレクター、ロス・ブラウンは、「マシンとタイヤをパッケージとしてデザインすることが成功の秘訣」と語る。
浜島開発総括責任者は、序盤の濡れた路面に苦しんだ第15戦イタリアを例に、「たしかにわれわれのタイヤは湿った路面を得意としていなかったが、それをわかった上でチームが戦略を立て、見事1-2フィニッシュを達成した」と、フェラーリの高いチーム力が、タイヤという重要な要素を理解してのものであると語った。
■勝つだけさ!
最後に登場したのは、フェラーリのマネージングディレクターのジャン・トッド、そしてミハエル・シューマッハーとルーベンス・バリケロの3人。それぞれ日本GPや来シーズンに向けての抱負を述べた。
トッドは、ブリヂストンの母国GPでの成功を誓うとともに、「2005年はレギュレーションが変わる。また白紙からチャレンジしたい」とフランス語なまりの口調で語った。
やや眠そうなチャンピオン、シューマッハーは、「勝つだけさ!」と堂々と一言。今週末の鈴鹿は雨のようだがとの質問には「そっちの方がいいよ!」と自信たっぷり、というかあっさりした答えだった。
2連勝中のバリケロは、「2004年の最後の4レースは特別」という。チームの母国イタリア、そして新興市場中国、ブリヂストンのお膝元日本、そして自らのホームグラウンド、最終戦のブラジル。両タイトルと自身のランキング2位も確定し、落ち着いた状況で連勝を伸ばしたいブラジリアンだった。
(webCG 有吉)
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