大規模マイナーチェンジで復権なるか!?
「日産スカイライン」の苦悩、そして前途
2019.07.17
デイリーコラム
販売のピークは1973年
「日産スカイライン」の車名は、クルマの好きな人なら誰でも知っているだろう。日本を代表するスポーツモデルだ。
しかし近年の売れ行きは伸び悩む。2018年(暦年)の登録台数は2576台だから、1カ月平均では215台にとどまった。
スカイラインが最も多く売れたのは1973年で、前年に発売された4代目(通称:ケンメリ)が15万7598台登録されている。2018年の実に61倍だ。この販売実績は、2018年に小型/普通車で最も多く売れた「日産ノート」の13万6324台を上回る。
つまり、スカイラインというクルマのライフサイクルを考えた場合、販売ピークを迎えたのが早かったということになる。ライバル車の多くは1980年代にバブル景気に乗って売れ行きを伸ばしたが、スカイラインの年間販売台数は、6代目(R30型)が売られていた1984年には10万台を下回っていた。
そこで1985年に発売された7代目(R31型)では、ボディーを拡大したが、売れ行きはほとんど伸びなかった。
8代目(R32型)では反対にボディーをコンパクトに抑えたほか、「GT-R」を復活させた。バブル景気もあって1989年には9万台を少し超えた。それでも1992年には、6万台以下まで落ち込んでしまう。
この時期のスカイラインは、フルモデルチェンジのたびにボディーの拡大と縮小を繰り返して無節操に思えたが、開発者は何をやっても回復しない売れ行きに苦悩していた。ほかの車種がバブル景気で売れ行きを伸ばすのに、スカイラインだけは下がっていくのだから、相当なプレッシャーだったに違いない。
バブル経済が崩壊すると、スカイラインの売れ行きはさらに下がった。1993年には9代目(R33型)になって6万3830台に回復したが、1997年には2万台以下にまで落ち込む。10代目(R34型)も1998年には3万台を登録したが、翌年は2万台、さらに2000年は1万3270台と低迷した。
この時期にはメーカーの日産も経営危機に陥り、1999年にルノーと資本提携を結んだ。
以上のようにスカイラインの売れ行きは、ほかの車種をリードするかのように1970年代にピークを迎えたが、1980年代には早くも「トヨタ・マークII/チェイサー/クレスタ」などのライバル車に主役の座を譲っている。この後、ほかのセダンも売れなくなり、チェイサーやクレスタは廃止されて「マークX」も2019年の末に販売を終える。
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運転免許保有層の変化と市場の変化
スカイラインなどのセダンが衰退した背景には、ほかのカテゴリーの台頭もあった。1990年代の中盤には、国内ではミニバンや背の高いコンパクトカーが売れ行きを急増させている。1998年には、軽自動車の規格が改訂され、「スズキ・ワゴンR」や「ダイハツ・タント」など背の高い車種が売れ筋になった。日産も2002年にスズキから軽自動車のOEM供給を受け、「モコ」として発売した。
クルマの使われ方の変化もあった。2000年頃には、物価に対するクルマの価格が大幅に安くなり、日常生活のツールになった。運転免許保有者の女性比率も高まった。
例えば1966年に発売された初代「ダットサン・サニー デラックス」の価格は46万円だったが、この金額を、大卒初任給をベースに今の貨幣価値に換算すると368万円にも達する。運転免許保有者は、今日の女性比率は45%だが、初代サニーが発売された1966年は15%以下だった。
つまりかつてのクルマは富裕層の持ち物で、ファミリーカーといっても、(主に)運転する夫が自分の趣味で選んだ。その対象はセダンやクーペで、1960~1970年代のスカイラインは、この需要に応えて売れ行きを伸ばした。
ところが今は、クルマの価格が割安になって女性の運転免許保有者も増えている。夫が運転するのは週末だけだが、妻は平日にも買い物などに使う。そうなればクルマ選びの基準が、従来のカッコ良さとか走行性能から、運転のしやすさや経済性に移るのは当然だ。このようにクルマの需要が大きく変わる中で、ミニバンのような実用的な新型車が続々と登場したから、スカイラインをはじめとするセダンやクーペは顧客を奪われた。
名前はスカイラインでバッジはインフィニティ
そこでスカイラインは戦略を変えた。11代目(G35型)からは、海外では高級車のインフィニティブランドのラインナップに組み込まれ、フルモデルチェンジのたびに海外志向を強めた。
そして現行型の13代目(V37型)では、日本国内で売られるスカイラインもインフィニティのエンブレムを装着するようになった。内外装を見る限り、スカイラインの車名は表記されるが、日産車であることは分からない。エンブレムをインフィニティに変えた理由は「スカイラインを支えるのは、世界で販売される高級車のインフィニティで培われた技術力とデザインだ。その証しとしてスカイラインにもインフィニティのエンブレムを装着する」と説明していた。
車名まで海外と同じ「Q50」に変更するならインフィニティのエンブレムでも納得できたが、車名はスカイライン、エンブレムはインフィニティでは違和感があった。
そして2019年7月16日に実施されたマイナーチェンジでは、エンブレムを再び日産に戻している。その理由は「スカイラインは日産の技術の象徴で、今回のマイナーチェンジでは、『プロパイロット2.0』を初めて採用した。またスカイラインは初代モデルを1957年に発売したから、日産では最も長い伝統に支えられた車種でもある」というが、これも分かりにくい。スカイラインの技術の象徴と長い伝統は、今に始まったことではないからだ。エンブレムをインフィニティに変更して、再び日産に戻した理由が不明瞭だ。
車名やメーカー名は、機能とは関係ないが、クルマのイメージを形成する上で大切な要素になる。現行型ではエンブレムが日産からインフィニティに変わったことで、スカイラインが日本を見限ったような印象を与えた。また日産とスカイラインが、日本より海外を大切にする意思表示のようにも受け取られた。
セダンならではのメリット訴求を
このような紆余(うよ)曲折が生じるほど、日本におけるセダンの市場戦略には行き詰まりが生じている。スカイラインが普通に売れていれば、エンブレムを変える必要もなかっただろう。
それでも日本のユーザーとしては、エンブレムを日産に戻したスカイラインに期待したい。今後日産がすべきことは、スカイラインをLサイズセダンの販売ナンバーワンに復活させることだ。セダンのような(現在では)趣味性の強いクルマは、ただ売れればいいという話ではないが、目標を販売ナンバーワンに設定すればひとりよがりな発展は避けられる。縮小したLサイズセダン市場の販売1位なら、無理な相談ではない。
そして1位を取るには、セダンの価値を磨く必要がある。セダンはミニバンやSUVに比べて重心が低く、後席とトランクスペースの間には隔壁があるからボディー剛性を高めやすい。低重心で剛性が高く、走行安定性と乗り心地の優れていることがセダンの価値だ。
最近はクルマの「安全と快適」が重視されているから、セダンが復権するチャンスかもしれない。「走る楽しさ」を連呼しても共感は得られないが、「安全と快適」なら、上手に訴求することでセダンの機能的な価値(情緒ではなく)を表現できる。
そのためには「日本のスカイライン」のコンセプトを見直すことも大切だ。例えば3リッターV6ツインターボエンジン搭載車の緊急自動ブレーキ(衝突被害軽減ブレーキ)は、いまだに歩行者を検知できない。スカイラインの安全装備が軽自動車の「デイズ」に劣るのでは困る。日産が「日本のスカイライン」をどのように考えているのか、スカイラインをどれだけ大切に育てられるかで、すべてが決まる。
(文=渡辺陽一郎/写真=日産自動車/編集=藤沢 勝)

渡辺 陽一郎
1961年生まれ。自動車月刊誌の編集長を約10年間務めた後、フリーランスのカーライフ・ジャーナリストに転向した。「読者の皆さまにけがを負わせない、損をさせないこと」が最も重要なテーマと考え、クルマを使う人の視点から、問題提起のある執筆を心がけている。特にクルマには、交通事故を発生させる甚大な欠点がある。今はボディーが大きく、後方視界の悪い車種も増えており、必ずしも安全性が向上したとは限らない。常にメーカーや行政と対峙(たいじ)する心を忘れず、お客さまの不利益になることは、迅速かつ正確に報道せねばならない。 従って執筆の対象も、試乗記をはじめとする車両の紹介、メカニズムや装備の解説、価格やグレード構成、買い得な車種やグレードの見分け方、リセールバリュー、値引き、保険、税金、取り締まりなど、カーライフに関する全般の事柄に及ぶ。クルマ好きの視点から、ヒストリー関連の執筆も手がけている。