100年の歴史を彩る“小さなクルマ”が大集合! スズキの名車&迷車10選

2020.03.30 デイリーコラム
 
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2020年3月15日に創立100周年を迎えた自動車メーカー、スズキ。人々の生活に寄りそう実用車や、刺激的なスポーツモデル、そして時には、挑戦的すぎてユーザーに理解されなかったクルマも世に送り出してきたその歴史を、それぞれの時代を彩る個性的なモデルとともに振り返る。

4人乗りセダンの「スズライトSS」。スズライトの「スズ」は“スズキ”の略、「ライト」は“軽い”と“光明”を意味しているという。ホイール/タイヤは四輪車用として入手可能な最小サイズだった14インチだが、初期型はさらに大きい16インチだった。大卒初任給が1万円前後だった時代に、価格は42万円だった。
4人乗りセダンの「スズライトSS」。スズライトの「スズ」は“スズキ”の略、「ライト」は“軽い”と“光明”を意味しているという。ホイール/タイヤは四輪車用として入手可能な最小サイズだった14インチだが、初期型はさらに大きい16インチだった。大卒初任給が1万円前後だった時代に、価格は42万円だった。拡大
3人乗りで最大積載量200kgの商用バンである「スズライトSL」。ボディーサイズは全長×全幅×全高=2990×1295×1400mm、ホイールベース=2000mm。エンジンは359cc空冷2ストローク並列2気筒、最高出力15.1PS。
3人乗りで最大積載量200kgの商用バンである「スズライトSL」。ボディーサイズは全長×全幅×全高=2990×1295×1400mm、ホイールベース=2000mm。エンジンは359cc空冷2ストローク並列2気筒、最高出力15.1PS。拡大

“デビュー作”で先進的な前輪駆動に挑戦

【FFのパイオニア】
スズライト

スズキのルーツである鈴木式織機株式会社が創立されてから、この3月でちょうど100周年。戦後の1952年に自転車に取り付けるバイクモーターを発売し、1954年には社名を鈴木自動車工業株式会社に変更。そして1955年には軽自動車「スズライト」によって四輪車市場に進出した。

セダンの「SS」、ライトバンの「SL」、ピックアップの「SP」、デリバリーバンの「SD」をそろえて登場した本格的な軽四輪だったスズライト。359cc空冷2ストローク並列2気筒エンジンで前輪を駆動する、日本初のFF車でもあった。内容的には研究車両だったドイツの小型車「ロイトLP400」の影響を強く受けていた。

セダンのSSのスタイリングもロイトに似た平凡な3ボックスだったが、おもしろいのはライトバンのSL。大きなテールゲートを備えたリアスタイルはファストバック風なのだ。徳大寺有恒氏が生前、「『アストンマーティンDB2/4』みたいでカッコイイだろ?」と冗談交じりに語っていたが、たしかに商用車ながら、セダンよりむしろスタイリッシュだった。

1959年「スズライトTL」。同年デビューの「Mini」に似た2ボックススタイルのライトバン。359cc空冷2ストローク並列2気筒エンジンは、当時の軽で最も強力な最高出力21PSを発生した。
1959年「スズライトTL」。同年デビューの「Mini」に似た2ボックススタイルのライトバン。359cc空冷2ストローク並列2気筒エンジンは、当時の軽で最も強力な最高出力21PSを発生した。拡大
1962年「スズライト フロンテTLA」。「スズライトTL」のリアエンドに短いノッチを持つトランクルームを設けて乗用車化。リアサイドウィンドウも昇降する。フロンテの名は、“フロンティアスピリット”に“FF”の意味も込めた造語。価格は38万円だった。
1962年「スズライト フロンテTLA」。「スズライトTL」のリアエンドに短いノッチを持つトランクルームを設けて乗用車化。リアサイドウィンドウも昇降する。フロンテの名は、“フロンティアスピリット”に“FF”の意味も込めた造語。価格は38万円だった。拡大
顔つきを後述する「フロンテ800」風に改めた1965年「スズライト フロンテFEA-2」。後年「Miniクラブマン」が登場した際に、マニアの間では「ミニがスズライトみたいな顔になってしまった」などと言われたが、スズライトのほうが先行してアップデートしていたわけだ。
顔つきを後述する「フロンテ800」風に改めた1965年「スズライト フロンテFEA-2」。後年「Miniクラブマン」が登場した際に、マニアの間では「ミニがスズライトみたいな顔になってしまった」などと言われたが、スズライトのほうが先行してアップデートしていたわけだ。拡大

【Miniの同級生】
スズライトTL/スズライト フロンテ

1957年からは需要の多かったライトバンのSLに集約された「スズライト」は、1959年にフルモデルチェンジして「スズライトTL」となる。横開きテールゲートを備えたライトバンだったが、その姿はくしくも同じ年にイギリスで誕生した革命的な小型車である「Mini」(当初は「オースチン・ミニ」と「モーリス・ミニマイナー」)に似ていた。

1962年には、スズライトTLのテールを改めてトランクルームを設けた軽乗用車版の「スズライト フロンテTLA」が登場する。その改良版の「スズライト フロンテFEA」は、翌1963年に開かれた第1回日本グランプリのツーリングカー400cc以下のレースで、下馬評では優勝確実と思われていた「スバル360」を下して1-2フィニッシュをキメてみせた。伏兵スズライトの活躍に世間は驚いたが、考えてみれば不思議はない。四輪の世界では地味な存在だったスズキだが、1960年から二輪ロードレース世界グランプリに参戦し、62年には50ccクラスの王座を獲得していた。つまり2ストロークエンジンのチューニングにかけては実績があり、レース経験も豊富だったのだ。

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