エンジニアとして「日産GT-R」生産終了に何を思う?

2025.09.02 あの多田哲哉のクルマQ&A 多田 哲哉
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2007年のデビューから18年にわたって生産されてきた日産のハイパフォーマンスカー「日産GT-R」が、2025年8月26日、ついにモデルライフを終えました。世界的にも影響の大きかった、存在感ある日本車だと思いますが、多田さんはどのように感じられましたか?

読者の皆さんも同様でしょうが、この報に接して大変残念な気持ちです。その一方で、会社の経営上の観点からは、よくこれまでつくってこられたと大いに驚いています。

日産GT-Rがデビューした2007年というのは、私にとっても大きなターニングポイントでした。この年に「トヨタ86」の企画が始まり、それまでミニバンの開発を取りまとめていた私が担当することになったからです。

86をつくるために世のスポーツカー事情を調べていたところに、日産GT-Rはデビューしました。そのパッケージは、スポーツカーというよりはレーシングカーで、とにかく速く走るための技術がてんこ盛り。それが「スカイライン」の伝統、スカイラインらしい形に詰め込まれて出てきたのです。

ものすごい反響でクルマを手に入れるのはなかなか困難でしたが、トヨタでもすぐに手配し、もちろん私自身、試乗してはいろいろとチェックしました。

GT-Rは本当に「レーシングカーを公道で走らせられるように保安基準だけ満たした」みたいなクルマで、走ればガタピシうるさいし(笑)、第一印象としては、“乗用車”のクオリティーではないというのが正直なところでした。

しかし、よくもこのような、重量配分の理想を追求したトランスアクスル方式の4WDという、特殊な構成のクルマを市販できたものだと驚かされました。当時のトヨタからすると、それはあまりにも遠いというか、とんでもない話で、ただただ、あぜんとして見ていたという記憶があります。

そんなGT-Rを知り、86については「あえて遅いスポーツカーをつくろう」をキャッチフレーズに、GT-Rとは真逆の“なるべくシンプルな路線”でいくことにしました。なにせ、GT-Rはあまりにもハイパフォーマンスカーとして隙がなく、とてもじゃないが、かなうわけがありませんから(笑)。そういう意味でも、GT-Rは86開発に大きな影響を与えたクルマでした。

で、それから18年もの間、日産はフルモデルチェンジせずにつくり続けた。これは極めてまれなことです。改良に改良を重ねてこんなに長い期間生産されるなんて、自動車業界では稀有(けう)であり、不思議とすらいえること。もっとも、特殊なつくりのクルマだったために熟成に時間がかかった、ともいえるかと思います。

そうやってつくり続けてきたことに対し、日産に敬意を表します。すばらしいというほかありません。

経営的には、冒頭で触れたとおり、大変厳しかっただろうと思います。18年間で約4万8000台、つまり年産2000~3000台規模というのは、量産車としては、利益を出すのが極めて困難なのです。新しい生産ラインをつくったら、年間10万台はつくらないとペイしないといわれている業界ですから。それで、環境性能をはじめとするレギュレーションをクリアしつつ、これほどの長期間つくり続けるというのは……。価格はデビュー当初のほぼ倍になってはいるものの、日産の持ち出しも相当なもののはず。商売にはなっていないと思います。

トヨタはどうかといえば、2007年以前にもスポーツカー開発の話がありましたが、会社としては、その都度「それは無理だ」という判断でした。スポーツカー開発というのは、たとえイメージアップのための取り組みと割り切るにせよ、あまりにももうからないのです。一度スタートしたらなかなかやめられないというのも難点で、企画が出ては、声が上がっては頓挫するということの繰り返しでした。

当時のトヨタは販売台数世界一を目指していて、世界中に工場をどんどん建てて、毎年50万~60万台のペースで生産台数を増やしていた。つまり、ざっくりいうと、毎年(当時の)スバル一社分、規模を拡大していたのです。それで、ちょうど2007年にゼネラルモーターズを抜いて販売台数世界一になったので、ようやく、じゃあスポーツカーみたいなものもやってみるか? という話ができたわけです。トヨタの場合は慎重すぎるかもしれませんが、それくらい余裕が持てないと取り組めないのがスポーツカー開発です。

片や日産は、近年は特に、経営が厳しい状態です。それほど追い込まれたなかでも、世界中のファンのために生産を維持してきた。何年も前から社内では「GT-Rなぞやめてしまえ!」という強い声が上がっていたに違いありませんが、それでも「ファンを裏切り失望させてはいけない」と、相当無理をしてやってきたのでしょう。

今回の生産終了に際して、「ここでGT-Rはいったん終わるが、復活への期待がかかる」などというお気楽な報道も目につきますが、実際、そんな簡単なものではないですよ。

もう一度、日産がGT-R(の新型)をつくるときがくるとしたら、それは、相当業績が良くなってからのこと。ちょっと回復どころではなくて、劇的に改善して安定状態にならないと難しい。それくらいのものなんです。

ポルシェやフェラーリのような高性能スポーツカーの専業メーカーは、そういうビジネスモデルなので別として、総合車種の自動車メーカーに限っていえば、世界を見ても、スポーツカー開発は軒並み縮小傾向にあります。日産GT-Rも、復活までには長い年月がかかるものと思いますが、クルマのファンとしては応援したいし、日産という会社も今度こそ、昔から続いてきた官僚的な経営体質を根本的に改善してほしいです。そしていつか、新生日産GT-Rを世に出してほしいですね。

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多田 哲哉

多田 哲哉

1957年生まれの自動車エンジニア。大学卒業後、コンピューターシステム開発のベンチャー企業を立ち上げた後、トヨタ自動車に入社(1987年)。ABSやWRカーのシャシー制御システム開発を経て、「bB」「パッソ」「ラクティス」の初代モデルなどを開発した。2011年には製品企画本部ZRチーフエンジニアに就任。富士重工業(現スバル)との共同開発でFRスポーツカー「86」を、BMWとの共同開発で「GRスープラ」を世に送り出した。トヨタ社内で最高ランクの運転資格を持つなど、ドライビングの腕前でも知られる。2021年1月に退職。