ニュルブルクリンクでテストする一番の理由とは?

2026.10.20 あの多田哲哉のクルマQ&A 多田 哲哉
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「ニュル(ドイツのニュルブルクリンク北コース)で鍛えた」「ニュルで〇秒を記録した」といううたい文句をよく目にします。実際、ニュルで開発するとどんなメリットがありますか? ただの箔(はく)付けではないのですか? 

ニュルブルクリンクというコースは、一般的なサーキットとはつくられた経緯や成り立ちが大きく異なります。当時のドイツの失業対策、雇用創出の土木工事として、山の中の道をつないで長いコースをつくった、というのが始まりなんです。 

ドイツ国内においてニュルブルクリンクは、実質的に「一般の道(アウトバーンやカントリーロード)」と同じような扱いで運用されています。コース内で事故が起きた際にも、一般道と同じ救急車が駆けつける。そんな環境です。

私が初めてニュルに行ったのは1990年ごろでした。当時はまだ現在ほどニュルの名が一般的ではなく、トヨタも現地にガレージ(拠点)を持っていませんでした。

私は当時、ABS(アンチロックブレーキシステム)のコンポーネント開発部門にいたのですが、当時のABSは雪道などの滑りやすい路面(低μ路)では効果を発揮する反面、サーキットのような高速・高グリップ路面(高μ路)では悪影響をおよぼしかねない状況でした。なにせ、テストドライバーがサーキット走行をする際には「邪魔になる」「危険だ」と嫌がられて、走りだす前にまずABSのヒューズを抜いてしまうというありさまだったのです。

そんな時、ボッシュのエンジニアから「ニュルブルクリンクには、ジャンプして着地した直後に右コーナーへ飛び込むという過酷なポイントがある」と聞きました。車体が浮いている間はタイヤが接地していませんから、ABS側が「滑っている」と誤認して油圧を抜いてしまい、着地した瞬間にブレーキが利かなくなって非常に危険だというのです。

実際に現地へ調査に行き、「MR2」(SW20型)で走ってみたところ、本当に死ぬかと思うほどの恐怖を味わいました。そして、そこでの経験を元に、過酷なレースのような走行にも耐えられる「スポーツABS」の開発につなげていったわけです。

そんなニュルには、コースの厳しさやタイムアタックよりも大事な、開発拠点としてのメリットがあります。

それは「ニュルブルクリンク周辺の一般道が、テストをするうえで非常に厳しくもすばらしい道路環境であること」、さらに「極めて過酷な一般道と、限界走行ができるサーキットをすぐに行き来して相互テストができること」です。

ニュルの周辺には、複雑なうねり(アンジュレーション)を持ったさまざまなタイプの一般道が存在します。世界中のメーカーはまず周辺の一般道でしっかり評価を行い、そこで出た疑問や「さらにスピードを上げた極限状態での挙動」を確かめるために、すぐに隣接するニュルブルクリンク北コースに入って限界ギリギリのテストを行います。

通常のサーキットというのは「サーキット走行のためのデータ」しか取れませんが、市販車を開発するうえでは「一般道での評価」と「サーキットでの限界評価」をより近い環境下でシームレスに繰り返せることが、エンジニアにとって最も都合がよく、価値のあることなのです。

ニュルブルクリンクは「グリーンヘル(緑の地獄)」などとも呼ばれますから、まずコース自体の厳しさをイメージしてしまうかもしれませんが、自動車メーカーにとっては、周辺環境を含めた開発環境としての利便性が重要なんです。

コースの路面状況も、補修パッチができたりして毎年のように変わりますし、雨が降れば極端にグリップが落ちます。さらに週末には観光バスやマイカー、バイクまで一緒に走っている。まさに「日常の延長にある過酷な一般道」そのものです。

だからこそ、スポーツカーだけでなく、セダンやSUV、トラック、バスに至るまで、世界中のあらゆるメーカーがニュルに拠点を構えて走らせています。単なるタイムアタックや宣伝用の箔付けだけではなく、市販車としての完成度を高めるためにこれ以上ない環境だからこそ、ニュルブルクリンクで開発を行うのです。

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多田 哲哉

多田 哲哉

1957年生まれの自動車エンジニア。大学卒業後、コンピューターシステム開発のベンチャー企業を立ち上げた後、トヨタ自動車に入社(1987年)。ABSやWRカーのシャシー制御システム開発を経て、「bB」「パッソ」「ラクティス」の初代モデルなどを開発した。2011年には製品企画本部ZRチーフエンジニアに就任。富士重工業(現スバル)との共同開発でFRスポーツカー「86」を、BMWとの共同開発で「GRスープラ」を世に送り出した。トヨタ社内で最高ランクの運転資格を持つなど、ドライビングの腕前でも知られる。2021年1月に退職。