第2回:平行世界で「誰でもない男」が選ぶ夢幻の人生 − 『ミスター・ノーバディ』
2011.04.26 読んでますカー、観てますカー第2回:平行世界で「誰でもない男」が選ぶ夢幻の人生『ミスター・ノーバディ』
湖に落下していくクルマ
予告編を観て、引きこまれた。湖の中にゆっくりと落下していく「ジープ・グランドチェロキー」、そのあとに同じ軌道を描いてプールに飛び込む女の子のカットが続く。美しく、夢幻のような映像だ。『トト・ザ・ヒーロー』『八日目』の名匠ジャコ・ヴァン・ドルマル監督の13年ぶりの新作である。
泣かせることだけが目的だったり、キャスティングありきだったりというどうでもいい映画が世にあふれているのに、ドルマル監督のような優れた映像作家の作品は20年に3作品しか観ることができない。なんと不条理な。でも、期待にたがわぬ濃密なドルマル・ワールドが楽しめたのだから、よしとしなくてはならない。多彩なイメージが奔流のように、また寄せては返す波のように現れる。観る者は夢うつつのあわいを漂い、監督の手の上で気随にもてあそばれる。
主人公のニモ・ノーバディ(ジャレッド・レト)は118歳。2092年の世界では人間は永遠の命を持つようになっていて、彼は寿命を持つ最後の男である。新聞記者が病室を訪れ、不死以前の世界の話を聞こうとする。しかし、彼は自分が34歳だと言いはるのだ。彼が語る過去は、錯綜(さくそう)し、矛盾をはらみ、前後が入れ替わる。悪夢のようなイメージが繰り返し現れ、ストーリーは枝分かれして収束しない。
『インセプション』は単純だった!?
9歳のニモの前に、3人の少女がいる。赤い服を着たアンナ、青の装いのエリース、黄色をまとったジーンだ。教会からニモが花嫁と出てくる。右の扉からはアンナ(ダイアン・クルーガー)と、真ん中からはエリース(サラ・ポーリー)と、左からはジーン(リン・ダン・ファン)と。3度結婚したわけではない。それらはすべてあり得た選択肢なのだ。
両親が離婚し、幼いニモは父と母のどちらを選ぶかを迫られる。父の手を振り切って走りだし、母の手をつかんで電車に乗り込む……、いや途中で靴が脱げて転んでしまう……。どちらが真実なのか。母と共に行けばアンナと出会うことになり、父と残ればエリースとの運命が待ち構える。そして、ジーンが現れるにはもうひとつの関門を通ることになる。
整理して書くとこのような展開になるのだが、映画の中では時系列に沿って筋道だって物語が進むのではない。時間は逆巻きながら揺れ動き、不吉な夢が反復して現れる。目覚めた場所が現実であるかも判然とせず、さらなる夢の奥へともぐりこんでしまったのかもしれない。観客は宙吊りのまま幻影の世界をさまようしかなく、波間にたゆたうような心持ちに酔うのだ。夢の階層が設定されていた『インセプション』は、なんとわかりやすい構図の映画であったか。
リンカーンが道にひしめく悪夢
ドルマル監督は、自動車を使ったシーン作りが好みのようだ。グランドチェロキー以外にも自動車を使ったイメージが幾度も出現する。ニモが金持ちになる夢の中で所有するのは「ベントレー・コンチネンタルGTC」だった。心を病むエリースをなだめるために、自家用車の「フォード・トーラス」らしきクルマに火をつける場面もある。
もっとも鮮烈な印象を残したのは、「リンカーン・タウンカー」が使われたシーンだ。ニモが建物の外に出ると、道が赤いリンカーンで占拠されているのだ。そして、なぜか人々は全員アーガイルのベストを着ている。リンカーンは異形のクルマではないけれど、同じ色の同じ車種が道にひしめいている光景は、ちょっとした悪夢のようでもある。
この場面がなんども繰り返し映画の中に登場する。これが何を意味するのかは、はっきり言葉にすることができない。映画は夢の構造を持っており、夢に出てくる出来事をすべてを言葉で説明することは不可能だ。しかし、奇異な印象は深く心の中に残り、思考を変形させ続ける。
「バタフライ・エフェクト」や「超ひも理論」などの言葉が使われるし、火星に行くシーンもある。SFのようだけれど、それは道具立てでしかない。未来都市の様相がリアリティも独創性もないのは、ただの記号であることを意味している。物語の意匠としては、平行世界ものとも言える。日本の小説でも流行の手法で、東浩紀の『クォンタム・ファミリーズ』、高橋源一郎の『悪と戦う』が去年話題を読んだ。
ニモはいかなる人生をたどり、何をなしとげたのだろう。しかし、自らを振り返って、そんな問いに答えることなどできるだろうか。ミスター・ノーバディ(誰でもない男)は誰でもありうるのであり、彼の語る話はどこにもない出来事であり、誰にも当てはまる物語でもある。
(文=鈴木真人)

鈴木 真人
名古屋出身。女性誌編集者、自動車雑誌『NAVI』の編集長を経て、現在はフリーライターとして活躍中。初めて買ったクルマが「アルファ・ロメオ1600ジュニア」で、以後「ホンダS600」、「ダフ44」などを乗り継ぎ、新車購入経験はなし。好きな小説家は、ドストエフスキー、埴谷雄高。好きな映画監督は、タルコフスキー、小津安二郎。
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