第290回:商用バンで砂漠を行く親子が向かうのは天国か地獄か
『シラート』
2026.06.04
読んでますカー、観てますカー
モロッコ山岳地帯のレイブパーティー
砂漠に大量のスピーカーが持ち込まれ、巨大なPA装置が組み上げられる。人々が集まって大音量のサウンドに合わせて体を揺らし始めた。1973年のロックミュージカル映画『ジーザス・クライスト・スーパースター』を思わせる出だしだ。ということは、『シラート』は音楽映画なのだろうか。たしかにそういう側面もある。そしてロードムービーでもあり、サバイバル映画の要素も含まれている。しかし、そのいずれの枠組みにも収まらない。
砂と岩しかないモロッコの山岳地帯で開催されているのは、野外レイブパーティーだ。スピーカーから鳴り響いているのは重低音とビートだけで、メロディー要素はほとんどない。からだ中にタトゥーを施しワイルドな服装をまとった参加者たちは、ビールを飲みながら踊り狂う。おそらく、LSDやMDMAの力も借りているのだろう。恍惚(こうこつ)として音と光の洪水に身をまかせている。
そこに場違いな親子が現れた。クマみたいな風貌の父親と、かわいらしい息子だ。父ルイス(セルジ・ロペス)は息子エステバン(ブルーノ・ヌニェス・アルホナ)を連れて、失踪した娘を探しにやってきた。レイブパーティーに来ているという情報があったのだという。写真を手に聞いて回るが、目撃者は見つからない。次に行われる会場にもしかしたら娘が行くかもしれないという話にわずかな望みを託す。
パーティー会場が最高潮になった頃、軍隊がやってきた。避難指示が発令されたとのことで、パーティーは中止させられる。参加者は不満たらたらだが、武装した兵士に抵抗するすべはない。彼らは乗ってきたクルマで待機させられる。隊列を組んで移動させようというわけだが、何台かはスキを見つけて逃げ出すことに成功。ルイスとエステバンも、後を追うことにした。
コワモテのレイバーはいい人だった
野外レイブパーティーに慣れている参加者たちの多くは、ヘビーデューティーなキャンピングカーに乗ってきている。移動と宿泊の便を考えた選択だ。娘の情報を教えてくれたグループは、「メルセデス・ベンツLシリーズ」にゴツい上屋を乗せたスペシャルな改造車を仕立てていた。しかし、親子が乗ってきたのは「シトロエン・ジャンピー」である。ごく普通の商用バンで、駆動方式はFFだ。サハラ砂漠を南下してモーリタニアへと向かうには道なき道を進むしかなく、いささか心もとない。
岩場では案の定スタックしてしまい、フロントバンパーを取り外すハメになる。なんとか乗り切ったが、しばらく行くと川が立ちはだかった。もうダメかと思ったが、改造トラックがロープで引き上げてくれて事なきを得る。レイバーたちはコワモテの見た目に反していい人なのだ。ここで観客は「通常では接点のなさそうな彼らが、一緒に旅をすることで心を通わせていく……」という展開を予想するだろう。そんなありきたりのハートウォーミング映画だと思ったら大間違いだ。
普通の映画なら、異質な者同士の同行は「相互理解の物語」になる。父親とレイブ集団の距離が徐々に縮まり、世代や価値観を超えた絆が生まれる、という感じだ。映画や小説で、そういった安易なストーリーが量産されてきた情けない歴史がある。いい加減にしてほしい。よく知られているように、「奇妙な共同生活が始まる」という定型の宣伝文句を使う映画は例外なく駄作である。
ならば、この映画はどこに向かっていくのか。残念だが、これ以上何も語ることができないのだ。ジェイコブ・エロルディが「事前に何も知識を入れず、ただ劇場に向かってください」とコメントしているのは完全に正しい。奇想天外とかどんでん返しなんて言葉では表現するのは無理だ。試写を観ていて2度も大声を出してしまった。思いもかけない事態が発生し、次第に旅の目的が何であったかさえわからなくなっていく。
規制から逃れて先鋭化
ということで記事はこれで終わり、というわけにもいかないので、いくつか背景について触れておこう。そもそもなぜモロッコの砂漠で野外パーティーが行われているのか。レイブは1980年代後半にイギリスで始まったフリーパーティー文化だ。テクノやアシッドハウスなどのダンス音楽を大音量で流し、夜を徹して踊るイベントが流行した。
特異だったのは、パーティーが行われる会場である。都会のクラブやディスコではなく、郊外の廃虚や倉庫などを使ってゲリラ的に開催された。サッチャー政権下の重苦しい社会状況で若者たちの不満が渦巻いており、ウサを晴らすムーブメントが生まれる素地となったようだ。政府にとっては脅威となるアンダーグラウンドカルチャーである。「クルミナルジャスティス法」と呼ばれる法律を制定してレイブパーティーの規制を強めたというから驚く。
牙を抜かれて商業的なイベントへと変化する動きが進む裏で、一部のレイバーたちは先鋭化していった。権力の目を逃れて国境を越え、サハラ砂漠でフリーパーティーが行われるようになる。大規模なものでは数千人規模の砂漠フェスがあるらしい。彼らは国家や都市から離れ、音楽だけでつながる一時的な共同体を作ることに生きる意味を見いだしている。
砂漠ならば完全に自由な自治空間が成立する――というのは幻想だ。西サハラでは1970年代から独立を目指すポリサリオ戦線が活動していて、モロッコとの武装衝突が続いている。今も不安定な地帯となっており、映画で描かれた軍隊の行動はリアルな現実なのだ。
楽園に向かう細い橋
『シラート』ではむき出しの暴力が描かれ、観客は恐るべき絶望を目の当たりにする。崩壊しつつある世界を見せるという意味では社会派ということもできるだろうが、この映画は何かを告発しているわけではない。むしろ、既成の倫理構造を破壊していく構成になっているのだ。誰も道徳的安全圏にはいないことを無慈悲に暴いていく。2022年に公開されたミシェル・フランコ監督の『ニューオーダー』に通じる肌合いを感じた。
「地獄と天国の間に“シラート”という橋がある
その道は髪の毛よりも細く剣よりも鋭いという」
シラートという言葉について、映画の中で説明されていた。イスラムの教えでは、人は誰も審判の日にシラートの橋を渡って楽園に向かう。落ちてしまえば地獄だ。髪の毛よりも細く剣よりも鋭い道を渡ることができるのは、どのような人間なのか。映画に明確な答えはない。
重いテーマだが、砂漠で撮影された映像はひたすら美しい。重低音が心の奥底に直接響き、この世界が抱える闇を浮かび上がらせる。スクリーンに没入しながら、どこへ連れていかれるのかまったくわからない。圧倒的で衝撃的な映画体験である。
(文=鈴木真人)

鈴木 真人
名古屋出身。女性誌編集者、自動車雑誌『NAVI』の編集長を経て、現在はフリーライターとして活躍中。初めて買ったクルマが「アルファ・ロメオ1600ジュニア」で、以後「ホンダS600」、「ダフ44」などを乗り継ぎ、新車購入経験はなし。好きな小説家は、ドストエフスキー、埴谷雄高。好きな映画監督は、タルコフスキー、小津安二郎。
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