第291回: あの衝撃的なラストシーンは2CVで撮影されていた!?
『ヌーヴェルヴァーグ』
2026.07.09
読んでますカー、観てますカー
あの頃のクルマが走るパリを再現
1959年、パリ。ジャン=リュック・ゴダールが初監督作『勝手にしやがれ』の撮影を開始。その製作過程を記録したフィルムが残っていた……はずはない。でも、そう勘違いしてもおかしくないほどの自然でリアルなモノクロ映像で構成されているのが『ヌーヴェルヴァーグ』だ。ゴダールはもちろん、ヌーヴェルヴァーグを彩った人物が大勢登場する。ヌーヴェルヴァーグは1950年代末にフランスで始まった映画の革新運動だ。
ゴダール役のギヨーム・マルベック、ジャン=ポール・ベルモンド役のオーブリー・デュランはオーディションで選ばれた新人俳優だけあって、ルックスはかなり近い。ジーン・セバーグを演じるゾーイ・ドゥイッチの地顔はあまり似ていないが、雰囲気で寄せてきていた。フランソワ・トリュフォー、エリック・ロメール、ジャン・コクトー、ロベール・ブレッソン、アニエス・ヴァルダなどの有名人からカメラマンやヘアメイクなどの裏方までが実名で顔を見せる。それぞれがどのくらい似ているのかはよく分からない。
間違いなく再現度が高いと言えるのは、パリの街並みだ。タイムスリップして1959年に迷い込んだような感覚になる。歩道やカフェ、新聞スタンドまでが、当時そのままとしか思えない。パリは古い建物が比較的多く残っているとはいえ、今撮影すればどうしたって新しい看板や標識などが映り込んでしまうはずだ。デジタル処理によってていねいに消去・修正が行われているのだろう。派手なカーアクションや爆発シーンをCGでつくるより、ずっと生産的なデジタル技術である。
街の時代感を表すのに重要な役割を果たすのはもちろんクルマだ。パリの道には「シトロエンDS」「フィアット600」「プジョー403」「ルノー・ドーフィン」などが走っていて、1959年へと時間を巻き戻す。「アルファロメオ・スパイダー」がちらっと見えたのは錯覚だろうか。確か1966年デビューだったはずだ。
映画文法をぶち壊したゴダール
映画雑誌『カイエ・デュ・シネマ』に集った若者たちが、いわゆる“良質な映画”を攻撃したのがヌーヴェルヴァーグの始まりだ。有名な文学作品を取り上げて豪華なセットをつくり、美男美女の俳優が感情豊かな演技を披露するだけの怠惰な制作手法を徹底的に批判したのだ。きれいに整えられた品行方正な映画には生命力が欠けていると指摘し、“作家主義”を宣言する。過激な論調で記事を書いていたのがゴダール、トリュフォー、クロード・シャブロル、ジャック・リヴェットなどだった。
彼らは最も有効な批評は自らが映画をつくることだと考え、次々に監督としてデビューしていった。シャブロルの『いとこ同志』が評判になり、年下のトリュフォーまでが『大人は判ってくれない』で絶賛される。出遅れたゴダールは焦っていたはずだが、製作会社の意向に従って自らの意に反する作品を撮るようなことはしない。『勝手にしやがれ』はそれまでの映画文法をぶち壊すことで歴史を変えた。
あらためて『勝手にしやがれ』を観なおしてみたら、主人公のミシェルがあからさまなクソ野郎であることに驚いた。カジュアルに自動車を盗み、捕まりそうになると警官を殺す。女たちを都合よく利用し、口からでまかせで自分を正当化する。機転と虚勢だけで世界を渡り歩こうとするところに、『アンカット・ダイヤモンド』や『マーティ・シュプリーム』の主人公たちと同じ匂いが漂う。
当時はこの人物造形が衝撃的な新しさを持っていたのだろう。映画の主人公は基本的に善人であり、悲劇性や英雄性を帯びているのが当たり前だった。ミシェルは倫理観を持ち合わせておらず、欲望のままに行動する。そんな人間が映画の主人公になりうることに、観客も映画評論家も驚くとともに激しく動揺した。ジャンプカットが多用され、物語は直線的に進まない。こんなものは映画ではない、と感じた人も多かった。
即興撮影に適したカメラカー
実のところ、今の目で『勝手にしやがれ』を観ると、いささか気恥ずかしく感じられるのも事実である。意味ありげで“哲学的”な言葉が飛び交い、すれ違う会話が繰り返される。突然、不可解な行為が始まり、理由は示されない。今ではよくあるタイプの“アート映画”だ。安直に模倣するエピゴーネンが現れて“ゴダール風映画”が大量に生産された結果、『勝手にしやがれ』は古典になってしまった。挑戦はお約束に変わり、またたく間に陳腐化していく。ゴダール自身が後に『勝手にしやがれ』や『気狂いピエロ』はクソだと罵倒し、ネガを焼いてしまえと発言した。
革新者の宿命であると言ってしまえばそれまでだ。でも、街を歩きながら撮るカメラの軽やかさや、偶然を受け入れる撮影、俳優の生々しい存在感には、今なお新鮮さが残っている。『ヌーヴェルヴァーグ』は、新しい映画が生まれた瞬間をよみがえらせようとしているのだと思う。まるで『勝手にしやがれ』のメイキング映画が製作されていたかのような、仮想のドキュメンタリーをつくり上げた。
監督のリチャード・リンクレイターはゴダールを敬愛しており、ヌーヴェルヴァーグの強い影響下で映画制作を始めた。彼の作品は即興的な会話を長回しでとらえていくことが多く、ハリウッドの伝統とは明らかに異なるスタイルを持っている。『6才のボクが、大人になるまで。』では、少年とその家族を12年かけて撮影するという驚異的な方法で実人生とフィクションを融合させた。リンクレイターはヌーヴェルヴァーグの正統な継承者である。あの時代を描くことで、感謝と敬意を表したいと考えたのは自然なことだ。
『勝手にしやがれ』の制作過程については詳しい記録が残っているので、この映画で描かれていることは大筋では事実に基づいているらしい。あのラストシーンが生まれた経緯が明かされていて、映画史上に残る「Qu'est-ce que c'est?」というセリフも偶然の産物だという。本当かどうかは不明だが、いかにもありそうなエピソードだと感じる。そして、銃で撃たれたミシェルがふらつきながら歩いていく場面の撮影がいかにもヌーヴェルヴァーグ的だ。カメラカーとして使われているのが「シトロエン2CV」。ソフトトップを巻き上げ、撮影監督のラウール・クタールが顔を出してカメラを構えることができる。ゲリラ撮影にはうってつけで、ヌーヴェルヴァーグの即興精神を体現したクルマだ。
(文=鈴木真人)

鈴木 真人
名古屋出身。女性誌編集者、自動車雑誌『NAVI』の編集長を経て、現在はフリーライターとして活躍中。初めて買ったクルマが「アルファ・ロメオ1600ジュニア」で、以後「ホンダS600」、「ダフ44」などを乗り継ぎ、新車購入経験はなし。好きな小説家は、ドストエフスキー、埴谷雄高。好きな映画監督は、タルコフスキー、小津安二郎。
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