【F1 2022】イギリスGP続報:“特別なコース”でサインツJr.が初ポールから初優勝
2022.07.04 自動車ニュース![]() |
2022年7月3日、イギリスのシルバーストーン・サーキットで行われたF1世界選手権第10戦イギリスGP。タイトルを争うドライバーが苦しい戦いを強いられた一方、今季いまひとつリズムに乗れなかったドライバーが荒れたレースで悲願を達成した。
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元王者が招いた“舌禍”と現代のF1
イギリスGPを前に、元王者ネルソン・ピケによる“舌禍”がF1界で吹き荒れた。1980年代を中心に活躍し3度ワールドチャンピオンとなったピケは、2021年のイギリスGPで接触したマックス・フェルスタッペンとルイス・ハミルトンの話題に触れ、ハミルトンを人種差別的な言葉(いわゆる“Nワード”)で呼んだという。発言そのものは2021年のものだが、それがSNSで拡散され、今年のイギリスGP前になって“炎上”したということだった。
F1きっての自由人だったピケは、少々度を過ぎた品のない発言が多かったのも事実だが、21世紀の尺度からしたら到底容認されるものではなく、当のハミルトンや所属するメルセデスはもちろん、ドライバーやF1、FIA(国際自動車連盟)もこぞって発言を非難する声明を出した。ピケは謝罪し、差別の意図はなかったと弁明したが、パドックへの出入り禁止の可能性などもあるとされており、波紋が広がっている。
ピケのような“古い世代”にとっては想像を上回る出来事だったかもしれないが、若手ドライバーにとっても厳しい対応がとられるのが現代。レッドブルは、ジュニアドライバーのユーリ・ビップスがオンラインゲームの中継中に差別的発言をしたとして、テスト&リザーブドライバーの契約解除に踏み切ったばかりなのである。
暗い話ばかりでなく、ダイバーシティー促進という明るい取り組みも、また今日のF1を象徴する動きのひとつ。ハミルトンとメルセデスが興した、モータースポーツで多様性・包括性を高めるための活動「イグナイト(Ignite)」は支援先を発表し、そのうちのひとつは女性ドライバー育成をサポートする取り組みであった。またアルピーヌも、モータースポーツで女性が活躍する機会を促進するプログラムを先ごろ発表している。
72年前の1950年にF1の初戦が開かれたシルバーストーンは、週末を通じて40万人ものモータースポーツファンでにぎわった。時代とともに変えていくべきものもあると同時に、変わらぬものもあるということなのだろう。
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雨の予選、サインツJr.が初ポール
不安定なブリティッシュ・ウェザーにより金曜日の最初のプラクティス、そして土曜日の予選は雨。ポールポジションをかけた予選Q3は、いつ強まるかわからない雨脚を警戒しながら10人のドライバーたちが周回を重ね、ラップごとにトップタイムが更新されるスリリングな展開となった。
雨に加え路面やタイヤ、バッテリーへのチャージといったさまざまなファクターを味方につけ、最速タイムを記録したのはフェラーリのカルロス・サインツJr.。GPキャリア8年目、151戦目(レース出走は150戦目)で勝ち取った、うれしい初ポールポジションとなった。たった0.072秒差で2位となったのはレッドブルのマックス・フェルスタッペン。今季雨絡みの予選で強さを発揮してきたものの、最後のアタックで目の前のシャルル・ルクレールがスピンしたこともありタイムの更新を果たせずに終わった。
フェラーリのルクレールは3位、レッドブルのセルジオ・ペレスは4位と、2列目までは2強チームで占められた。メルセデスのルイス・ハミルトン5位、マクラーレンのランド・ノリスは6位とイギリス人ドライバーが並び、7位につけたアルピーヌのフェルナンド・アロンソを挟み、母国の期待を背負ったメルセデスのジョージ・ラッセルは8番手からレースに臨むこととなった。アルファ・ロメオのルーキー、ジョウ・グアンユーは2戦連続Q3進出で9位、ウィリアムズのニコラス・ラティフィは自身初Q3で10位と好位置につけた。
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スタート直後に多重クラッシュ、赤旗中断
52周レースのスタートでは、複数台が絡むクラッシュが発生し赤旗中断。さらにコース内に抗議活動家が侵入するという波乱の幕開けとなった。
ソフトタイヤを履いて抜群の蹴り出しを見せたフェルスタッペンが2位からトップを奪うと、その後ろでジョウとラッセル、ピエール・ガスリーの3台が並び接触。ラッセルがジョウをはじき出すかたちとなり、ジョウのアルファ・ロメオはひっくり返りながらコースを外れ、タイヤウォールを越えてフェンスに当たって止まった。
大きなクラッシュだったが、幸いジョウは無事救出され事なきを得た。またラッセル、ウィリアムズのアレクサンダー・アルボンはリタイア。その後ろを走っていた角田裕毅のアルファタウリ、エステバン・オコンのアルピーヌもマシンを壊したものの、中断を使って修復することができた。
およそ1時間後にレース再開。スターティンググリッド順に整列した17台が、スタンディングスタートでターン1に向かっていくと、今度はサインツJr.がフェルスタッペンを抑え首位をキープし、2位フェルスタッペン、3位ルクレール、4位ペレス、5位ノリス、6位ハミルトンらが続いた。ペレスはフロントウイングを壊しており、修理のためピットインして一気に17位まで脱落するのだが、この後、運も味方につけて華麗なる挽回劇を見せることになる。
先頭を走るサインツJr.にフェルスタッペンが1秒以下で食らいつき、プレッシャーに屈したサインツJr.は10周目にコースオフ。フェルスタッペンがトップに上り詰めたのだが、レッドブルのリードは長くは続かなかった。
12周目にフェルスタッペンが突如失速。パンクを疑い緊急ピットインを敢行し、6位でコースに戻ったもののペースが思わしくない。彼のマシンはボディーワークにダメージを負っており、最終的に7位でゴールするのがやっとといった状況だったのだ。
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サインツJr.が“特別なコース”で初優勝
フェルスタッペンの脱落でサインツJr.、ルクレールのフェラーリ1-2となったものの、赤い編隊にシルバーのマシンがひたひたと忍び寄ってきていた。アップグレードされたマシンで速さを取り戻した7冠王者、ハミルトンである。
21周目にサインツJr.が、また26周目にはルクレールがミディアムタイヤからハードに交換。その後暫定首位となったハミルトンが34周目にピットに入ると、ルクレールが首位、ペースが伸び悩んだサインツJr.は2位となり、ハミルトンは3位に戻ることになる。
最速タイムをたたき出しながら猛追を続けるハミルトンだったが、このレースの結果を左右する出来事が39周目に起きた。オコンのアルピーヌがトラブルでコース上に止まるとセーフティーカーが出動。サインツJr.、ハミルトン、ペレスらがピットインしてソフトタイヤに交換する一方、トップのルクレールはハードのままコースにとどまり続けたのだ。
1位ルクレール、2位サインツJr.、3位ハミルトン、4位ペレスといったオーダーで、ラスト10周のスリリングな戦いがスタート。まずはサインツJr.がルクレールを抜きトップ奪還に成功すると、初優勝を自らに引き寄せる力走を披露。さらに4位ペレスがハミルトンをオーバーテイクし3位に上がってきた。
分が悪かったのはハードのままのルクレールだ。サインツの後ろで必死に2位を守ろうとしたが、ソフト勢のペレス、ハミルトンの猛追に遭い、ポディウムから引きずり下ろされ4位でゴールするのがやっと。レッドブルのストレートスピードを生かしたペレスが2位を勝ち取り、またハミルトンは2戦連続で3位をものにした。
F1キャリア151戦目、初ポールから悲願の初優勝を遂げたサインツJr.は、喜びと安堵(あんど)が混じった笑顔でこう語った。
「シルバーストーンは特別な場所。四輪デビューした2010年にフォーミュラBMWで初優勝したコースなんだ。そして12年後に、F1の、しかもフェラーリで初勝利を飾れたんだ。ほんとうにここは特別な場所なんだ」
シルバーストーンは、最古参チームのフェラーリにとってもスペシャルなコース。1951年のホセ・フロイラン・ゴンザレスによるスクーデリア初勝利は、ここで記録されたのだ。
今季これまでタイトル争いに加わってきたフェルスタッペンやルクレールが苦しい戦いを強いられた一方、いまひとつリズムに乗れなかったサインツJr.が荒れたレースで悲願を達成。全22戦のチャンピオンシップは、まだまだ新しいニュースを用意していそうである。
次の第11戦オーストリアGP決勝は、7月10日に行われる。
(文=bg)