「JAF Grand Prix FUJI SPRINT CUP 2010」開催【SUPER GT 2010】
2010.11.15 自動車ニュース【SUPER GT 2010】国内レースの運動会!? 〜「JAF Grand Prix FUJI SPRINT CUP 2010」開催
2010年11月12-14日、静岡県の富士スピードウェイで「JAF Grand Prix FUJI SPRINT CUP 2010」(以下、スプリントカップ)が開催された。国内最高峰のモータースポーツ、フォーミュラ・ニッポンとSUPER GTのスプリントレースを同時に行うというこれまでにない試みに、3日間で6万5500人もの観客者がサーキットを訪れ、いつものレースとはひと味もふた味も異なるレースの醍醐味(だいごみ)を大いに堪能した。
■ 賞金総額、1億円!
「JAFグランプリ」。この名称は、日本におけるモータースポーツの歩みに深く関わるキーワードだ。サーキットで開催されるレースの普及発展を願い、JAFが主催したレースに冠されていたタイトルで、今回のイベントはシリーズ外の特別戦ながら、この重みのある名前が20年ぶりに復活することとなった。
スプリントカップには、このJAFグランプリのタイトルや国土交通大臣賞といった各賞のほか、総額1億円(!)の賞金も用意された。参加チームとドライバーのヤル気を倍増させる(?)ビッグイベントである。
開催されたカテゴリーも実にバラエティ豊かなもので、フォーミュラ・ニッポンとSUPER GTという2本柱に加え、1970-80年代に富士スピードウェイで高い人気を誇った「マイナーツーリング」などのサポートレース、往年の名ドライバーによるエキシビション「レジェンドカップ」など、盛りだくさん。世代を超えて楽しめるイベントとなった。
■予選からユニーク
フォーミュラ・ニッポンとSUPER GTのレースは、金曜に予選が、土曜と日曜にそれぞれ22周(100km)のスプリントレースが行われた。
その内容は、予選から趣向を凝らしたもの。フォーミュラ・ニッポンでは、各マシン1周のタイムアタックを行い、規定の計測位置でマークした最高速で決勝レース1(13日)のグリッドが、最速ラップタイムで決勝レース2(14日)のグリッドが決められた。
長いストレートを持つ富士のコースで最高速(314.502km/h!)をマークしたのは、No.7 ケイ・コッツォリーノ(Team LeMans)。ストレートスピードを稼ぐために、リアウィングを大きく寝かせた状態で出走し、第1レースのポールポジションを手にした。最速ラップタイムは、今季シリーズランキング2位のNo.36 アンドレ・ロッテラー(PETRONAS TEAM TOM'S)がマーク。第1レースでも2番手につけ、ポテンシャルの高さを見せつけた。
短距離決戦の決勝は、普段のレースと異なり、タイヤ交換や給油などのピット作業はナシ。決勝レース1は完璧ともいえるスタートでトップを奪取したロッテラーが独走。後続のクルマは、コーナー、ストレートと場所を選ばず激しいバトルを繰り広げ、接触などのハプニングも見られたが、ロッテラーは気持ちよくひとり旅を続けて完勝。まず最初の賞金、300万円をゲットした。2位にはチームメイトのNo.37 大嶋和也(PETRONAS TEAM TOM'S)、3位にNo.10 塚越広大(HFDP RACING)が続いた。
決勝レース1で弾みがついたのか、ロッテラーは翌日の決勝レース2もポールスタートからまたもや独走。文句なしの展開を見せて2連勝を果たし、フォーミュラ・ニッポンにおけるJAFグランプリのタイトルを獲得した。2位には今季ルーキー・オブ・ザ・イヤーに輝いたNo.31 山本尚貴(NAKAJIMA RACING)、3位はスタートダッシュに成功したNo.16 井出有治(MOTUL TEAM 無限)となり、ふたりは今季初めての表彰台へと上がった。
■SUPER GTは1レース1ドライバー
レギュラーシーズンは、1台のマシンを2人の選手がドライブ、総合力での争いが魅力のSUPER GTだが、このスプリントカップでは「1マシン1ドライバー」、つまりソロでのレースが展開された。いつもならコンビを組むパートナーに任せることもあるタイムアタックも、今回は全員「自分が主役」。GT300とGT500、カテゴリも単独で実施された。
SUPER GTは、そのスタートもいつもと違った。ダミーグリッドからのスタンディングスタートである。車重のあるSUPER GTのクルマをどうコントロールするのか、はたまたその前にエンジンストールしないか。さまざまな憶測が飛び交うなか、100kmのスプリントレースが始まった。
GT500では、決勝レース1のポールポジション、No.38 ZENT CERUMO SC430(リチャード・ライアン)が難なくスタートを決め、トップをキープ。そのままレースを逃げ切った。2位には予選9番手からズバ抜けた速さでポジションアップしたNo.17 KEIHIN HSV-010(塚越広大)が、そして3位にNo.12 カルソニック IMPUL GT-R(ロニー・クインタレッリ)が続き、3メーカーが仲良く表彰台を分けあった。
翌日の決勝レース2はスタート直後から大波乱。1コーナーで複数のクルマが接触を起こし、ポジションが大きく入れ替わったが、予選2位のNo.6 ENEOS SC430(伊藤大輔)はスタートダッシュを成功させ、やや出遅れたポールポジションのNo.12 カルソニックIMPUL GT-R(松田次生)からトップの座を奪い取った。
決勝レース1でのタイヤの消耗具合をきちんと確認してレースに挑んだという伊藤は、序盤に築いた独走態勢に甘んじることなく、巧みにペースを調整。しかし、終盤ハイペースで追い上げてきた同じSC430のNo.35 MJ KRAFT SC430(大嶋和也)に、ファイナルラップでバトルへと持ち込まれる。前日のレースから得たデータを念頭に置いて、後続とのバトルを想定していた伊藤。ベテランらしい粘りと巧みなマシンコントロールを後輩の大嶋に見せつけ、そのまま逃げ切り。シーズン中に達成できなかった優勝を果たし、6号車としてJAFグランプリをも手にした。
2位の大嶋に続いたのは、No.18 ウイダー HSV-010(小暮卓史)。今回、フォーミュラ・ニッポンのスプリントでは存分にパフォーマンスを発揮できなかったが、「ようやく最後につじつまをあわすことができた」と安堵(あんど)の表情を見せていた。
GT300では、クルマの素性として持ち合わせる速さが勝敗を左右する結果となった。決勝レース1、2のそれぞれでNo.11 JIMGAINER DIXCEL DUNLOP F430を駆った平中克幸と田中哲也がそろって勝利。JAFグランプリのタイトルをつかみ取った。
■往年の名ドライバーもバトル
スプリントカップでは、エキシビションイベント「レジェンドカップ」も行われた。往年のトップドライバー参加による、「マツダ・ロードスター」のワンメイクレースである。元F1ドライバーの高木虎之介(36歳)から「国さん」こと高橋国光(70歳)まで年齢層は幅広く、元F1ドライバーの中嶋悟や鈴木亜久里、当時外国人選手として圧倒的な存在感を見せたジェフ・リースなど、懐かしい顔ぶれがサーキットに顔をそろえた。
グリッドは年齢差をハンディキャップとして決められ、レースがスタート。現役時代よりややふっくらした体形の名ドライバーも、ハンドルを握ると現役時代をほうふつとさせる“攻め”のモードに。ときおり、テール・トゥ・ノーズというよりも、コンコンとバンパー同士のコンタクトを楽しむかのようなせめぎあいを見せるなど、見せ場たっぷりのレースに、観客はもちろん関係者も熱くなっていた。
■“おいしいイベント”の今後に期待
レースはもちろん、場内でのトークショー、サイン会、実況するテレビへの出演などなど、ドライバーたちは(特に、ふたつのカテゴリーに参戦した選手は)、この週末多忙を極めたことだろう。しかし、中には「ふだん体験できないことを実戦トレーニングすることができた」と前向きにとらえる選手もいるなど、ドライバーとして新たな経験値を得る機会にもなったはずだ。
サーキット全体が活気に包まれ、レースは大いににぎわった。短期決戦のスプリント形式であるため激しいバトルが多く、レギュラーシーズンならば他チームから抗議が出されても不思議ではないようなデッドヒートも見られた。そのたびに、展開を見守るスタンドの観客から大きな声が沸き起こったあたり、モータースポーツならではのスリルや迫力が、全身で受け止められたのではないかと思う。
そんなハラハラドキドキを味わってほしいという希望からか、初めての試みではあったけれど、スプリントカップに用意されたメニューは、かなり欲張ったものだった。とはいえ、今後もこのイベントが続けられるなら、さまざま検討を繰り返し、さらにおいしいメニューが作られるかもしれない。グランドフィナーレで叫ばれた、「We Love MOTORSPORTS!」の言葉を胸に。
(文=島村元子/写真=オフィスワキタ KLM Photographics)
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