第944回:こんな自動車生活は最後かもしれない ―ある修理工場で考えたこと―
2026.01.15 マッキナ あらモーダ!きっかけはバッテリー上がり
2026年に初めてクルマに乗ろうと思ったら、エンジンが始動できなかった。その日の気温は氷点下。こんなこともあろうかと積んでおいたジャンプスターター付きモバイルバッテリーも、充電容量不足で役立たずだった。残量確認もせず何カ月も放置していたのだから、自業自得である。
家にモバイルバッテリーを持ち帰ってフルチャージしてから再度挑むと、エンジンは始動できた。しかしながら最低気温が氷点下の日がしばらく続く。同様のことがいつ起きるとも限らないので、クルマのバッテリーを交換することにした。
こういうときイタリアでは、エレットラウト(elettrauto)に持ちこむ。主に電装関係を得意とする修理工場のことを指すが、それ以外の部分も守備範囲としている場合が少なくない。
筆者は2025年からたびたび世話になったエレットラウトがあった。フェデリコさんというおじさんが独りで営んでいる工場だ。天井こそ高いものの、クルマ3台がやっと入る小さなガレージである。
何を直してもらったかを振り返れば、まずはエアコンのガス抜け、続いてドアミラー内蔵ウインカーの故障、そしてタイミングベルト切れであった。ドアミラーを除き、F1のピットインのごとく、その場で解決してくれた。
さて、フェデリコさんの検査機器によれば、筆者のクルマのバッテリーは始動能力を示すコールドクランキングアンペア(CCA)値が、規格のほぼ半分に減っていた。新品バッテリーと交換してもらった途端、笑ってしまうくらいイグニッション一発でかかるようになった。1970年代に日本のAMラジオから流れていた、GSバッテリー(現GSユアサ)のCMソング「パパ、すげえな。エンジンがすぐかかる」を、心のなかで口ずさんでしまった。
これまで5年半使っていたのは、筆者のクルマと同じ欧州ブランドの純正品である。「最近は純正だからといって長持ちするとは限らないのは困ったもんだ」とフェデリコさんは笑う。筆者のクルマのかたわらで、別の一台が整備用リフトに載せられていた。「シトロエン・メアリ」である。
「粉」になってゆく
古いヨーロッパ車に詳しい読者には釈迦(しゃか)に説法であろうが、シトロエン・メアリとは、1968年から1987年まで製造されたフルオープンのレジャー・実用兼用車である。戦後フランスを代表する大衆車「シトロエン2CV」のメカニカルコンポーネンツ、および「シトロエン・ディアーヌ」のプラットフォームとシャシーが流用されている。そのボディー形状ゆえ、フランスやイタリアでは新車時代に海岸部や観光地で、いわゆるビーチカーとして重宝された。そのため、今日でも南部や離島で生き残っている例が数多く見られる。2015年に同じ名前を冠した電気自動車が当時のグループPSAから発表されたとき(参照)、その祖先としても話題となった。
フェデリコさんのガレージにあるメアリは、客のクルマではなかった。わずか数週間前に手に入れたものという。1981年式で、元ビーチカーと思いきや、「キャンティー地方(トスカーナ州内の丘陵地帯)の持ち主が放置していたクルマだよ」と話す。本業のかたわらで、こつこつと直してゆくつもりだそうだ。
「シトロエン自体は交換部品の製造をとうにやめている。だが、フランスには今もメアリを得意とする専門業者があって、イタリア語でも対応してくれるから、パーツの入手はそれほど苦行ではない」とフェデリコさん。筆者が補足すると、そうした業者のなかにはシトロエン公認の企業もあり、フランス人ファンの間では「パーツを本気でかき集めれば、今も新品のメアリが1台つくられる」とさえいわれている。
仕事で培った腕があるため、新品パーツへの交換は最小限にとどめられるフェデリコさんだが、そうたやすくないこともわかったという。最大の難関はABS樹脂製のボディーパネルだ。軽量化やメンテナンス性に貢献したその部材も、45年が経過して劣化、詳しくい言えば粉末化が激しいのだという。かつて「アルファ・ロメオ・アルファスッド」はその劣悪な鋼板の質と防さび処理から、「さびて消えてしまう」とやゆされた。メアリの場合は粉になって消えてしまう恐れがあるのだ。
カフェよりもクルマ
最低気温が零下の日だったが、扉は開放のまま。「ここにいると寒さを感じないんですよ」とフェデリコさんは語る。その日、工場にはフェデリコさんのほかにもうひとりの姿があった。聞けば彼の父親であるパオロさんであった。
1938年生まれ、2026年で88歳のパオロさんは、穏やかな口調で語る。「私が働き始めたのは12歳のとき。当時のイタリアで、その年齢で仕事に就くのはけっして珍しいことではありませんでした」。就職先はシエナのアルファ・ロメオ整備工場だった。計算すると1950年。ちょうどアルファ・ロメオが超高級車メーカーから普及ブランドへと大転換を図った年である。
工場長にまで昇進したあと独立し、郊外に自身のガレージを構えた。主に空冷フォルクスワーゲンのサービスにあたったという。「土曜も日曜もなく働いたものです」とパオロさんは振り返る。現在の場所に移転したのは1972年、34歳のときだった。後年、1968年生まれのフェデリコさんが跡を継いでくれた。
夕刻になると、パオロさんと同年代のお年寄りは、イタリア式喫茶店のバールでカフェを傾け、世間話に興じるのが一般的だ。「でも私は、バールよりもクルマといるほうが楽しいのですよ」。ゆえに可能な限り、息子の工場に顔を出す。
寂しくてならない
昨今イタリアでも、修理工場の近代化が進んでいる。ディーラーのサービス工場と見まごうようなハイテク感あふれる店構え。入り口のドアを開ければ、観葉植物やモダンなソファが置かれていて、若い受付専任のスタッフがいる。
だが込み入った話になると、たちまち現場のスタッフを呼びに中座する。そうしてやってくるメカニックも、明らかに知識不足であったりする。さらに……自分も外国人として苦労した身ゆえ、国籍差別をする意図はまったくないが……もはや彼らが完璧なイタリア語を話すとは限らない。ようやく修理の方針が決まったあと、受付スタッフは机の上のPC画面を見ながら、「来週いっぱいまで予約不可ですね」と平然と宣告する。
そうした今風の店からすると、フェデリコ&パオロ親子の仕事場は、昔ながらの修理工場の雰囲気があふれている。なによりもほほ笑ましいのは、修理依頼でない知り合いのおじさんがふらっと訪れても、フェデリコさんは嫌な顔ひとつせず、しばし彼らの話につきあっていることだ。入庫中の他人のクルマが話の種になることもある。たとえば以前、「ルノー5ターボ」のエンジンを搭載した「ルノー4」がいたときも、おおいに盛り上がっていた。もちろん、クルマに詳しくない人にも丁寧に対応している。誰でもすぐに熟練メカニックと話ができる草の根工場こそ、クルマ文化存続の鍵なのではないか、と思う今日このごろである。
フェデリコさんは2026年で58歳。娘は大学生で、現在公認会計士を目指してインターンに励んでいる。「高収入が見込めるいい仕事だ。でもまだまだ学費がかかるので、私は働き続けないといけないんだよ」と笑った。
修理に高度な専門機器を要さない中古車に乗れ、フェデリコ親子のような、気軽に立ち寄れる工場がある。筆者はイタリア自動車生活にとって最後のベル・エポック(よき時代)に立ち会っている。
将来フェデリコさんは、娘の独立を機会に工場の扉を閉じるだろう。筆者が後期高齢者になる時代には、今日のお年寄りがやっているように、たとえ運転から卒業しても毎日クルマ談議ができる場所はない。そう考えると、一抹の寂しさを覚えるのである。
(文=大矢アキオ ロレンツォ<Akio Lorenzo OYA>/写真=Akio Lorenzo OYA,ステランティス/編集=堀田剛資)
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大矢 アキオ
Akio Lorenzo OYA 在イタリアジャーナリスト/コラムニスト。日本の音大でバイオリンを専攻、大学院で芸術学、イタリアの大学院で文化史を修める。日本を代表するイタリア文化コメンテーターとしてシエナに在住。NHKのイタリア語およびフランス語テキストや、デザイン誌等で執筆活動を展開。NHK『ラジオ深夜便』では、25年間にわたってリポーターを務めあげる。『ザ・スピリット・オブ・ランボルギーニ』(光人社)、『メトロとトランでパリめぐり』(コスミック出版)など著書・訳書多数。近著は『シトロエン2CV、DSを手掛けた自動車デザイナー ベルトーニのデザイン活動の軌跡』(三樹書房)。イタリア自動車歴史協会会員。
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