
1961年3月、都内で行われた報道関係者向けのお披露目式におけるアレマーノ製のスカイラインスポーツ・コンバーチブル。
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1961年3月、都内で行われた報道関係者向けのお披露目式におけるアレマーノ製のスカイラインスポーツ・コンバーチブル。
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62年4月の発売に際して発行されたカタログの表紙。「チャイニーズ・アイ」を強調したカットだが、はたしてミケロッティは東洋のクライアントからの注文ということで、意図的にこのモチーフを採用したのだろうか?
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クーペのサイドビュー。ホイールベースはスカイライン/グロリアと共通の2535mmだが、前後とりわけリアのオーバーハングが延長された結果、全長はそれらベースカーに比べ270mmも長い4660mm。なお全幅は1695mm、全高はクーペ1385mm、コンバーチブル1410mm。まだ未舗装路が多かった当時の道路事情を反映して、ロードクリアランスは210mmと高い。
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いささかアクの強いマスクに比べ、シンプルにまとめられたリアビュー。細いピラーやドアの後ろでホップアップしたリアフェンダーのふくらみなどにも、イタリアン・カロッツェリアの作品ならではの繊細さが感じられる。
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イタリアンGTの文法に則ったインパネ。アレマーノ製プロトタイプでは計器類は速度計と集合計のみだったが、生産型では大径の速度計と回転計(国産初)のほか、小径の燃料、水温、油圧、時計が装着された。3スポークのステアリングホイールは一見ナルディ風だが国産で、リム部分はエボナイト製。
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本革張りのシート。フロントはこれまた国産初のリクライニング式。このコンバーチブルでは後席は2人掛けだが、クーペでは3人掛けとなる。
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カタログのカラーチャート。ボディカラーはクーペとコンバーチブルにそれぞれ4色ずつ用意され、何色かの内装色と組み合わされているが、なにしろオーダーによるハンドメイドゆえ、これら以外の色、あるいは組み合わせでも注文可能だったと思われる。
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参考までに紹介するが、これはスカイラインスポーツではなく、トライアンフ・ヴィテスである。同じデザイナーによる、同じスタイリング・モチーフを用いたモデルが存在するのは珍しいことではないが、これもその一例。デビューは62年春で、スカイラインスポーツの発売と同時期だった。
『第45回:『トリノの風薫る』プリンス・スカイラインスポーツ(1962-63)(その4)』の記事ページへ戻る