-
-
予選で最速タイムを叩き出したミハエル・シューマッハーのフェラーリ(手前)は、終始他を寄せ付けることなく、一度も首位を譲ることなく、圧勝した。スタートで兄に続いたラルフのウィリアムズBMW(奥)は、オープニングラップで1秒の差をつけられ、以後フェラーリをとらえることはできなかった。(写真=KLM Photographics J)
-
ホンダの母国で優勝を目指したBARホンダの2台。金曜日大雨、土曜日中止と、セットアップを煮詰める時間が皆無に等しかった今回、バトン(手前)2ストップ、佐藤琢磨(奥)3ストップと作戦を分けて臨んだ。
結果、ピットインが1回すくなかったバトンに軍配が上がり、シューマッハー兄弟の後ろ、3位でフィニッシュした。
佐藤とのダブル入賞で、ルノーとの間には16点の壁ができた。コンストラクターズランキング2位決定は最終戦ブラジルに持ち越されるが、BARホンダが圧倒的に優位にいることは間違いない。(写真=KLM Photographics J)
-
地元の大声援に応えるべく、表彰台に向けて奮戦した佐藤琢磨(左)。予選で4番グリッドを獲得し、決勝を前に期待はますます膨らんだ。
スタートで5番グリッドのバトンに抜かれたものの、ジャガーのマーク・ウェバーをかわしたことで4位の座をキープ。ピットインのタイミングで一時は2位を激走した。しかし、2セット目のタイヤに交換した後はペースがあがらず苦戦。また途中でドリンクボトルが機能せず、ノドがカラカラになりながらの走行を強いられた。結果、惜しくも表彰台に届かず、4位でゴールした。(写真=本田技研工業)
-
“タクマ効果”か、今年は例年以上に多くの観客が鈴鹿サーキットにつめかけた。決勝日には15万6000人がレースを見守ったと伝えられる。(写真=本田技研工業)
-
11年のGPキャリアに終止符を打つオリヴィエ・パニス(左)。(左から)トヨタ自動車の齋藤明彦副社長、今回からトヨタを駆ることになったヤルノ・トゥルーリ、そしてトヨタ自動車の張富士夫社長が、大ベテランの長年の健闘と功績を称えた。
F1参戦3年目、50戦の節目を鈴鹿で迎えたトヨタ勢は、予選でこそトゥルーリが6位につけたものの、レースではトゥルーリ、パニスともにタイヤの不調などに苦しみ、トゥルーリ11位、パニス14位と下位に沈んだ。(写真=トヨタ自動車)
-
それまで二輪メーカーとして活躍してきたホンダが、四輪モータースポーツの最高峰F1に“オール・ホンダ”で参戦を始めたのが1964年ドイツGP。以後、1968年までの第1期に2勝、エンジンサプライヤーとして1983年から1992年まで参戦した第2期に69勝を記録した。
レース前に催された40周年記念パレードランには、往年のチャンピオン、ジョン・サーティース駆る「ホンダRA272」(手前)などが“ホンダサウンド”を響かせた。(写真=KLM Photographics J)
『F1日本GP、シューマッハー独走で13勝目、佐藤は4位入賞【F1 04】』の記事ページへ戻る
