「フィアット・バルケッタ」の“本場”で誕生20周年ミーティング
2015.07.06 画像・写真イタリアの「フィアット・バルケッタ」愛好会「バルケッタ・クラブ・イタリア」は、2015年6月22日から28日にかけて国際ミーティングを開催した。
今回は、1995年に同車の生産が開始されてから20周年を記念したもの。南部ナポリを出発し、首都ローマのフィアット旗艦ショールーム「モーターヴィレッジ」や、マラネッロの「フェラーリ博物館」などを訪問しながら北上し、フィアットゆかりの地トリノに達するコースがとられた。
トリノでは、後期型の生産拠点であったミラフィオーリ工場などとともに、フィアットの旧工場「リンゴット」も訪問。工場ビルの象徴である屋上テストコースも楽しんだ。全ルートだけでなく、一部ルートのみ参加可能という“ゆるい”レギュレーションだったが、リンゴット訪問日を例にとれば100台近くが集まった。
ところで、こうしたイベントの場合オーガナイザーは、ワゴン車などで追うことが普通だが、今回の場合、そうした車はなし。彼らは訪問地で必要なツールから参加者に配る記念品まで、すべてバルケッタに分載してやってのけた。日頃からの慣れたバルケッタ使いと、「いつでも愛車と一緒」という熱いパッションが感じられた。
(文と写真=大矢アキオ<Akio Lorenzo OYA>)

かつてフィアットの工場で、現在は複合商業施設として使われているトリノ・リンゴットに集結した「フィアット・バルケッタ」20周年ミーティングの参加車両。2015年6月26日。
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かつてフィアットの工場で、現在は複合商業施設として使われているトリノ・リンゴットに集結した「フィアット・バルケッタ」20周年ミーティングの参加車両。2015年6月26日。
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その日、参加車の多くは、前夜の宿泊地である「ロメオとジュリエット」で知られるイタリア北東部ヴェローナを出発。300km以上を走って、リンゴットに続々到着した。
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「バルケッタ・クラブ・イタリア」の創設メンバーで、会員番号2番というロマーノ・ピージ氏。猛暑にもかかわらず、派手なアクションの誘導で奮闘していた。
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ロマーノ氏の自慢であるボラーニ製ホイールは4本で2500ユーロ(35万円)。奥さまに黙って買ったようで「かなり怒られちゃったよ」と。
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「バルケッタ・クラブ・イタリア」の初代会長と夫人は、シルバーボディーに赤レザー内装の愛車で参加。
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レザー、アルミ、籐(とう)……バルケッタ乗りは、トランクキャリアに載せるケースにも凝る人が少なくない。
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パーク中の日差しによるコクピット温度上昇は、バルケッタの悩みのひとつ。このイタリア人男性の場合、「ほろを開閉するより簡単」ということで、カバーを自作した。
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「バルケッタ・クラブ・イタリア」はクルマのデビューから5年たった、2000年に設立された。初年度会員は150人だったが、現在は会友も含め約500人にまで増えている。
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ドイツからの参加車と、愉快なサンシェード。
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交通整理の合間、ギリシャ人女性参加者に絡む(?)人気者のロマーノ役員。
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ギリシャから遠来したミハリス・パパニコラウ氏(写真右)。参加者の国籍は、ベルギー、オランダ、フィンランド、そして欧州の友人から車両を借りて参加した日本人エントラントなども含め、9カ国に及んだ。
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イタリア北東部トレヴィーゾからやってきたピエール-パオロ氏。所有する2台のバルケッタで、スコットランドやフィンランドも訪問経験あり。その日乗ってきたクルマのオドメーターも33万kmを刻んでいた。
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オランダ人参加者のリアには、アバルトのスキー板が。季節外れだけにやたら目立つ演出だった。
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後期型のリアスタイル。バルケッタは2005年まで生産された。
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今回のオフィシャルカー。ナポリから全日程をこなしてきたメンバーと。
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20周年記念ロゴは構想初期段階のイメージスケッチをもとにしたもの。当時フィアットでバルケッタを手がけたギリシャ人デザイナー、アンドレアス・ザパティナスから直々に提供を受けた。
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旧フィアット工場棟を建築家レンツォ・ピアノが改装したホテルでビュッフェ・ランチをとったあと、参加者が向かった次なる場所は……。
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リンゴットの名物である屋上テストコースを訪問。オランダからやってきたこの参加車はライオンの尻尾つき。
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ポー川の対岸にある山を見渡すリンゴットの屋上テストコースに集合したバルケッタたち。
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リンゴットの屋上テストコースにて。トリノでは自動車博物館や、後期型の生産拠点だったミラフィオーリ工場も訪ねた。