「日産ヘリテージコレクション」取材会の会場から(後編)
2018.07.11 画像・写真2018年6月27日に行われた「日産ヘリテージコレクション」取材会。後編では、1958年の豪州一周ラリーに使用された「ダットサン210型」をはじめ、今年で60周年を迎える日産のグローバルモータースポーツ活動を彩ったコンペティションマシンを、取材会当日に実施されたヘリテージカー同乗試乗の様子と合わせて紹介しよう。なお日産ヘリテージコレクションは、日程および時間限定の予約制で一般見学も行われている。(文と写真=沼田 亨)
-
1/15同乗試乗に供された2台。右は北米輸出専用車の1961年「ダットサン・フェアレディ」(SPL213)、左は1983年「日産スカイライン ハードトップ2000ターボRS」(KDR30)。
-
2/15同乗試乗中の1961年「ダットサン・フェアレディ」(SPL213)。シャシーは「ダットサン・セダン110型」以来のラダーフレームだが、フロントサスペンションはリーフリジッドからダブルウイッシュボーン/トーションバーの独立式に進化。エンジンは1959年に登場した初代「ブルーバード」(310)と同じ直4 OHV 1.2リッターである。
-
3/151983年「日産スカイライン ハードトップ2000ターボRS」(KDR30)。最高出力190ps(グロス)を発生する直4 DOHC 16バルブ2リッターターボのFJ20ET型を搭載。その時点までの歴代スカイライン中最大のパワーを誇ったため、うたい文句は「史上最強のスカイライン」だった。後にターボにインタークーラーが付加され、最高出力は205psまで増強された。
-
4/15初の国際舞台への挑戦だった、1958年の豪州一周ラリー、モービルガス・トライアルに参戦した、日産のグローバルモータースポーツ活動の原点となる2台。1955年に登場した「ダットサン・セダン110型」の直4サイドバルブ860ccエンジンを、オースチン用をベースにしたOHV 988ccに換装した「210型」。2台そろって19日間、1万6000kmを走破し、左の「富士号」は1リッター以下のAクラスで優勝、右の「桜号」もクラス4位に入賞した。
-
5/15左から1970年の「東アフリカ・サファリラリー」で総合優勝した「ダットサン・ブルーバード1600SSS」(P510)、翌71年の同ラリーで総合優勝した(日産の2連覇)「ダットサン240Z」(HS30)など、「ラリーの日産」の黄金期を築いたマシンが並ぶ。
-
日産 の中古車webCG中古車検索
-
6/15「ブルーバード」(510)や「フェアレディ240Z」の陰に隠れて語られる機会は少ないが、2代目「日産バイオレット」(PA10)は1979年から82年にかけてサファリラリーで4連覇という偉業を成し遂げている。これはその最終年度となる1982年の総合優勝車。230psを発生する直4 DOHC 16バルブ2リッターのLZ20B型エンジンを積んだグループ4仕様である。
-
7/15「ラリーの日産」の夢を再びと、1991年にWRCにカムバックした「パルサーGTI-R」。当時のグループAラリーカーの主流となっていたDOHC 16バルブ2リッターターボエンジンとフルタイム4WDを組み合わせていたが、熱害をはじめとする問題に悩まされ、目立った成績は残せなかった。この個体は1992年のRACラリー出場車。
-
8/151964年の第2回日本グランプリのGTレースで、「ポルシェ904カレラGTS」を一瞬だがリードしたことから「スカイライン伝説」を生んだ「プリンス・スカイラインGT」(S54A-1、手前)と、T-IV(ツーリングカー)レースで優勝した「プリンス・グロリア スーパー6」(奥、S41D)。スカイラインGTはレースを走った個体ではなくレプリカだが、ホンモノと同様に、グランプリ出場のホモロゲーション取得のために急造された100台のうちの1台をベースに作られている。
-
9/15手前から、1968年の第5回日本グランプリで優勝した、「エアロスタビライザー」と呼ばれるリアサスペンション連動のウイングを備えた「日産R381」、翌1969年の日本グランプリで優勝した6リッターV12 DOHC 48バルブエンジンを積んだ「同R382」、そして1970年に日本グランプリ3連覇を目指して開発されたものの、レース中止により一度も実戦に参加することがなかった「同R383」。
-
10/15手前から、1982年に長谷見昌弘が駆った「トミカ スカイライン ターボ」、1984年に柳田春人がドライブした「コカコーラ キヤノン ブルーバード ターボ」、そして1983年に星野一義が駆った「ニチラ インパル シルビア ターボ」のスーパーシルエット3兄弟。いずれもパイプフレームで組んだシャシーに2.1リッター直4 DOHC 16バルブターボのLZ20B型エンジンを搭載、各モデルに似せたボディーをかぶせたマシンである。3台の奥に見えるのは、初代「マーチ」をスーパーシルエット風に仕立てたイメージモデルの「マーチ スーパーシルエット」。
-
11/151987年の東京モーターショーに参考出品された「日産MID4(II型)」。V6 DOHCツインターボ3リッターのVG30DETT型をミドシップし、駆動方式はフルタイム4WDというコンセプトカー。その前回となる1985年の東京モーターショーに出展された「日産MID4」の発展型で、市販はされなかったが、その技術は「フェアレディZ」(Z32)や「スカイラインGT-R」(BNR32)に生かされた。
-
12/151995年「NISMO GT-R LMルマン公認取得用ロードカー」。1990年を最後に中断していたルマン参戦を95年に再開するにあたり、日産はGTクラスを選択。「スカイラインGT-R」(BCNR33)を大幅にモディファイした「NISMO GT-R LM」を製作して挑むことにしたが、「GTクラスの出走車両は一般公道を走行できるロードカーが存在しなければならない」という規定をクリアする必要があったため、写真のロードカー仕様が1台だけ製作され、英国で登録された。
-
13/151998年「日産R390 GT1ルマン公認取得用ロードカー」。当時のルマン24時間の最上位クラスであるGT1の規定では、これまた公認取得のために「公道を走行できる仕様の登録車」が必要だったため、「R390 GT1」のロードカー仕様が1台だけ製作され、英国で登録された。350ps以上を発生する3.5リッターV8 DOHCツインターボのVRH35L型エンジンをミドシップする。
-
14/15「日産R390 GT1ルマン公認取得用ロードカー」のインテリア。シートをはじめ本革張りの部分が多い。
-
15/15訪れるたびに「よくぞこれだけの数を残してくれました」と感動する、1980〜90年代のグループCカーをはじめとするコンペティションマシン群。