オートジャンボリー2011(前編)
2011.07.15 画像・写真2011年7月9日、10日、埼玉県伊奈町にある埼玉自動車大学校で「オートジャンボリー2011」が開かれた。これは自動車整備の専門学校である同校が、教育方針や学生の活動内容の周知を目的として、5年前に始めたイベントである。いうなれば学園祭のようなものなのだが、近郊から集まったおよそ200台のヒストリックカーをはじめ、レーシングカーや学生が手がけたカスタムカー、さらには埼玉県警の協力によるパトカーや白バイまでを展示。いっぽうでは交通安全スタントなどのパフォーマンスや電気自動車ほかの試乗など、子供からマニアまで幅広い層の人間が楽しめる、バラエティに富んだ内容だった。ヒストリックカー展示を中心に、印象的なシーンを紹介しよう。(文と写真=沼田 亨)
(後編につづく)

グラウンドに集結した約200台のヒストリックカー。
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グラウンドに集結した約200台のヒストリックカー。
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1972年「トヨタ・カリーナ1600GT」。70年に「カローラ」と「コロナ」の中間車種として誕生したカリーナに、翌71年に加えられたホットモデル。フロアユニットを共有する「セリカ1600GT」と共通の、ヤマハ発動機がチューンした1.6リッター直4DOHCの「2T-G」エンジンを積み、「和製アルファ」の異名をとった。70年代に「カンパニョーロ」と人気を二分した「クロモドラ」のAタイプ・マグホイールを履いている。
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1986年「トヨタ・スターレット1300Siリミテッド」。「かっとびスターレット」のキャッチフレーズで売り出した型式名「EP71」こと3代目スターレット。これは「韋駄天(いだてん)ターボ」とうたったターボモデルが登場するまでは、もっともスポーティな仕様だった「Siリミテッド」である。今ではすっかり見かけなくなったが、ワンオーナーのフルオリジナルという希少な個体が、ここに生き残っていた。
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これもワンオーナー車という1985年「トヨタ・ビスタ1.8Ci VF-II」。82年に2代目「カムリ」の双子車としてデビューした初代ビスタである。トヨタ初のエンジン横置きFF車で、当時の「クラウン」と同等かそれ以上といわれた広い室内が特徴だった。この個体はエンジンを1回載せ換えて25万km以上を走破しており、国内のすべての都道府県を走ったことがあるという。
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国産初の量産ミドシップスポーツとして、1984年に登場した型式名「AW11」こと初代「トヨタMR2」。この個体は88年式の「1600Gリミテッド・スーパーチャージャーTバールーフ」という、長い長い名称を持つトップグレード。7年ほど前に譲り受けたという現オーナーによって、劣化していた樹脂パーツを交換するなどの化粧直しが施されており、コンディションは極上。
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1954年「日産オースチンA40サマーセットサルーン」。日産が戦中・戦後の技術的空白を解消するため、52年に英国オースチン社と技術提携を結び、翌53年からライセンス生産したモデル。オースチンが日産に与えた影響は大きく、いわば戦後の日産車の師である。全長は4mちょっとだが、全高1630mmと今日のハイトワゴン並みに背の高い、こんもりとした4ドアサルーンボディに直4OHV1.2リッターエンジンを積む。
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1963年「ダットサン・ブルーバード1200エステートワゴン」。59年に登場した初代「ブルーバード」(型式名310)に、60年に加えられたモデル。そもそも対米輸出用として企画されたモデルを国内販売したものだが、4ナンバーの商用バンとは異なる専用ボディを持った、日本初の5ナンバーの量産乗用ワゴンだった。この個体はその最終型である。エンジンはオースチン用をベースに生まれた直4OHV1.2リッター。
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1971年「ダットサン1500ライトバン」。頑丈なセパレートフレームを持つ「ダットラ」こと「ダットサン・トラック」のバリエーションで、バンのほかにダブルピックアップも存在した。型式名は「521」で、スタイリングは63年にデビューした2代目「ブルーバード」(型式名410)に準じている。この個体はローダウンし、ホイールやミラーなどに手が加えられているが、スッキリと控え目なカスタムで好印象。
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1979年「ダットサン・ブルーバード・ハードトップ1800SSS」。直線定規のみでデザインしたような四角四面のマスクを持つ、型式名「810」と呼ばれる5代目ブルーバードの後期型である。エンジンはSOHCヘミヘッド、ツインプラグのZ18型1.8リッターで、キャッチフレーズは「ザ・ヘビーデューティカー」。広告では加山雄三がイメージキャラクターを務めていた。見たところフルオリジナルで、コンディションもすばらしい。
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1987年「日産Be-1」。初代「マーチ」をベースにした日産のパイクカー第1弾で、デビュー当時は社会現象と呼んでもいいくらい話題になった。当時の人気と1万台限定という生産台数からすれば、後年になってプレミアムがついてもよさそうなものだが、意外にそうではなかった。「パンプキンイエロー」と称するイメージカラーに塗られたこの個体は、ホイールにムーンディスクを装着しているほかはオリジナルのようである。
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1970年「三菱コルト・ギャラン・ハードトップAIIGS」。レストアされ、まるで新車のような輝きを放つ初代ギャランの初期型のトップグレード。ヘッドライトをコンシールド(隠された)タイプのように見せるべくライトの前に装着されたルーバーは、当時の純正オプション。ホイールはカンパニョーロ101E。エンジンは吹け上がりのよさで定評のあった、「サターン」と呼ばれるSOHCクロスフローの1.5リッター。
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1975年「三菱ギャラン・ハードトップ2000GS-II」。73年に登場した「ニューギャラン」こと2代目ギャランのトップグレード。存在自体が非常に珍しいが、加えてこの個体は現オーナーの祖父君が新車で購入したという、いわば「準ワンオーナー車」である。エンジンは「アストロン」と呼ばれるSOHCクロスフローの2リッター。これまたカンパニョーロ101Eホイールを履いている。
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1978年「三菱ギャランΛ(ラムダ)」。3代目ギャランとなる4ドアサルーンの「ギャランΣ(シグマ)」とフロアユニットを共有するスペシャルティカーで、76年にデビュー。エンジンはサイレントシャフト付きの「アストロン80」ことSOHCクロスフローの2リッター。懐かしのエンケイディッシュ(アルミホイール)に、これまた懐かしいBFグッドリッチのホワイトレター入りタイヤを履いている。
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1963年に発売された、ホンダ初の市販四輪車であり、日本初のDOHCエンジン搭載車でもあった「T360」が2台並んでいた。これしか四輪用エンジンがなかったから、と言ってしまえばそれまでだが、スポーツカーの「Sシリーズ」と基本設計を同じくする、4連キャブレターを備えた水冷直4DOHC354ccエンジンを積んだ、常識破りの軽トラである。30psの最高出力は、当時の軽の平均より5割がた強力だった。
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なんとも愛らしい姿の、1961年「スバル360」。日本が世界に誇る傑作ミニカーの、ファンの間では「出目金」の愛称で呼ばれる(大ざっぱに言って)初期型である。基本的なレイアウト、ボディサイズともに隣にチラッと見える「フィアット500」(ヌオーバ・チンクエチェント)に近いが、こと乗り心地に関してはスバルのほうがはるかに優れる。エンジンは18psを発生する空冷2ストローク2気筒356ccをリアに搭載している。
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仲よく並んだ2台の1968年「スバル・サンバー・バン」。左右対称ということは……左側はアメリカはシアトルからの逆輸入中古車。国内仕様との外観上の識別点はオーバーライダー付きバンパー、アンバーのウインカーレンズ、“Sumber”ではなく“Subaru”のエンブレム、リアサイドのリフレクターなど。室内も前席のスライド幅が大きかったり、後席のレッグルームもわずかながら広げられていたりと、細かな部分が異なるという。
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エンジン単体をディスプレイしていた、1968年「スバル1000スポーツセダン」。水平対向エンジンによるFF、という今日まで続くスバルのアイデンティティの出発点となるモデルが、66年にデビューした「スバル1000」。それをチューンした「スポーツセダン」用のツインキャブユニットはOHVながら7000rpmまで軽く回り、鋭いレスポンスを誇る。徳大寺巨匠いわく「初めて乗ったときは、ポルシェ356みたいだと思った」。
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1962年(右)および63年(左)の「ダイハツ・ミゼットMP5」。高度経済成長を支えた横丁の働き者である軽三輪の代名詞となったヒット作「ミゼット」の最終型で、62年から72年まで作られた。エンジンは空冷2ストローク単気筒305ccで、最高出力は12ps。ボディカラーは左側のほうがオリジナルに近い。ちなみに生産台数の関係から、おそらく将来的には「ミゼットII」のほうがレアになる?
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筆者の個人的見解では、約200台のなかでもっとも希少なモデルがこれ。1979年「ダイハツ・シャレード・クーペ」。ダイハツ入魂の作として77年にデビューしたリッターカー、初代「シャレード」に加えられた3ドアハッチバッククーペである。クオーターピラーに開けられた、「マリンウィンドウ」と呼ばれる潜水艦のような丸窓が特徴。エンジンはもちろん直3SOHC1リッターである。アルミホイールはノン・オリジナル。
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「スズキのマー坊と呼んでくれ」という、デビュー時のテレビCMのキャッチフレーズが記憶に残る「スズキ・マイティボーイ」。2代目「セルボ」をベースにしたピックアップトラックで、この個体はデビューイヤーである1983年式。カスタムベースとしての人気が高く、新車当時は「ランチア037ラリー」風に装う「ヤンチャ・ラリー」なんていうボディキットもあったっけ。