第28回:個性派たちの遊撃戦
時代を変えた風雲児たち
2018.07.19
自動車ヒストリー
自動車の普及と販売競争がもたらした、大衆車から高級車にいたる序列。しかし歴史を振り返ると、ヒエラルキーの外に突然現れ、時代を変えるほどの衝撃を与えたモデルが確かに存在した。日本の自動車史に名を残す個性的な3台の“遊撃手”を紹介する。
トヨタと日産の販売戦争が激化
戦後日本のモータリゼーションを主導したのは、トヨタと日産である。1955年に発売された「トヨペット・クラウン」は、戦後初の本格的国産乗用車だった。公称最高速度100km/hという動力性能と快適な乗り心地が高い評価を受け、自主開発路線が正しかったことを証明した。しかし、100万円近くする価格は当時の庶民がおいそれと手を出せるものではない。自家用車として使われることは少なく、タクシー用途が主流だった。
自動車の普及に大きな役割を果たしたのは、1959年に日産が発売したひと回り小さなモデルの初代「ブルーバード」である。前身となる「ダットサン210型」がトラックと共用のシャシーだったのに対し、乗用車専用の設計を採用して走行性能を飛躍的に向上させた。タクシー需要が好調だっただけでなく、一般ユーザーからも支持されて売れ行きが伸びる。トヨタは1960年に2代目「コロナ」を発売して対抗するが、ブルーバードの牙城を崩すには至らなかった。
ブルーバードとコロナの販売合戦は次第に激しさを増し、社運をかけた競い合いが“BC戦争”と呼ばれるようになる。ブルーバードは1963年に発売された2代目のデザインが不評で、翌年発売された3代目コロナが初めて首位を奪った。それでもブルーバードはアメリカでの販売が好調を持続し、輸出台数ではコロナを上回っていた。
1966年になると、戦いの場を移してさらに競争はヒートアップ。日産が4月に「サニー」を発売し、ベーシックな大衆車の市場を切り開く。スタンダードが41万円という低価格もあり、人々は好感をもって迎え入れた。11月、トヨタは同じクラスの「カローラ」をデビューさせる。サニーよりも100cc大きな1100cエンジンを搭載し、「プラス100ccの余裕」というそのものズバリのキャッチコピーで優位性をアピールした。1970年になると、モデルチェンジしたサニーがエンジンを1200ccに拡大し、「隣のクルマが小さく見えます」とやり返す。
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清新なイメージを体現したシビック
ラインナップがそろい、トヨタでは「カローラ→コロナ→クラウン」、日産では「サニー→ブルーバード→セドリック」という序列が確立される。若い時にエントリーカーを手に入れ、収入や地位が上がるにつれてクルマもグレードアップさせていくという構図が固まったのである。
トヨタと日産が張り合う一方で、ほかのメーカーも注目すべきモデルを作っていた。1966年、富士重工がFFで水平対向エンジンというユニークなメカニズムを持つ「スバル1000」を発売。1967年には、東洋工業(現マツダ)がロータリーエンジンを搭載した「コスモスポーツ」を世に出す。1969年にホンダが満を持して発表したのは、空冷エンジンにこだわった「ホンダ1300」だった。それぞれに意欲的なメカニズムを備えたモデルだったが、モータリゼーションを担う主役とはなっていない。
時代を変えるほどのインパクトを持っていたのは、1972年の「ホンダ・シビック」である。アメリカの大気汚染規制法であるマスキー法を世界で最初にクリアしたCVCCエンジンを搭載したことで、世界に衝撃を与えたクルマだ。人気となったのは環境性能が優れていたからだけではない。何よりも、クルマ全体が新鮮さを感じさせたことが、若い人たちを引きつけた。
競争が激化すると、ユーザーの心をとらえるためにクルマをいかに高級に見せるかが販売戦略のテーマとなる。シビックはこうした風潮に背を向けた。飾り立てることをせず、経済的で合理的であることを前面に押し出したのだ。2ボックススタイルとFF方式を採用したのも、時代の先端を行っていた。ホンダは戦後にできた新しい自動車メーカーであり、F1参戦というチャレンジも行っていた。清新なイメージを見事に体現したのがシビックだったのである。
トレンディーなファミリアが初代イヤーカーに
同じように、ほかのクルマにはない個性によって80年代に人気を博したのが「マツダ・ファミリア」である。オート三輪のメーカーとして成功していた東洋工業は、1960年に軽自動車の「R360」で四輪乗用車の分野に進出した。1963年には小型乗用車のファミリアを発売し、ライトバンからセダン、クーペとラインナップを拡大していく。エンジンは「キャロル」のものを拡大した800ccの水冷直列4気筒で、700ccの「トヨタ・パブリカ」より大型だったことが購買意欲を刺激した。
ファミリアの4代目は、ヨーロッパや北米でも販売されるようになっていた。日本で大ヒットしたのは、初めてFF化された1980年の5代目である。駆動方式の変更に合わせてデザインを一新し、シンプルな面で構成された直線基調のハッチバックになった。「フォルクスワーゲン・ゴルフ」の登場で世界のトレンドとなっていたスタイルを、いち早く取り入れたのだ。
FFの利点を生かして室内は広く、前席シートはほとんどフルフラットになるまで倒すことができた。若者の圧倒的な支持を得たのは、電動サンルーフなどが標準装備とされた「XG」グレードである。色は鮮やかな赤が選ばれた。エンジンは74馬力の1.3リッターと85馬力の1.5リッターの2種類。どちらもクラストップレベルのハイパワーでありながらガソリン消費量は少なかった。前年に第2次オイルショックが起きていて、燃費のよさがアピールポイントとなったのだ。
この年から始まった日本カー・オブ・ザ・イヤーで、ファミリアは初代イヤーカーとなった。売れ行きはその後も伸び続け、1982年と83年には、月間販売台数でカローラとサニーを抑えて5回の1位を獲得している。
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パリでダンスしたジェミニ
戦前にバスやトラックなどの生産でトップ企業となっていたいすゞ自動車は、戦後になると「ヒルマン・ミンクス」のライセンス生産で乗用車部門に進出する。その経験をもとに、「ベレル」「ベレット」という独自開発のモデルを製造するようになった。ベレルは失敗に終わったが、ベレットはスポーティーなハンドリングで高い評価を受ける。それでも乗用車販売のノウハウに乏しいいすゞは1960年代に経営が悪化し、1971年にアメリカのゼネラルモーターズ(GM)と資本提携することになった。
GMでは「グローバルカー構想」を推進しており、その中で生まれたのが「ジェミニ」だった。「オペル・カデット」をベースとし、世界中でそれぞれの国に合わせたモデルを製造する取り組みである。「シボレー・シェベット」や「ポンティアック1000」は姉妹車にあたる。
ジェミニは1985年にFF化され、2代目となった。こちらはいすゞが独自に開発したモデルである。基本デザインは「117クーペ」や「ピアッツァ」も手がけたジョルジェット・ジウジアーロが担当し、都会的な印象を与える洗練されたスタイルとなった。1.5リッターのガソリンエンジンのほかに、お得意のディーゼルエンジンも用意された。
キビキビとしたハンドリングが好評で、売れ行きも順調に伸びていく。クルマの出来の良さ以外にも、ヒットの要因があった。「街の遊撃手」というキャッチコピーが使われたCMが、強い印象を残したのである。パリにクルマを持ち込み、凱旋(がいせん)門やエッフェル塔を背景にして撮影を行った。ワルツやシャンソンが流れる中、ジェミニがダンスを踊るように街を走る。息を合わせて流れるようにランデブー走行する様子は優雅に見えたが、華麗な動きの裏にはプロのドライバーチームの緻密な運転技術があった。
最初の2台バージョンから徐々に数が増えて、20台以上がエレガントな乱舞を披露するCMもあった。地下鉄の駅から階段を駆け上がるシーンも撮影されている。CMのコンセプトには、ハンドリング重視、ヨーロッパ志向というジェミニのキャラクターが強く表れていた。ドイツのイルムシャーやイギリスのロータスと組み、スポーティーなチューニングが施された特別モデルも販売されている。
いすゞは2002年に乗用車部門から撤退したが、ジェミニのCMは今も語り継がれている傑作だ。初代シビック、赤いファミリアも、一つの時代を作ったクルマとして今も多くの人が鮮明に記憶している。突然現れて華麗な遊撃戦を繰り広げたクルマたちは、風景を一変させてしまうような衝撃をもたらしたのだ。
(文=webCG/イラスト=日野浦 剛/写真=いすゞ自動車、トヨタ自動車、日産自動車、本田技研工業、マツダ)
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鈴木 真人
名古屋出身。女性誌編集者、自動車雑誌『NAVI』の編集長を経て、現在はフリーライターとして活躍中。初めて買ったクルマが「アルファ・ロメオ1600ジュニア」で、以後「ホンダS600」、「ダフ44」などを乗り継ぎ、新車購入経験はなし。好きな小説家は、ドストエフスキー、埴谷雄高。好きな映画監督は、タルコフスキー、小津安二郎。
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