「ホンダクラシックミーティング」の会場から
2020.01.31 画像・写真2020年1月26日、埼玉県越谷市のしらこばと公園で「ホンダクラシックミーティング」が開かれた。ホンダ旧車限定のイベントはこれまでにも実施されたことがあるが、このミーティングは「昭和のホンダ旧車お助けショップ」を看板に掲げる、埼玉県さいたま市にある「ガレージサイコー」の主催によるもので、今回が初開催となる。
参加資格は1990年式までのホンダ四輪車ということで、車種としてはホンダ初の市販四輪車である軽トラックの「T360」に始まり、1990年に発売された「NSX」は参加可能だが、翌1991年デビューの「ビート」は含まれない、ということになる。当日は都内近郊に夜半から降り始めた雨の影響で多少のキャンセルはあったものの、1980年代のモデルを中心に約60台が集まった。それらの中から、リポーターの印象に残ったモデルを紹介しよう。
(文と写真=沼田 亨)
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1/30しらこばと公園の芝生広場に並べられた、約60台のホンダ・クラシック。ちなみに雨は、会場付近ではほとんど降らなかった様子。
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2/30ホンダ初の四輪乗用車だったスポーツカーの「S」シリーズ。手前から1964年に発売された「S600」、最終発展型である「S800M」、そしてテールゲート付きのハッチバッククーペだった「S800クーペ」。
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3/30当時モノというフラットな形状のレーシングハードトップやRSCレプリカのアルミホイール、メガホンマフラーなどでコンペティション仕様風に装った「S800」。
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4/301967年に発売された、ホンダ初の実用的な乗用車だった軽の「N360」。年季の入ったこの個体は俗に“N I(エヌワン)”と呼ばれる前期型の高性能版「TS」風だが、中身は中期型の“N II(エヌツー)”だという。キャンバス製の純正サンルーフと、空冷エンジンをオーバークールから守る純正オプションのグリルカバーが装着されている。
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5/301970年にマイナーチェンジされた「N」シリーズの最終発展型である「N III 360」(正式名称)。この個体は希少なオートマチック(3段AT)仕様だったが、4段MTに換装されている。
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6/301971年に発売された「ライフ」の、72年のマイナーチェンジ以降のモデル。ライフは356cc直列2気筒エンジンを「N360」の空冷から水冷に転換。振動を抑えるバランスシャフトや、カムシャフト駆動に日本初となるコッグドベルトを採用するなどして静粛性を重視した「大人の軽」だった。
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7/301969年に発売されたものの商業的には大失敗に終わった、DDAC(二重空冷)と称する特殊な空冷エンジンを積んだ「1300」シリーズ。その空冷エンジンを、初代「シビック」用を拡大した水冷の1433ccに換装した暫定的なモデルが、1972年に登場したこの「145セダン」(145はイチヨンゴと読む)。非常に珍しい。
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8/304台並んだ初代「シティ」と、そのラゲッジスペースに収まる原付きバイク「モトコンポ」。右端のモデルは、初期の最上級グレードだった「シティR」に「ターボ」(通称ターボI)用のグリルとパワーバルジを装着している。
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9/301983年に追加された「ターボII」。“ブルドッグ”の愛称で呼ばれた、ブリスターフェンダーなどで迫力を増したボディーに、空冷インタークーラー付きターボを備えた1.2リッター直4 SOHCエンジンを積んだベビーギャング。ボディーカラーはこの2色とメタリックブルーの計3色だった。
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10/30「ダットサン・フェアレディ2000」以来14年ぶりとなる国産オープンカーとして、1984年に誕生した「シティ カブリオレ」。ピニンファリーナの手でオープン化されたボディーは、そのための補強や「ターボII」に準じたワイド化などによってベーシックモデルより100kg以上重くなっていた。だがエンジンは自然吸気のシングルキャブ仕様のみで、アンダーパワーと評された。ボディーカラーは、パステルカラーを中心に12色もそろっていた。
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11/30世界で初めて後処理なしでアメリカのマスキー法(排ガス規制法)をクリアした、ホンダ独自のCVCCエンジン。初代「シビック」に、日本の昭和51年排ガス規制をクリアした1.5リッターのCVCCエンジンを積んだ「3ドア 1500RSL」は、1975年に登場した。排ガス未対策時代の高性能グレードである「1200RS」に似た内外装を持つが、中身はおとなしい。
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12/30「シビック」は1979年にフルモデルチェンジを果たし“スーパーシビック”を名乗るが、見た目も内容も初代のキープコンセプトだった。これは1981年のマイナーチェンジでヘッドライトが丸形から角形に改められた後期型のスポーティーグレード「3ドア CX-S」。
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13/30前出の2代目「シビック」のバリエーションである「シビック カントリー」。リアサスペンションをストラットの独立からリーフリジッドに替えたシャシーとボディーは4ナンバーの商用バンと共通だが、ホンダ初となる5ナンバーの乗用ワゴンだった(8ナンバーの軽ワゴンは初代「ライフ」に存在した)。ボディーサイドの木目パネルはオプション。
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14/301983年に出た3代目“ワンダーシビック”と基本設計を共有する、「シビック」系では初のクーペモデル「バラードスポーツCR-X」。1983年9月にデビューする3代目シビックシリーズとその兄弟車である「バラード セダン」より2カ月早い、同年7月に先行発売された。2200mmのホイールベースは2年後に登場する軽の初代「トゥデイ」より短く、軽快なハンドリングが魅力のFFライトウェイトスポーツだった。
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15/301987年にデビューした4代目“グランドシビック”の「3ドアSi」。3代目の途中で登場した、ホンダとしては「S800」以来のDOHCエンジンとなるZC型1.6リッターを搭載。ホイールを含めオリジナル(+純正オプション)の姿を維持している個体は珍しい。
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16/301988年にデビューした「コンチェルト」。当時提携していたオースチン・ローバー・グループ(ARG)と共同開発したモデルで、欧州では2代目「ローバー200」として発売された。「シビック」をベースとする4ドアセダン(写真)と5ドアハッチバックで、上級グレードには本革シートを採用するなど、日本には珍しい“小さな高級車”だったが、一代限りで消滅した。この個体は無限製アルミホイールを履いている。
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17/301976年に初代「シビック」の兄貴分として登場した初代「アコード」。当初は3ドアハッチバックのみだったが、翌77年にこのサルーンが追加された。エンジンは1.6リッターだったが、翌78年のマイナーチェンジで1.8リッターに拡大されてしまうため、この初期型(1600)サルーンは1年弱しかつくられなかった。
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18/30初代「アコード」(ハッチバック)の中期型。「品川58」から始まる新車時からのナンバーを付けた1980年式というこの個体はワンオーナー車で、塗装もオリジナルのままというから驚く。
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19/30初代「アコード」の後ろ姿。お世辞にもボディーのつくりがいいとは言えなかった当時のホンダ車で、わずかなサビや傷もなく、この塗装やメッキの色艶。まさに奇跡のコンディションである。
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20/30室内もご覧のとおりの美しさ。新車以来の走行距離は、車齢40年としては少ない約9万3500kmだが、それでも大事に扱わなければこの状態は保てない。変速機はスターレンジ付きのホンダマチック(AT)。足元のペダルやフットレストは当時モノの汎用(はんよう)アクセサリー。
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21/301985年に登場した、リトラクタブルライトが特徴的な3代目「アコード」のセダン。4輪ダブルウイッシュボーンサスペンションの採用と相まって、当時のホンダ車に共通する低いボンネットを実現していた。この個体は2リッターDOHCエンジンを積んだトップグレードの「2.0Si」。
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22/30「アコード エアロデッキ」。前出の3代目アコードに、それまでのハッチバックに代わってラインナップされたモデル。“ワンダーシビック”のハッチバックに始まるロングルーフスタイルは、シューティングブレークとでも呼びたい雰囲気だが、当時はあまり受けなかった。ちなみに北米では、テールゲートが傾斜した従来どおりのスタイルのハッチバックが販売された。エアロカバー付きアルミホイールは無限製。
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23/301978年にデビューした初代「プレリュード」。1.8リッターSOHCシングルキャブユニットの動力性能に見るべきものはなかったが、ハンドリングは一級品と評された。この個体は81年に追加された最上級グレードの「XXR」。アルミホイールは標準で、サイドストライプは純正オプション。
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24/30初代「プレリュード」は、当初から最廉価グレードを除き電動サンルーフ(スライディングルーフ)が標準装備されていたが、1980年からこの電動ガラスサンルーフが加えられた。
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25/301982年に世代交代した2代目「プレリュード」はリトラクタブルライトを採用。日本車離れしたワイド&ローのスタイリッシュなフォルムで人気を博し、デートカーブームを創出した。これら2台はいずれも1984年製造モデルだが、同年10月に実施されたマイナーチェンジを挟んで白が前期の最終型、赤が後期の初期型とのこと。
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26/30自らが巻き起こしたハイソカーブーム渦中の1987年に市場に投入された3代目「プレリュード」。基本的には大ヒットした先代のキープコンセプトだが、全体的にソフィスティケートされ、さらに低められたボンネットは、ミドシップの「フェラーリ328GT」より低いと言われた。そして最大の話題が、上級グレードにオプション設定された機械式アクティブ4WS(4輪操舵)。高速走行時には後輪が前輪と同方向、車庫入れなど低速時には後輪が前輪と逆方向にステアする(写真の状態)。BGMに『地下室のメロディー』が流れたテレビCMを思い出す人も少なくないはず。
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27/30ARGとの共同開発の結果、1985年に誕生したホンダ初の5ナンバーフルサイズ(3ナンバー仕様もあり)のフラッグシップが「レジェンド」。「トヨタ・クラウン」や「日産セドリック/グロリア」に対抗するモデルといえども、ホンダの作だけにクラス初となるFFを採用。北米ではトヨタのレクサスや日産のインフィニティに先んじて創設された高級ブランドのアキュラから発売された。写真は1987年に追加された2ドアハードトップで、2.7リッターV6エンジンを搭載する。
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28/30軽トラックの「TN360」をベースに、1970年にデビューした「バモスホンダ」。貨物車登録のユニークな多用途車で、この個体は荷台まですべて着脱式のキャンバストップで覆われた4人乗りの「バモスホンダ フルホロ」。ほかに2人乗りで幌(ほろ)は前席分のみの「バモスホンダ2」と、4人乗りで幌が座席部分のみの「バモスホンダ4」が存在した。
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29/301963年に発売されたホンダ初の市販四輪車「T360」。360cc規格時代の軽トラックながら、エンジンは(ほかに選択肢がなかったため)「S」シリーズと基本設計を共有する総アルミ製の水冷4気筒、日本初のDOHCに4連キャブレターという、日本はもちろん欧米のレベルからしても異例に高度な設計で、最高出力は30PS/8500rpmを誇った。ちなみに当時の軽を代表するモデルである「スバル360」は18PSだった。
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30/306輪の「アクティ トラック」? その実体は雪上走行用の「アクティ クローラ」。ホンダは「T360」から雪上走行キットをオプション設定していたが、この2代目アクティが雪上仕様の最終モデルになるとのこと。雪上走行の際は、後ろ2輪にクローラ(無限軌道=キャタピラー)を掛けるというわけだ。この個体は1996年式だが、1988年にデビューした2代目アクティの継続生産モデルということで参加資格が得られた。