旧車イベント「2022春 フェスティバル・オブ・サイドウェイ・トロフィー」の会場から
2022.06.03 画像・写真2022年5月29日、千葉県袖ケ浦市の袖ケ浦フォレストレースウェイで、「2022春 フェスティバル・オブ・サイドウェイ・トロフィー」が開かれた。2012年11月から毎年春と秋に開催されている(2020年春は新型コロナ禍により中止)このイベントは、ヒストリックカーレースの本場、イギリスのイベントを範とする四輪、三輪(サイドカー)および二輪の旧車レースで、今回でめでたく10周年を迎えた。
レースとはいえマシンやリザルトだけでなく、サーキット全体があたかも往時にタイムスリップしてしまったかのような雰囲気を最大の特徴とするこのイベント。参加資格は原則として1969年までに製造されたモデル(継続生産車含む)で、オリジナルの持ち味を壊すような改造は認めず、使用可能なタイヤはダンロップ製バイアスレーシングタイヤのみと規定されている。
今回の四輪プログラムは、「ティントップカップ」(ツーリングカー)および「エバーグリーンカップ」(スポーツカー)というスプリントレースと「セブリング40Mトロフィー」と題されたツーリングカー/スポーツカーによる40分耐久レースというおなじみのレースに加えて、久々となる「ヒストリックフォーミュラカップ」、そして新たな試みとなるミドシップのレーシングスポーツによる「グロリアストロフィー」を実施。さらにこれまた恒例の「RACメモリアルラン」と呼ばれるパレード(走行会)も行われた。
夏を思わせる好天に恵まれ、大いににぎわった会場から、出走車両を中心に紹介しよう。
(文と写真=沼田 亨)
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1/40新たに加えられた、1960年代のミドシップスポーツによるグロリアスカップのコースインを待つマシン。今回のエントリーは4台のみだったが、今後増えていくことを期待したい。
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2/40グロリアスカップで優勝した1969年「シェブロンB16」。日本では1970年代の富士グランチャンピオンシリーズでオープン2座のグループ7のマシンが活躍したことで知られるシェブロンの、グループ6のマシン。
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3/402位に入った1964年「ロータス23B」。もう1台、赤い同型車がエントリーしたが、慣熟走行中のマシントラブルにより予選/決勝には出走しなかった。
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4/40予選2位で決勝でも「シェブロンB16」に食い下がっていたが、途中でスピンを喫して3位となった1967年「ジネッタG12」。ドライバーはデザイナーのケン奥山氏。
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5/40サイドウェイトロフィーでは久々となるヒストリックフォーミュラカップには12台がエントリーし、うち10台が決勝に出走した。各レースともスターティンググリッドにはグリッドレディーが並び、バグパイプが演奏される。
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6/40ポールポジションからスタートし、トップを独走してゴールしたが、ジャンプスタート(フライング)によるペナルティーで2順位降格、3位となった1968年「シェブロンB9」。
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7/40優勝した1965年「ロータス35」。排気量規定が1リッターだった時代のF2/F3マシンだが、現状では1.6リッターエンジンを搭載。
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8/40終始バトルを展開した7位の1970年「マーリンMk17」と8位の1967年「アレクシスMk14」。いずれも1.6リッターのフォードユニットを使った、日本のFJ1600のような初級者用クラスであるフォーミュラフォードのマシン。
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9/40ドライバー交代義務のある40分の耐久レースであるセブリング40Mトロフィーのスターティンググリッド。
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10/40セブリング40Mトロフィーには2台のスペシャルな「オースチン・ヒーレー・スプライト」が出走した。左が1966年「ルマン スプライト」、右が1967年「スプライトTFR5」。往年のルマン24時間とタルガ・フローリオを走ったヒーレーチームのワークスカーという。
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11/40コースの反対側から駆け寄った第2ドライバーが、マシンに搭乗している第1ドライバーにタッチする変則ルマン式スタートでレース開始。
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12/40マシンの性能差などを考慮したハンディキャップ制であるセブリング40Mトロフィーを制した1959年「オースチン・ヒーレー・スプライトMk1」。第1ドライバーのケン奥山氏は「ジネッタG12」による先のグロリアスカップとこのレース、そして同じヒーレー スプライトMk1を駆ってのエバーグリーンカップと、1日に3レースに出走した。
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13/40セブリング40Mトロフィーで2位となった1965年「ロータス・エランS2」。ファステストラップを記録し、ハンディなしでは最速だった。
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14/40ピットでドライバー交代中の、3位となった1963年「ロータス・コーティナMk1 Sr1」。ピットストップでもハンディにより停止が義務づけられる。
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15/40ドライバー交代を終えてピットアウトしていく1956年「オースチンA30」は7位。
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16/401966年「オースチン・ヒーレー・ルマン スプライト」は、最速だった2位の「ロータス・エランS2」に次ぐタイムを記録したものの、いまひとつ不調のようで周回数は伸びず、出走10台中8位にとどまった。
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17/40各レースの終了後は、コース上で暫定表彰が行われる。ドライバーにはグリッドレディーからレイが贈られ、ノンアルコールのスパークリングワインでシャンパンファイト。
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18/40パドックに並んだ3台の1960年代の英国製キャンパー。単なるムード演出用ではなく、キッチンカーやバイクのトランスポーターとして実際に使われているところがすばらしい。
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19/40ピットにテーブルと椅子を並べ、チームでランチ。サイドウェイ・トロフィーでは珍しくない光景。
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20/40RACメモリアルランと題されたパレード走行で、グリッドレディー御用達のサーキットタクシーを務めた1962年「フォード・ファルコン」。ルーフにはちゃんと行灯(あんどん)も載せている。
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21/40同じくRACメモリアルランに参加した1957年「ポルシェ356A」。ややくすんだソリッドのライトブルーがいい感じ。
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22/401950~1960年代のツーリングカーレースによるティントップカップの決勝を迎えてコースインする車両。
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23/401967年「アルファ・ロメオ1300GTジュニア」(エンジンは2リッター)がポール・トゥ・フィニッシュを飾ったと思いきや、ジャンプスタートによるペナルティーで2順位降格、3位となった。
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24/40終始激しいバトルを見せた1959年「オースチン・セブン」(最初期型の「Mini」)と1970年「フォード・エスコート ツインカム」。予選順位は前者が3位、後者が2位で、決勝もそのまま展開していったが、中盤で逆転した。
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25/401966年「ヒルマン・インプ」同士のバトル。インプは「Mini」に対抗して1963年に登場した、Miniとは対照的なRRサルーン。最終順位はナンバー32が7位、26が8位。
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26/40メインイベントである、1960年代のスポーツカーによるエバーグリーンカップ決勝のコースインを待つ14台のマシン。
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27/40スタート3分前、コースから退出するグリッドレディー。午後4時近くとなり、季節は初夏とはいえ日が傾き始めている。
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28/4010周のレースで2位に7秒近い差をつけてポール・トゥ・フィニッシュ、ファステストラップも記録してハットトリックを達成した1966年「ロータス26R(レーシング エラン)」。
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29/402位となった1965年「ロータス・エランS2」。前回(2021年秋)も2位だったものの、ファステストラップはウィナーから奪取したのだが、今回は及ばず。
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30/403位に入った1963年「ロータス・エランS1」。ドライバーはこの世界では珍しい25歳の若者というから、今後が楽しみだ。
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31/401~3位を占めた「ロータス・エラン」に続いて4位に入った1965年「トライアンフTR4A」。
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32/40デッドヒートを見せた1969年「モーガン4/4」と1967年「ホンダS800」。前者が5位、後者が6位(クラス優勝)でフィニッシュ。
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33/40セブリング40Mトロフィーとダブルエントリーした1967年「オースチン・ヒーレー・スプライトTFR5」。こちらでは10位だった。
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34/40西日が差すコース上で、「ロータス・エラン」が表彰台を独占した暫定表彰。そろそろ一角を崩すマシン/ドライバーの登場を期待したい。
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35/40レギュラーのプログラムであるフレディ・ディクソントロフィーと題されたサイドカーレース。ウオームアップに向けてコースインする参加マシン。
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36/401960年代の小排気量のモーターサイクルによるビンテージツーリストトロフィーで2位に入った1964年「ブリヂストン90 EA1」(手前)と3位の1969年「ヤマハAS-1」(奥)のバトル。かつてブリヂストンは2ストロークエンジン搭載の二輪を製造しており、なかでもこの90は基本的にはプレスフレームのビジネスバイクながら、ロードレースやモトクロスでも大活躍した。
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37/40サラブレッドグランプリ&ゴールデンエラトロフィーとプロダクションツーリストトロフィー……ごく大ざっぱに言えば250cc以上のマシンによる混走レースで、優勝した1970年「ヤマハTD-3」と2位に入った1956年「BSA DBD34ゴールドスター」のバトル。前者は247cc 2気筒2ストロークエンジンを積んだ市販レーサー、後者は499cc単気筒4ストロークOHVエンジン搭載の市販車改。
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38/40前出の混走レースで1967年「スズキT500」を駆った立花啓毅氏。古くはブリヂストンで二輪の、マツダに移ってからは「ユーノス・ロードスター」などの開発に関わった生粋のモータリストである。サイドウェイ・トロフィーには息子さんを含むチームを率いて当初から参戦し、この2月にめでたく米寿(満80歳)を迎えたが、まさに現役バリバリ!
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39/401962年「ノートン・マンクス30M」にまたがるのは、サイドウェイ・トロフィーを企画し、10年にわたって主宰してきた金子 温氏。「隗(かい)より始めよ」というわけで、エバーグリーンカップにも1960年「オースチン・ヒーレー3000」で参戦している氏は、東京・世田谷にある英国製クラシックカー専門店「パルクフェルメ」のオーナーである。
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40/40全レース終了後、パドックで表彰式を実施。各賞の最後に表彰されたのは、10年間に開催されたすべてのレースに参戦した皆勤賞。スピーチしている、エバーグリーンカップで優勝した関口好夫氏(写真の前列右から2人目)ら4名にクリスタルの盾が贈られた。