
遍路はどこも道にしてしまう。時には海岸の砂浜や石の上をも通過する。足摺岬に近い大岐の浜で。これはこれで自由でいい。
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遍路はどこも道にしてしまう。時には海岸の砂浜や石の上をも通過する。足摺岬に近い大岐の浜で。これはこれで自由でいい。
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山を崩して工事中の高速道路で分断され、峠の上り道が無限の階段に変えられた「そえみみず遍路道」の入り口部分。批判する人は多いが、これもすぐれて21世紀的風景で、それなりに魅力があると私は思う。
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その階段を上りきると、このように素晴らしい山道が待っている。これは昔から変わらぬ風景。
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あちこちで国道に歩道が整備されている。高知県のここは素晴らしくきれいで広い歩道の傍らに、さらに緑地帯まで設けられている。でも絶対的な通行量を考えると、ここまでコストをかけるべきかは疑問。
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道路というのは、このように何でも入れ込んでしまう方がいい。昔からの古い神社を動かさずにそのまま置いて、自動車道路を整備したらこうなった。二つの時代や、二つの文化が重層的に入っていて、初めて楽しい路上風景が作られる。
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道路は、場合によってはカニのものでもあったりする。それはそれでいい。クルマも人も注意するようになる。徳島県で。
『第7回:走ること、歩くこと(その4)〜道路は誰のもの?』の記事ページへ戻る