第17戦メキシコGP「王者を敗り、2位に返り咲く」【F1 2015続報】

2015.11.02 自動車ニュース bg
23年ぶりのF1メキシコGPを制したメルセデスのニコ・ロズベルグ(写真中央)。今季4勝目を飾った彼は表彰台でソンブレロをかぶり、上機嫌に振る舞った。2位はロズベルグのチームメイトであり、既に前戦で年間タイトルを決めているルイス・ハミルトン(左)。3位はウィリアムズのバルテリ・ボッタス(右)で、第7戦カナダGP以来のポディウム登壇となった。(Photo=Mercedes)
23年ぶりのF1メキシコGPを制したメルセデスのニコ・ロズベルグ(写真中央)。今季4勝目を飾った彼は表彰台でソンブレロをかぶり、上機嫌に振る舞った。2位はロズベルグのチームメイトであり、既に前戦で年間タイトルを決めているルイス・ハミルトン(左)。3位はウィリアムズのバルテリ・ボッタス(右)で、第7戦カナダGP以来のポディウム登壇となった。(Photo=Mercedes) 拡大

【F1 2015続報】第17戦メキシコGP「王者を敗り、2位に返り咲く」

2015年11月1日、メキシコの首都メキシコ・シティにあるアウトドローモ・エルマノス・ロドリゲスで行われたF1世界選手権第17戦メキシコGP。前戦アメリカGPまでにドライバーズ、コンストラクターズ両タイトルが決まり、注目はランキング2位争いに。これまで最速マシンをドライブしながら勝負所でなかなか勝てなかったニコ・ロズベルグの、汚名返上を果たす時がやってきた。

メキシコGPの舞台は、GPが行われるサーキットで一番の高地(標高2300m)にあるエルマノス・ロドリゲス。ヘルマン・ティルケにより改修されたコースの目玉のひとつ、スタジアムセクション(写真)は連日多くの観客で埋め尽くされた。写真奥には特徴的な表彰台も見える。(Photo=Mercedes)
メキシコGPの舞台は、GPが行われるサーキットで一番の高地(標高2300m)にあるエルマノス・ロドリゲス。ヘルマン・ティルケにより改修されたコースの目玉のひとつ、スタジアムセクション(写真)は連日多くの観客で埋め尽くされた。写真奥には特徴的な表彰台も見える。(Photo=Mercedes) 拡大
前戦アメリカGPでは、自らのミスで優勝とタイトルを最大のライバルであるハミルトンに献上してしまったロズベルグ(写真右)。続くメキシコでは、週末を通じ好調をキープ。予選で4戦連続ポール奪取を決め、決勝でもスタートから集中を切らすことなくトップを守り、ポール/優勝/ファステストラップのハットトリックを初めて達成した。「速くても勝負どころでは弱い」という汚名を返上する走りだった。(Photo=Mercedes)
前戦アメリカGPでは、自らのミスで優勝とタイトルを最大のライバルであるハミルトンに献上してしまったロズベルグ(写真右)。続くメキシコでは、週末を通じ好調をキープ。予選で4戦連続ポール奪取を決め、決勝でもスタートから集中を切らすことなくトップを守り、ポール/優勝/ファステストラップのハットトリックを初めて達成した。「速くても勝負どころでは弱い」という汚名を返上する走りだった。(Photo=Mercedes) 拡大

■メキシコが23年ぶりに復活できた理由

マレーシアや中国、シンガポール、バーレーン、アブダビなど、いまのF1カレンダーにはまだ歴史の浅いGPも多いが、今年23年ぶりに復活したメキシコGPは老舗の部類に入る。
F1初開催は世界選手権が始まってから13年後の1963年、近隣のブラジルGPより10年も早い。その前年に、メキシコ・シティに完成したばかりのサーキットで“非選手権”レースが開かれたものの、地元の期待を一身に背負った若干20歳の若きメキシカン、リカルド・ロドリゲスが事故でこの世を去るという悲劇的な幕開けとなってしまった。

リカルドには2歳上の兄ペドロがいた。弟が果たせなかった夢を追い、ペドロは1963年からF1に打って出た。ドライバーとしての評価は弟の方が高かったというが、兄の方はロータス、フェラーリ、クーパー、BRMを駆り、55戦に出場し2勝を記録。今もなお唯一のメキシコ人ウィナーとしてレコードブックにその名が載っている。
そのペドロも、1971年に行われたドイツでのスポーツカーレースで、リカルドと同じく事故により他界。母国を代表するサーキットには、「エルマノス・ロドリゲス=ロドリゲス兄弟」の名が冠されることになった。

メキシコといえば、ホンダF1第1期における初優勝の地としても有名だ。1965年最終戦、1.5リッターエンジン規定最後のレースで、アメリカ人リッチー・ギンサーがドライブする「ホンダRA272改」が真っ先にチェッカードフラッグを受けた。これが、エンジンサプライヤー時代を含めその後72勝を記録することになるホンダの、最初の勝利となった。またホンダはメキシコで計4勝しており、彼らにとってはゲンのいいコースでもあるのだ。

メキシコGPは1970年でいったんカレンダーから消えた後、1986年からは“第2期”を迎えることになる。復帰1戦目に勝ったのはベネトンのゲルハルト・ベルガーで、チーム、ドライバー双方にとっての初勝利だった。翌年にはナイジェル・マンセルが優勝、続いてアラン・プロスト、アイルトン・セナといった輝かしくも懐かしいチャンピオンたちの名前がウィナーズリストに並んだ。

1992年、アクティブサス搭載のハイテクマシン「ウィリアムズFW14B」をドライブしたマンセルが優勝したのを最後に、メキシコGPは再びしばしの休眠に入り、そして今年、2度目の復活を遂げた。
20年以上の空白があったにもかかわらず、世界選手権にカムバックできたGPも珍しい。復活の背景には、国をあげての地道かつ周到な活動があった。

2000年代に入り、地元大手通信会社テルメックスがサポートするドライバー育成プログラムがスタート。やがて同社はザウバーやフォースインディア、フェラーリのスポンサーにもなり、現フォースインディアのドライバー、セルジオ・ペレスや、フェラーリのテスト・リザーブドライバーを務め来季は新興ハースF1のシートにつくエステバン・グティエレスらを最高峰カテゴリーに押し上げる支援者となった。さらに中央・地方政府がGP再誘致を後押しし、ヘルマン・ティルケ監修のもと大々的なコースのリノベーションも行われた。

それもこれも、F1と地元ヒーローの活躍を待ち望む多くのモータースポーツ・ファンがいるからこそ成し得たことだった。23年ぶりのメキシコGPはチケット完売となり、レースウイークになると大勢の熱狂的なファンがサーキットに押し寄せた。くしくも決勝日は、リカルド・ロドリゲスの命日。天国の英雄も、母国のF1再来をさぞ喜んでいたに違いない。

ロズベルグ(写真先頭)、ハミルトン(2番目)に次いで3位を走行していたレッドブルのダニール・クビアト(3番目)。セーフティーカー開けにボッタスの奇襲に遭い惜しくも表彰台を逃した。(Photo=Mercedes)
ロズベルグ(写真先頭)、ハミルトン(2番目)に次いで3位を走行していたレッドブルのダニール・クビアト(3番目)。セーフティーカー開けにボッタスの奇襲に遭い惜しくも表彰台を逃した。(Photo=Mercedes) 拡大
大観衆の熱い声援を受けて初の母国GPに挑戦した“チェコ”ことセルジオ・ペレス。予選9位から自身6度目のポディウムを目指したが、セーフティーカーのタイミングでタイヤ交換の機会を逸してしまった。それでもミディアムタイヤを履いて53周ものロングランをこなし8位入賞。このレースを1ストップで走り切った唯一のドライバー、そしてただひとりのメキシカンF1パイロットに、観客は惜しみない拍手と喝采を送った。(Photo=Force India)
大観衆の熱い声援を受けて初の母国GPに挑戦した“チェコ”ことセルジオ・ペレス。予選9位から自身6度目のポディウムを目指したが、セーフティーカーのタイミングでタイヤ交換の機会を逸してしまった。それでもミディアムタイヤを履いて53周ものロングランをこなし8位入賞。このレースを1ストップで走り切った唯一のドライバー、そしてただひとりのメキシカンF1パイロットに、観客は惜しみない拍手と喝采を送った。(Photo=Force India) 拡大

■ロズベルグ、4戦連続のポールポジション

所々に旧コースの面影を残すものの、より近代的なサーキットへと生まれ変わったエルマノス・ロドリゲス。1周4.3kmと短い全長ながら、1km超の長いストレートを持つ特徴は変わらず。しかし悪名高きバンピーな路面は再舗装で改善が図られ、「ペラルターダ」と呼ばれたチャレンジングな最終ターンは曲がりくねった低速セクションに変貌。新たに壁のようなスタンドが囲むスタジアムセクションも設けられた。

このコース最大の特色は、そのロケーションにある。標高約2300mとGPカレンダーで一番の高地にあるため、空気の薄さから平地よりエンジンパワーが落ちてしまうのだ。さらに空気密度が低いことからダウンフォースも減り運転しにくくなる。同時に空気抵抗も減ることで、長いストレートでは最高速が一層伸びることでも知られている。ほかのGPにはない、とてもユニークなコースである。

金曜・土曜の、フリー走行3回のうち2回でトップタイムをマークしたのは、メルセデスのニコ・ロズベルグ。前戦アメリカGPでは、チームメイトのルイス・ハミルトンに2年連続してタイトルを奪われたロズベルグは、その悔しい思いをコースにぶつけたか、予選でポールポジションを奪い、4戦連続で先頭からスタートすることなった。自身通算20回目の節目の予選P1である。

0.188秒差でハミルトンは2番手。3番グリッドはフェラーリのセバスチャン・ベッテルで、本人いわく「すべてを出し切った」もののメルセデスの最前列は崩せなかった。その後ろにはレッドブルの2台。ダニール・クビアトは僚友ダニエル・リカルドをわずか0.001秒で抑え予選4位につけた。

ウィリアムズのバルテリ・ボッタス6位、フェリッペ・マッサ7位。8位にトロロッソのマックス・フェルスタッペンを挟み、トップ10の最後列にはフォースインディアのふたりがそろった。母国の大声援を受けたペレスが、チームメイトのニコ・ヒュルケンベルグを僅差で抑え、9位からレースに臨むこととなった。

なおマクラーレンは、エンジンのトラブルでジェンソン・バトンが予選出走ならず、フェルナンド・アロンソはQ1どまりの16位。いずれもエンジン交換等のペナルティーでアロンソ18位、バトンは最後尾20位に追いやられた。またフェラーリのキミ・ライコネンもペナルティーで19位となった。

予選3番手のセバスチャン・ベッテル(写真左)は、スタートでダニエル・リカルドと接触し、タイヤをパンクさせ緊急ピットイン。最後尾へと後退した。ここから歯車がかみあわなくなったか、入賞圏まで挽回するも途中スピンを喫するなど本調子とはいかず、52周目にドラビングミスからコースを外れ壁にヒット、リタイアとなった。フェラーリはキミ・ライコネンもフィニッシュできず、2006年以来となる“ダブルリタイア”を記録。ライコネンはロシアGPに続き、同郷のボッタスと衝突。戦列を去った。(Photo=Ferrari)
予選3番手のセバスチャン・ベッテル(写真左)は、スタートでダニエル・リカルドと接触し、タイヤをパンクさせ緊急ピットイン。最後尾へと後退した。ここから歯車がかみあわなくなったか、入賞圏まで挽回するも途中スピンを喫するなど本調子とはいかず、52周目にドラビングミスからコースを外れ壁にヒット、リタイアとなった。フェラーリはキミ・ライコネンもフィニッシュできず、2006年以来となる“ダブルリタイア”を記録。ライコネンはロシアGPに続き、同郷のボッタスと衝突。戦列を去った。(Photo=Ferrari) 拡大

■渇望する勝利を目指し、ロズベルグ好発進

アメリカGPのスタートで、ポールシッターだったロズベルグはハミルトンに追い出される格好でコースオフし、順位を落とした。それだけでなく、9月の日本GPでも、それ以前にも同様のチームメイト対決でロズベルグは負け越していた。
たとえ速くても勝負どころでは弱い。そんな悪評を振り払うがごとく、ロズベルグはポールポジションから渇望する勝利を目指した。

オープニングラップを終えて1位ロズベルグ、2位ハミルトン、3位クビアト、4位リカルド、5位ボッタス。3番グリッドのベッテルはリカルドとの接触でパンク、緊急ピットインを余儀なくされ最後尾まで後退した。この日のフェラーリはまるでいいところがなく、2006年以来となる2台そろってのリタイアを記録することになるのだった。

無事にスタートを決めることができた1位ロズベルグは、ハミルトンに対し早々に1秒以上のギャップを築き、メルセデスの2台がファステストラップを更新しながらレースをけん引。3位クビアトは71周レースの10周目には既にトップから7秒の遅れをとっていた。

各陣営のタイヤ交換戦略が分かれ始めたのも10周目前後から。ウィリアムズを筆頭にソフトからミディアムタイヤに換えるチームが出てきたのだが、この段階では1ストップか2ストップか、最善の作戦はまだ読めなかった。

先頭のロズベルグがピットに飛び込んだのは27周目、ハミルトンは29周目になってからで、これでほぼ全車がミディアム装着となった。順位は、1位ロズベルグ、2位ハミルトン、3位クビアトと表彰台圏内は変わらず、4位ボッタス、5位マッサと早々にタイヤを交換したウィリアムズ勢が後ろに控えていた。

1965年、ホンダが初優勝を飾ったメキシコ。しかしそんなセンチメンタルな思い出に浸る余裕は今のマクラーレン・ホンダにはない。グリッド降格ペナルティーによりフェルナンド・アロンソ(写真)予選18位、ジェンソン・バトンは予選出走ならず最後尾20位からスタート。アロンソはマシントラブルが発覚していたものの観客のためスタートを切り、オープニングラップだけを走りピットでリタイア。バトンは2台のマノー・マルシャを従えての14位完走。(Photo=McLaren)
1965年、ホンダが初優勝を飾ったメキシコ。しかしそんなセンチメンタルな思い出に浸る余裕は今のマクラーレン・ホンダにはない。グリッド降格ペナルティーによりフェルナンド・アロンソ(写真)予選18位、ジェンソン・バトンは予選出走ならず最後尾20位からスタート。アロンソはマシントラブルが発覚していたものの観客のためスタートを切り、オープニングラップだけを走りピットでリタイア。バトンは2台のマノー・マルシャを従えての14位完走。(Photo=McLaren) 拡大

■ロズベルグの正念場、ハミルトンにとっての最大のチャンス

しばしポジションが膠着(こうちゃく)した後、47周目にロズベルグが2度目のピットストップを行った。彼の最初のソフトタイヤは摩耗が激しかったため、メルセデスは念のため2台にニュータイヤを履かせる判断を下した。裏を返せば、予定外のピットストップを入れてもリードを失わないほどチャンピオンチームには余裕があったのだ。
ただハミルトンはチームの判断に納得がいかなかったようで、49周目に渋々タイヤ交換を済ませた。

52周目にセーフティーカー。ベッテルのフェラーリがクラッシュしたのだった。名手ベッテルはこの前にもスピンを喫しており、いいところのないままレースを終えることとなった。

レース再開は58周目。ロズベルグの正念場、ハミルトンにとっての最大のチャンスでは、ロズベルグが首位の座を死守。あとはチェッカードフラッグまでミスなく走り切るだけとなり、最終的に2位ハミルトンに1.9秒差をつけ、6月の第8戦オーストリアGP以来となるウィナーズトロフィーを手に入れた。
その後方では、ボッタスが再スタート直後の好機を逃さず、クビアトを抜き表彰台の最後の一角を仕留めた。

メキシコのポディウムがあるのは、一般的なメインストレート前ではなく、スタジアムセクションの中。この勝利でベッテルを抜きランキング2位に返り咲いた上機嫌のロズベルグをはじめとするトップ3人は、まるでコンサートの舞台に立つかのように、オーディエンスの喝采を浴びながらセレモニーに臨んだ。
熱意あふれる観客を前に、レースは欲しているひとたちの前で行われるのが一番なのだという、当たり前のようで昨今見過ごされがちな、とても大切なことに気づかされた。

今シーズンも2戦を残すのみ。次戦ブラジルGP決勝は11月15日に行われる。

(文=bg)

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