取材はおとそ気分を吹き飛ばすほどの強行軍!?
新年恒例の自動車イベント「東京オートサロン」を知る

2017.12.27 デイリーコラム

気がつけば最も取材のきついイベントに

あと数日で新しい年がやってくるが、毎年、年明けには憂鬱(ゆううつ)なことがある。1月の第2金曜に開幕するカスタムカーの祭典、「東京オートサロン」の取材である。年間予定に組み込まれているなかで、肉体的にも精神的にも、最もタフな仕事が東京オートサロンの取材なのだ。朝一番から夕方まで喧騒(けんそう)のなかを昼食もとらずに駆けずり回り、帰宅後は直ちに撮った写真を確認し、原稿にとりかかるが、そのうちに「催促するわけじゃないんですが、いただける時間の目安を……」などと『webCG』から電話がかかってくる(口調が丁寧なら催促じゃないって言うのかよ!?)。一般的にはホットで刺激的なイベントとされているオートサロンの取材が、筆者にとってはいつからこんな苦行になってしまったのだろう?

東京オートサロンが「東京エキサイティングカーショー」の名で始まったのは、1983年のことである。その頃の日本では、車両の改造は原則としてご法度。ステアリングホイールを替えただけで、車検不合格となってしまうこともあったのだ。そんな時代ゆえ、オートサロンはカーショーとはいえ警察はもちろん、自動車メーカーも表向きは眉をひそめるようなアウトローのイベントだったのである。

そうした状況に風穴が開いたのは、初開催から十余年を経た1990年代半ば。規制緩和によって少々のローダウンやマフラー交換などを施した車両も、そのままで車検を取得できるようになったのである。これをきっかけにチューニングカーやカスタムカーに対するネガティブなイメージが薄れていくにしたがい、そこにビジネスチャンスを見いだした自動車メーカーがオートサロンに出展し始めたのだ。そうした異変を象徴する出来事が、1995年のオートサロン会場における「日産スカイラインGT-R(BNR33)」のデビューだった。

筆者がオートサロン取材を始めたのもこの時代からだが、最初の2、3年は楽しかった。寄稿先における扱いも小さかったから、おもしろそうなところを見て、にぎやかしのようなリポートを書けば済んでいたのである。ところが会場が東京ビッグサイトから幕張メッセに移った1999年頃から、物見遊山気分は許されなくなった(ちなみに会場は96年までが晴海国際展示場、97、98年が東京ビッグサイトだった)。自動車メーカーの出展規模が拡大し、いわばサブカルチャーから表舞台へとオートサロンのメジャー化が進むにつれて、自分が関わるメディアにおける露出も増え、ガッツリと取材しなくてはならなくなったのである。

東京オートサロン2017の会場より。出展車両がところ狭しと並べられている。2018年は1月12日~14日に開催される。
東京オートサロン2017の会場より。出展車両がところ狭しと並べられている。2018年は1月12日~14日に開催される。拡大
東京オートサロン2017の出展車両より。「ポルシェ911 GT3」をベースに、リアウイングをうまく活用してルーフボックスを装着している。
東京オートサロン2017の出展車両より。「ポルシェ911 GT3」をベースに、リアウイングをうまく活用してルーフボックスを装着している。拡大
あなたにおすすめの記事
新着記事