【F1 2019 続報】第2戦バーレーンGP「フェラーリの新たな宿題」
2019.04.01 自動車ニュース![]() |
2019年3月31日、バーレーン・インターナショナル・サーキットで行われたF1世界選手権第2戦バーレーンGP。開幕戦で惨敗を喫したフェラーリが、ようやくコース上での速さを取り戻したものの勝利を手にすることはできず、逆に新たな宿題を持ち帰ることになった。
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フェラーリに何が起きたのか?
開幕戦オーストラリアGPで予想外の苦戦を強いられたのが、“冬のチャンピオン”としてオーストラリアにやってきたフェラーリ。最大のライバルであるメルセデスに大差をつけられ、優勝したバルテリ・ボッタスの約1分遅れでセバスチャン・ベッテル4位、今季新加入のシャルル・ルクレールは5位という期待はずれの結果に終わった。
オーストラリアで3位入賞を果たしたレッドブルでアドバイザーを務めるヘルムート・マルコは、「フェラーリはパワーユニットのクーリングと、タイヤの使い方に問題があったのではないか」とライバルの不調について独自の見解を示した。フェラーリから詳細が語られることはなかったが、プレシーズンテストで絶好調だったスクーデリアに何が起こっていたのか、みなが首をかしげていたことは事実だった。
今年からイタリアの最古参チームを指揮するのは、マッティア・ビノット。前任のマウリツィオ・アリバベーネが、故セルジオ・マルキオンネの傀儡(かいらい)として雇われていたビジネス畑の人間であったのに対し、ビノットは長年マラネロに在籍し、昨年まで技術部門を率いてきた人物である。2017年、2018年と、マシンのパフォーマンスではなくチームのオペレーション上のミスでタイトルをみすみす逃してきたフェラーリは、今季になってマシン開発とチーム運営体制の刷新に踏み切っていた。
オーストラリアはバンピーな路面に急加減速の繰り返しと、何かと特殊な条件が重なる市街地コースだったが、次なる舞台は、よりコンベンショナルなバーレーンのサーキット。昨年ベッテルが厳しい状況をはねのけ、開幕2連勝を飾った場所である。不出来な初戦からどう反撃に転じるか。新代表ビノットの手腕が、早くも試される1戦となった。
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ルクレール初ポール、フェラーリ最前列独占
初戦から2週間のインターバルを挟んで迎えたバーレーンでは、オーストラリアと真逆の様相を呈し、GPウイーク早々から跳ね馬の力強い蹄(ひづめ)の音が響き渡った。3回のフリー走行いずれでもフェラーリ1-2。特に抜群のストレートスピードを武器に、開幕戦を席巻したメルセデスに対して0.6~0.7秒もの差をつけたというのだからパドックも一気に色めき立った。
初日が終わった時点で、ビノットは「われわれは、われわれのプログラムをこなすべく、ライベルとは明らかに違う(強力な)エンジンモードで走っていた。土曜日の予選は接戦になる」とコメントし、高まる周囲の期待感に冷静に対処していた。
確かにその言葉通り、予選ではメルセデスがギャップを詰めてきたものの、フェラーリが優勢であることに変わりはなかった。ポールポジションを獲得したのは、F1キャリア2年目の新星ルクレール。フリー走行でも2度トップタイムをマークしていた21歳のモナコ人ドライバーは、Q3の2回のアタックいずれでも最速タイムを刻み、チームメイトのベッテル記録した「最年少ポールシッター」に次ぐ若さで自身初のポールを手にした。ベッテルは0.294秒遅れの予選2位。フェラーリは2018年9月のイタリアGP以来となるフロントロー独占に成功した。
ベッテルに0.030秒及ばなかったルイス・ハミルトンは3位、僚友から0.066秒遅れのボッタスは4位と、メルセデス勢が2列目を占拠。レッドブル勢はバーレーンで苦戦し、マックス・フェルスタッペンはトップから0.886秒差の5位、ピエール・ガスリーに至っては思うようにマシンを走らせることができず、Q2敗退の13位だった。
ハース勢が2台ともトップ10に入り、ケビン・マグヌッセン6位、ロメ・グロジャンは8位。しかしグロジャンは他車を邪魔したとして3グリッド降格ペナルティーを受けることになってしまった。予選で善戦したマクラーレンも、カルロス・サインツJr.7位、新人ランド・ノリス10位(グロジャンの降格で9番グリッド)とそろって好位置を得た。アルファ・ロメオを駆るベテランのキミ・ライコネンが9番手タイム(同8番グリッド)。Q2止まりの11位に終わったルノーのダニエル・リカルドが繰り上がり、10番グリッドからスタートすることとなった。
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ルクレール、スタートで抜かれるもトップ奪還
タイヤに厳しいバーレーンにピレリが持ち込んだのは、最も硬いC1の「ハード」を筆頭に、C2「ミディアム」、C3「ソフト」の3種類。このうち、ほとんどのマシンがソフトタイヤを履いて、57周のトワイライトレースへと旅立っていった。
好スタートを決めたのはベッテルで、ターン1にトップで進入。2位に落ちたルクレールは、その後ボッタスにも抜かれ3位となるも、すぐさまメルセデスを抜き返し2位に。ハミルトンもボッタスをオーバーテイクし、3位ハミルトン、4位ボッタス、そして5位フェルスタッペンという順位になった。
1-2を守ったフェラーリは、1秒以下の僅差で周回を重ねた。チームオーダーなしの新旧ドライバー対決は、6周目に若武者ルクレールが首位奪還に成功すると落ち着きを見せ、両車の差は1秒台から2秒台へとジワジワと広がっていった。
12周目のフェルスタッペンを皮切りに、翌周ボッタス、続いてルクレール、ハミルトン、ベッテルら上位陣が続々とピットイン。1位をキープしたルクレールに対し、ベッテルはハミルトンにかわされてしまい3位に落ちた。2位ハミルトンは、ミディアムタイヤに換装した他のライバルとは異なり、再びソフトを履いて第2スティントに入ったものの、トップのルクレールとの差は5秒台から6秒台と、詰まるどころか徐々に拡大することとなった。
23周目、タイヤのコンディションが思わしくないハミルトンにベッテルが襲いかかりオーバーテイク。これで1位ルクレール、2位ベッテル、3位ハミルトン、4位ボッタス、5位フェルスタッペンと、スターティンググリッドと同じ順位に戻ったのだが、この時点でルクレールは7秒台のリードタイムを築いており、どこにも脅威はなかった。
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フェラーリを襲ったトラブル
バーレーンでは大勢が2ストップ作戦を選択。33周目に5位フェルスタッペンが2度目のタイヤ交換に踏み切り、再びミディアムタイヤに。35周目にはハミルトンがソフトからミディアムに履き替え、続いてベッテル、ルクレールも新しいミディアムタイヤを装着した。
その後、ハミルトンとベッテルが急接近し、王者同士が激しいつばぜり合いを繰り広げるも、38周目、ベッテルがリアをスライドさせスピンさせてしまうことであっさりと勝敗が決してしまった。ベッテルはフロントウイングを脱落させたことで緊急ピットインを余儀なくされて9位まで順位を落とし、結果的に5位まで挽回してレースを終えることになる。
フェラーリに垂れ込めた暗雲は、トップ快走中のルクレールにまで及んだ。残り11周、ルクレールが「エンジンがおかしい」と無線で訴えると、2位ハミルトンに対して7秒あったリードは瞬く間に激減。48周目、ついにハミルトンにトップの座を奪われてしまった。ルクレールのパワーユニットのICE(内燃機関)にトラブルが発生していたのだ。
他車より4~5秒も遅いラップタイムしか出せないルクレールは、54周目にボッタスにもかわされ3位に。55周目にルノーの2台が立て続けにリタイアしたことでセーフティーカーが出動、結局ゴールまで徐行が続いたことで表彰台は失わずに済んだのは、不幸中の幸いだったかもしれない。
ハミルトンは今季初勝利を、メルセデスは2戦連続して1-2フィニッシュを達成。ハミルトンは「シャルル(ルクレール)は素晴らしい仕事をした」と新星の活躍を素直に褒めたたえていた。また初めて表彰台にのぼったルクレールは、「残念ながら今日はわれわれの日ではなかったね。もちろんとてもがっかりしているけど、チームには感謝したい」とコメント。21歳らしからぬ落ち着きを見せていたのが印象的だった。
一方で、チームのエースであるはずのベッテルは、またも元王者らしからぬミスをおかし自滅してしまった。フェラーリは、マシンの信頼性に加え、再三指摘されているベッテルのメンタル面での弱さという、2つの大きな宿題を持ち帰ることとなった。ビノット新代表のチーム采配からは、しばらく目が離せない。
次の第3戦中国GPは、1950年に始まったF1世界選手権にとって記念すべき1000レース目となる。決勝は4月14日に行われる。
(文=bg)