【F1 2019 続報】第6戦モナコGP「弔いの勝利」
2019.05.27 自動車ニュース![]() |
2019年5月26日、モンテカルロ市街地コースで行われたF1世界選手権第6戦モナコGP。メルセデスの非常勤会長を務めていた元チャンピオン、ニキ・ラウダの急逝を受け、伝統の一戦は弔い合戦と化した。優勝したのは、ラウダとの親交が深かったあの男だった。
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メルセデスを止めるのは……
メルセデスの5戦連続1-2フィニッシュで始まった2019年シーズンは、果たしてこのまま「メルセデスの年」として続いていくのか? 過去2年、シルバーアローが勝てていないモナコGPは、今季これまでの流れを(いったんは)変えるかもしれない、ライバルの奮起が期待された一戦となった。
パワーユニットの差が出にくく、シャシー性能と、運転するものの腕と度胸が物を言うモンテカルロ市街地コースでは、ここまで勝ちのなかったチームやドライバーが輝きを増すということが起きやすい。2017年はフェラーリの年で、キミ・ライコネンが約9年ぶりのポールポジションを取り、レースではセバスチャン・ベッテルが優勝。2018年はレッドブルがポール・トゥ・ウィンを達成、ダニエル・リカルドが「MGU-K」のトラブルを抱えながらモナコ初優勝を遂げた。
ならば、今季これまで期待はずれに終わっていたフェラーリにも、あるいはレッドブルにも勝機はあるのか……という淡い期待は、前戦スペインGPで雲行きが怪しくなってきていた。メルセデスは、高速から低速までバランスよくコーナーが配置されたバルセロナの、特に低速セクションで抜群の速さを見せていた。ハイスピードターンに有利とされるロングホイールベースのマシンコンセプトを貫くメルセデスが、今年スローコーナーでもライバルを上回っていたとなれば、超低速モンテカルロでも……。
F1に参戦するチームはコンストラクター、つまりマシンの製造者でなければならない。この規定は、参戦するもののオリジナリティーを認め、技術のイノベーションを奨励していることのあらわれである。だから、突出した競争力の高いマシンが生まれ、1つのチームが独走してしまうことも多々あるわけであり、ターボ・ハイブリッド時代がスタートした2014年以降のメルセデス独走も、こうしたF1の思想がもたらす宿命でもある。
とはいえ、F1は世界をまたにかけて行われる巨大なスポーツ興行でもあり、エンターテインメント性からすれば、銀色マシンのひとり舞台に食傷気味になることも事実。カレンダー上、最もきらびやかで特別なモナコGP、果たしてメルセデスを止めるチームは出てきたのか?
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ハミルトンが渾身のポール、メルセデスは記録に並ぶ
初日の2回のフリー走行でトップだったのはメルセデスのルイス・ハミルトン。3回目は地元モナコ出身のドライバー、シャルル・ルクレールのフェラーリが僅差で最速タイムを記録したのだが、赤いマシンを駆るもう1人、セバスチャン・ベッテルはセッション開始早々にターン1でウオールに突っ込むという失態を演じ、貴重な時間を失ってしまった。
フェラーリの失敗は予選でも続いた。全車出走のQ1セッション後半、多くが続々とタイムアップしていく中で、赤いマシンは2台ともQ1落ちのリスクがあった。ベッテルは、ホイールをウオールに擦り緊急ピットイン、最後の最後にトップタイムでQ2進出となるも、ルクレールはといえば、既に十分Q2に行けるタイムだろうというチーム側の判断でアタックをせず、結果チームメイトに蹴落とされQ1敗退の16位に。抜けないモナコで絶望的なスターティングポジションとなってしまったのだ。
ライバルの失態を尻目にメルセデスは難なくQ3まで駒を進め、渾身(こんしん)のラップでハミルトンが今季2度目のポールポジションを決めた。史上最多ポール記録を「85回」にまで伸ばしたハミルトンだが、意外にもモナコでは2回目。セッション終了後に興奮気味にその喜びを語った5冠王者は、このポールを、5月20日に逝去したチームの精神的支柱、ニキ・ラウダにささげた。0.086秒差で2位だったのはバルテリ・ボッタス。メルセデスは今季5回目、通算では62回目のフロントロー独占に成功し、マクラーレン、ウィリアムズ、フェラーリが持つ記録に肩を並べた。
レッドブルのマックス・フェルスタッペンがモナコの予選で自身最高位となる3位、フリー走行でのミスが響いたフェラーリのベッテルは4位に沈んだ。5位はレッドブルのピエール・ガスリーだったが、セッション中に後続の邪魔をしたとして3グリッド降格、8番グリッド。ハースのケビン・マグヌッセンが5番グリッドに繰り上がった。
前年のウィナーで“モナコ・スペシャリスト”のダニエル・リカルドがルノーで6番グリッドを獲得。トロロッソは、ダニール・クビアトが3戦連続Q3に進出して7番グリッド。アレクサンダー・アルボンも10番グリッドにつけ、ホンダ勢は4台すべてがトップ10入りを果たした。そしてマクラーレンのカルロス・サインツJr.は9番手から入賞を目指した。
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ハミルトンが首位キープ、フェルスタッペンは2位へ
初開催はF1が始まる以前の1929年、F1としては66回目となる伝統の一戦、モナコGPは、雨の予報がある中、曇り空の下で決勝がスタート。78周レースのホールショットを奪ったのはハミルトンで、やや鈍い出だしの2位ボッタスに3位フェルスタッペンが一瞬並びかけたがポジションは変わらず。4位ベッテルの後ろには、リカルドが1つ順位を上げて5位につけた。
各車が順当にレースを始めたのに対し、ルクレールの受難は続いた。他車のペナルティーで1つ繰り上がり15番グリッドからスタートしたモネガスクは、2周目に13位、7周目にはハースのロメ・グロジャンのインをラスカス・コーナーで刺して、マシンを当てながらも12位に。しかし翌周、ルノーのニコ・ヒュルケンベルグを抜く際にガードレールにマシンを当て、リアタイヤがパンク。ちぎれたタイヤでフロアを壊しながらピットに戻る間に最後尾まで落ちてしまった。フェラーリでの初めての母国GPが台無しになってしまったルクレールは、ダメージを負ったマシンでしばらく周回した後、この日唯一のリタイアを喫することとなった。
ルクレールのマシンの破片がコース上に散らばり、11周目にセーフティーカーが出動。これを機にハミルトン、ボッタス、フェルスタッペン、ベッテルと上位陣が続々とピットインした。ハミルトンはトップを守ったが、ピットアウトする際に強引に前に出たフェルスタッペンが2位に上がり、3位ボッタス、4位ベッテル、そしてストップしなかったガスリーが5位に。ボッタスは、ピットレーン上でフェルスタッペンに幅寄せされウオールにホイールをヒット、スローパンクチャーを起こしてしまい、立て続けに2度目のタイヤ交換を実施しなければならなかった。
タイヤ選択が分かれ、ハミルトンはソフトからミディアムに、2位フェルスタッペンと3位ベッテル、4位に落ちたボッタスはハードに変更。このタイヤ戦略の違いに、トップのハミルトンは不安を抱え続けることになる。
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「ラウダのスピリットとともに戦った」
15周目にレース再開。1位ハミルトンから2位フェルスタッペン、3位ベッテル、そして4位ボッタスまでが1秒以下の間隔で接近した状態がしばらく続いた。
ハミルトンは、トップ4台中唯一のミディアムタイヤを選択したことが不安で仕方がなかったようで、無線で「このタイヤは最後までもつのか? 正しい選択だったのか?」とチームに疑問を投げかけた。そんなレースリーダーに朗報が届いたのは23周目。先のピットアウトで危険なリリースをしたとして、フェルスタッペンに5秒加算のペナルティーが決まったのだ。
しかし5秒のハンディを背負ったものの、2位フェルスタッペンは0.5秒程度の僅差で執拗(しつよう)に首位ハミルトンを追い回した。フェルスタッペンとてハミルトンを抜いて5秒の足かせを帳消しにしたいが、狭くガードレールに挟まれたコースがそれを許さない。ならば最後までプレッシャーをかけ続け、奇跡が起こるのを待ってみようではないか。
目に見えないタイム差をにらみながら接近戦を繰り広げる、ミディアムタイヤのハミルトンとハードタイヤのフェルスタッペン。先頭のハミルトンは「タイヤに問題があるんだ」としきりに訴え、そのたびにチームは「大丈夫だ。そのタイヤを持たせ、なるべく長く走れ」と指示を出す。絶えずミラーに大写しとなるフェルスタッペンの姿に、チャンピオンは神経をとがらせていた。
残り2周、シケイン手前で急接近した2台は軽く接触するも大きな影響はなく、ゲームオーバー。ハミルトンは長時間の接近戦&神経戦を制し、2016年以来となるモナコ3勝目を飾った。リザルトに5秒加えられたフェルスタッペンは4位。2位には、トップ2台の争いを1秒後方で見守り続けたベッテルが入り、ボッタスが3位に繰り上がって表彰台にのぼった。
「おそらく生涯最も難しいレースだったと思うけど、ニキ(・ラウダ)のスピリットとともに戦った。ニキは、われわれのチームにとても大きな影響を与えてくれた。いまこのポジションにいられるのも彼のおかげなんだ」
激闘の末にハミルトンが語った言葉には、ラウダとの太い絆が色濃くあらわれていた。2007年にマクラーレンでデビューしたハミルトンに、メルセデスへの移籍を強く勧めたのがラウダだった。マクラーレンの秘蔵っ子として知られたハミルトンは、2013年にシルバーアローのチームへ電撃移籍。以降の活躍は言うに及ばずで、タイトルの数もマクラーレン時代の1回に対し、メルセデスに入ってからは既に4回も獲得するまでになった。ハミルトンにとって、ラウダはまさに恩師のような存在だった。
現役時代のラウダは、クレバーな戦い方をするドライバーとして知られた。特に1984年に3度目の栄冠を勝ち取った際には、圧倒的な速さを武器にするチームメイトのアラン・プロストに対し、巧みなレース戦略で応戦。0.5点差という史上最小得点差で王者となった。
そんなラウダが、もしモナコに来ていたら、ハミルトンにこんな言葉をかけたのではないだろうか。
「たとえレースをぶっちぎれなくても、最後に先頭でチェッカードフラッグを受ければそれでいい。今日は君が勝者だ。おめでとう」
ハミルトンにとって、恩師を弔う、忘れがたい勝利となったに違いない。
次戦カナダGP決勝は、6月9日に行われる。
(文=bg)