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第678回:各年代を象徴する比類なきレジェンドスーパーカー5選

2022.02.28 エディターから一言 武田 公実
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1960年代から2000年代まで、各年代を象徴するレジェンドスーパーカーを5モデル紹介。
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いつの時代もクルマ好きを魅了するスーパーカーのカテゴリーでは、これまで数多くの伝説的なモデルが、あたかも芸術作品のごとく生み出されてきた。そのなかでも特にアイコニックなモデルを「ディケード(十年紀)」別に分類してみると、それぞれの時代のカーテクノロジーや文化までもが浮き彫りになってくる。今回は1960年代から2000年代まで、各十年紀を代表するスーパーカーの名作を5台紹介する。

ランボルギーニ・ミウラ
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1965年11月のトリノモーターショーでベアシャシーが公開され、翌1966年春のジュネーブモーターショーでデビューした「ランボルギーニ・ミウラ」。横置きミドシップされた4リッターV12エンジンは、最高出力355PSを発生。その最高速度は290km/hと発表された。
1965年11月のトリノモーターショーでベアシャシーが公開され、翌1966年春のジュネーブモーターショーでデビューした「ランボルギーニ・ミウラ」。横置きミドシップされた4リッターV12エンジンは、最高出力355PSを発生。その最高速度は290km/hと発表された。拡大
個性的な内外装のデザインは、当時カロッツェリア・ベルトーネに在籍したマルチェロ・ガンディーニが手がけたもの。シートは前後にスライドするが、ヘッドレストはリアのバルクヘッドに固定されていた。
個性的な内外装のデザインは、当時カロッツェリア・ベルトーネに在籍したマルチェロ・ガンディーニが手がけたもの。シートは前後にスライドするが、ヘッドレストはリアのバルクヘッドに固定されていた。拡大

1960年代「ランボルギーニ・ミウラ」

時は1960年代中盤。レース界では常識になり始めていたミドシップ車だが、当時ロードカーに導入された例は、フランスの「ルネ・ボネ・ジェット」などごく少数しか存在しなかった。そんな折、ランボルギーニが1965年のトリノモーターショーにて、鋼板を溶接したスケルトン構造のフレームにV12ユニットを横置きミドシップに搭載、のちに「TP400」と呼ばれるベアシャシーを発表した。それを見た誰もが、ランボルギーニのレース進出を疑わなかった。

ところが翌1966年春のジュネーブモーターショーに出品されたのは、ベアシャシーTP400にカロッツェリア・ベルトーネ製のエキゾチックなボディーが架装された、超ど級市販グランツーリズモ「P400ミウラ」だった。

それぞれの時代で最強のレーシングカーに近いメカニズムと大排気量・高出力なエンジン、そしてエキゾチックなスタイルとゴージャスなインテリア……を、すべて「オール・イン・ワン」とした超高級グランツーリズモをスーパーカーと定義するならば、ランボルギーニ・ミウラこそ「エキゾチックカー」ないしは「スーパーカー」というジャンルの開祖ともいうべき偉大な一台である。このミウラなくして、1960年代を代表するスーパーカーなどというテーマは成立しないとさえいえよう。

ランボルギーニ・カウンタック
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直線基調でシンプルにデザインされた「カウンタック」のコックピット。メーターナセルには7つのアナログメーターが並んでいる。ステアリングポストは固定式、シートはリクライニング機構のないタイトなバケットタイプになっている。
直線基調でシンプルにデザインされた「カウンタック」のコックピット。メーターナセルには7つのアナログメーターが並んでいる。ステアリングポストは固定式、シートはリクライニング機構のないタイトなバケットタイプになっている。拡大
「ミウラ」が横置きであったのに対して、「カウンタック」は同じV12エンジンを縦置きミドシップしている。写真は同社のレストレーション部門ポロストリコがレストア作業を行ったシャシーナンバー1120001の「LP400プロトティーポ」。量産モデルとはバンパーやテールランプデザインなどが異なっている。
「ミウラ」が横置きであったのに対して、「カウンタック」は同じV12エンジンを縦置きミドシップしている。写真は同社のレストレーション部門ポロストリコがレストア作業を行ったシャシーナンバー1120001の「LP400プロトティーポ」。量産モデルとはバンパーやテールランプデザインなどが異なっている。拡大

1970年代「ランボルギーニ・カウンタック」

1950年代からイタリアのお家芸だった大排気量の高級グランツーリズモを、新たな境地“スーパーカー”へと昇華させたランボルギーニ・ミウラは、1960年代を代表するスーパーカーとして唯一無二の存在ともいえよう。

そして、スーパーカーの分野にもフォロワーやライバルが生まれていた1970年代を代表するモデルといえば、やはりこの時代に日本で吹き荒れた「スーパーカーブーム」の主役である「ランボルギーニ・カウンタック」の名を挙げざるを得ないだろう。

1971年に、まずはコンセプトカーの「LP500」としてショーデビュー。約2年の開発期間を経たのち、市販バージョンの「LP400」として正式リリースされたカウンタックは、そののち度重なる改良が施されながら1990年代まで生産された。

カウンタックは、映画への登場をはじめ、レコードジャケットやポスターなど、1970年代のポップカルチャーでも存在感をみせ、単なる自動車の域を超えた時代のアイコンとなったのだ。

現役時代から宿敵と称され、スペック上の最高速度で世界最速タイトルを競った「フェラーリBB」も、確かにこの時代を代表するにふさわしいマスターピースではある。しかし、1970年代の文化にも影響を与えたカリスマ性なども思えば、やはりカウンタックに軍配が上がると言わねばなるまい。

フェラーリF40
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フェラーリ社の創立40周年を記念して1987年に発表された「フェラーリF40」。フェラーリ本社のある伊マラネッロで行われた発表会には、当時89歳になるエンツォ・フェラーリが出席し、大きな話題となった。
フェラーリ社の創立40周年を記念して1987年に発表された「フェラーリF40」。フェラーリ本社のある伊マラネッロで行われた発表会には、当時89歳になるエンツォ・フェラーリが出席し、大きな話題となった。拡大
シンプルな「F40」のインテリアは、ラグジュアリーの対極に位置する仕上がり。まさにコックピットと表現するのがふさわしいレーシーな雰囲気だ。トランスミッションは5段MTで、フェラーリの伝統ともいえる金属製のシフトゲートが備わっていた。F40をオーダーした顧客はシート合わせと称しマラネッロ本社を訪れることができた。こうした顧客に特別な体験を提供するサービスも、F40が定着させたといわれている。
シンプルな「F40」のインテリアは、ラグジュアリーの対極に位置する仕上がり。まさにコックピットと表現するのがふさわしいレーシーな雰囲気だ。トランスミッションは5段MTで、フェラーリの伝統ともいえる金属製のシフトゲートが備わっていた。F40をオーダーした顧客はシート合わせと称しマラネッロ本社を訪れることができた。こうした顧客に特別な体験を提供するサービスも、F40が定着させたといわれている。拡大

1980年代「フェラーリF40」

近代フェラーリのなかでも最もシンボリックな一台、そしてフェラーリが最新の「ラ・フェラーリ」にも継承したスペチアーレ的要素を初めて盛り込んで企画された「F40」は、同社が創立40周年を迎えた1987年に発表された。すでに最晩年を迎えていた創始者、エンツォ・フェラーリが長らく信奉した「そのままレースに出られる市販車」という基本理念を、自身の生涯の最後に具現したモデルである。

F40は、同社の「GTO」(通称288GTO)に拮抗(きっこう)する高性能を達成した宿敵「ポルシェ959」をしのぐロードカーを目指してエンツォ自らが生産化を指示したともいわれるなど、誕生に関する逸話からしてすでに伝説に満ちていた。

その基本は、GTOのサーキット走行バージョンとして開発された「GTOエヴォルツィオーネ」をベースに、ストラダーレとしてのモディファイを加えたもの。クロモリ鋼製スペースフレームに、カーボンファイバー/ケブラー混成のボディーシェルを特殊な接着剤で組み合わせた車体構成は、つまり1980年代のグループCレーシングスポーツカーをそのままロードカーとしたような成り立ちだった。

同じフェラーリから生み出され、1980年代カルチャーにおいても絶大な存在感を誇った「テスタロッサ」と迷ったあげく、やはり「スペチアーレ(スペシャル)」な世界観を構築したF40を、この時代の代表に選びたい。

マクラーレンF1
マクラーレンF1拡大
F1マシンの設計者ゴードン・マレーが「自動車史上空前絶後のスーパーカー」を目指して手がけたのが「マクラーレンF1」。シャシーには、F1マシンにならって単体重量が180kgと軽量なカーボンモノコックが採用された。
F1マシンの設計者ゴードン・マレーが「自動車史上空前絶後のスーパーカー」を目指して手がけたのが「マクラーレンF1」。シャシーには、F1マシンにならって単体重量が180kgと軽量なカーボンモノコックが採用された。拡大
ドライバーをセンターに着座させ、両サイドにもう2人が乗れる乗車定員3人という個性的なシートポジションが採用された。フォーミュラマシンと同じく、シフトレバーは運転席の右側に配置されている。
ドライバーをセンターに着座させ、両サイドにもう2人が乗れる乗車定員3人という個性的なシートポジションが採用された。フォーミュラマシンと同じく、シフトレバーは運転席の右側に配置されている。拡大
BMW M社が「マクラーレンF1」のために専用開発した最高出力627PSの6.1リッターV12エンジンを、リアミドに縦置きし、カーボン製のトリプルクラッチディスクが採用された6段MTを組み合わせていた。遮熱用として貼られた22Kの金箔(きんぱく)も、エンジンルームでの特徴といえる。
BMW M社が「マクラーレンF1」のために専用開発した最高出力627PSの6.1リッターV12エンジンを、リアミドに縦置きし、カーボン製のトリプルクラッチディスクが採用された6段MTを組み合わせていた。遮熱用として貼られた22Kの金箔(きんぱく)も、エンジンルームでの特徴といえる。拡大

1990年代「マクラーレンF1」

1990年代を迎えると、イタリアのみならず欧州、あるいは日本からもスーパーカーの要素を持ったモデルが登場し始めていた。しかしそうした百花繚乱(りょうらん)のスーパーカー市場において、この時代を代表するだけのカリスマ性を持つスーパーカーといえば、やはり「マクラーレンF1」をおいてほかにあるまい。

このクルマの生みの親は、それまでブラバムやマクラーレンで一時代を築いた超一流のF1マシン設計者、ゴードン・マレー。そんな鬼才が「自動車史上空前絶後のスーパーカー」を目指して手がけたマクラーレンF1は、20世紀の自動車にとってまさにひとつの到達点となった。

車体は、同時代のF1マシンと同じくカーボンモノコックシャシーに、カーボンやケブラー複合素材のボックスセクションなどを組み合わせて構成。「MP4」シリーズで、F1界に初めてカーボンモノコックを導入したパイオニア的存在のマクラーレンとしては、当然の選択だったのだろう。

また、ドライバーをセンターに着座させるという発想も、いかにもフォーミュラマシン的である。センターシートの両サイドにはパッセンジャーシートを後退させて配置。乗車定員3人という個性的なシートポジションは、重量バランスの最適化を図るためだったといわれている。

一方パワーユニットは、BMW M社がこのクルマのために専用開発したバンク角60度のV12 48バルブエンジン。排気量は6.1リッターで、生産バージョンの最高出力は627PSに到達し、当時「世界で最も出力の高いクルマ」として、かのギネスワールドレコーズに認定されたことでも話題となった。

誕生後30年近くを経た現在、時代のアイコンとしての評価は完全に定着したようで、2020年代以降のクラシックカー&コレクターズカー市場では、軒並み10億円(!)以上の価格で取引される事態となってしまったのだが、それもまたカリスマゆえのことと認めざるを得ない。

 
ブガッティ・ヴェイロン16.4
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フォルクスワーゲングループ傘下として1998年に設立された、ブガッティ・オートモービルズの第1弾モデルが「ヴェイロン16.4」だ。最高出力1001PSの8リッターW16クワトロターボエンジンを搭載するフルタイム4WD車で、最高速407km/hの世界記録(当時)を樹立した。
フォルクスワーゲングループ傘下として1998年に設立された、ブガッティ・オートモービルズの第1弾モデルが「ヴェイロン16.4」だ。最高出力1001PSの8リッターW16クワトロターボエンジンを搭載するフルタイム4WD車で、最高速407km/hの世界記録(当時)を樹立した。拡大
「ヴェイロン16.4」のインテリア。使用素材やカラーリングなどは、オーナーの好みで自由にオーダーできたという。エンジンを始動する通常のキーのほかに、リミッターを解除し「トップスピードモード」を機能させるキーが別に用意されているのも、同車のユニークな特徴だった。
「ヴェイロン16.4」のインテリア。使用素材やカラーリングなどは、オーナーの好みで自由にオーダーできたという。エンジンを始動する通常のキーのほかに、リミッターを解除し「トップスピードモード」を機能させるキーが別に用意されているのも、同車のユニークな特徴だった。拡大
「ヴェイロン16.4」のオープントップ仕様として2008年に登場した「グランスポーツ」。ルーフは着脱式のポリカーボネート製で、オープン時の最高速度は360km/hと発表された。
「ヴェイロン16.4」のオープントップ仕様として2008年に登場した「グランスポーツ」。ルーフは着脱式のポリカーボネート製で、オープン時の最高速度は360km/hと発表された。拡大

2000年代「ブガッティ・ヴェイロン16.4」

21世紀最初の10年を代表するスーパーカー。その称号に最もふさわしいクルマといえば、恐らく誰もが「ブガッティ・ヴェイロン16.4」の名を挙げるに違いない。

1999年の東京モーターショーにて参考出品されたのち、6年後の2005年の同じく東京モーターショーにて生産型が正式発表されたヴェイロンは、1939年のル・マン24時間レースにて「ブガッティT57G」を駆って優勝したフランス人レーシングドライバー、ピエール・ヴェイロンの名前に由来する。

ヴェイロンで何より話題を呼んだのは、その恐るべきパフォーマンスだろう。コックピット背後に搭載されるエンジンは、8リッターW16。これに4基のターボチャージャーを装着し、標準モデルでも最高出力1001PS、最大トルク1250N・mというまさに驚異のスーパースペックを誇る。

駆動方式はフルタイム4WD。トランスミッションは7段DSGで、最高速407km/h、0-100km/h加速2.5秒という市販車としては世界最速(デビュー当時)となる、まさに驚異的なスペックを誇っていたのだ。

1000PS超えのパワーに400km/h超えの最高速度。贅(ぜい)を尽くした内外装。そして「ミリオンダラー」超え、日本向けの初期モデルでも2億円近い設定がなされた新車価格など、スーパーカーのさらに上のポジションに位置する「ハイパーカー」の定義を決定づけたのが、このヴェイロンといえるだろう。

(文=武田公実/写真=アウトモビリ・ランボルギーニ、フェラーリ、マクラーレン・オートモーティブ、ブガッティ・オートモービルズ/編集=櫻井健一)

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