車両開発において空力性能はどう扱われているのか?
2025.03.25 あの多田哲哉のクルマQ&A燃費が重要視される今、スポーツカーでなくとも空力性能は意識されるものと想像します。車両開発の現場では、どのようなプロセスで空力特性を決めていくのでしょうか? 箱型のクルマでも空力は意識して開発する? そのあたりをお聞かせください。
空力は、私が車両開発にあたっていた時代を含めて社内でものすごく注目されていて、いろんな技術を開発しては製品に落とし込んでいました。
ただ大前提として、市販車両の空力は、レーシングカーのそれとは違います。F1を筆頭とする速いレーシングカーでは、ダウンフォース=車体を路面に押しつける力をどれだけ発生できるかが勝負だということは、皆さんもご存じかと思います。
一般の市販車でも、ダウンフォースをどんどん増大させれば高速域での安定感が増すというのは間違いありません。その点はレーシングカーと変わらないのですが、それと引き換えに強力なドラッグ(空気抵抗)を生むことにもなります。レースのチーム間で、「ウチのマシンはパワーがないから、ダウンフォースを増やすのに苦労している」「強力なエンジンが手に入れば、もっとダウンフォースを増やせるのになあ」なんて会話が聞かれるのもそれゆえです。
市販車ではなによりも、燃費悪化の要因であるドラッグの発生を避けたい。それを減らすために、近年の量産車のカーデザイナーは“空力的に有利な形状”について日々勉強していて、スタイリングとの両立を考えたうえで、まずクルマ全体の形を決めていきます。
具体的にどうやってクルマの空力性能を高められるかといえば、「上から下に押さえつけるのではなく、少なくとも、車体を浮き上がらせてしまう揚力(リフト)はゼロにしよう」という考えで開発していく。具体的には、おなか(車体の底面)をフラットにしたり、ボディーの上面については車体を押さえつけない程度にダウンフォースを発生させます。次に、走行中のクルマをより安定させるために、左右からボディー側面に手を添えてあげる感じで車体を押さえるようにする。それが、ひとつの流れです。
「ドラッグを減らす」というと、車体が流線形でフロントウィンドウが傾斜しているデザインこそが空気抵抗を抑える形なのだろうと思われるかもしれませんが、意外なことに、そうでもありません。
ポイントはクルマの後ろ側で、車体のまわりを通った空気をいかにスムーズにクルマから離れていくようにできるかが重要です。実際、風洞実験をしてみると、クルマの空力性能を低下させ走りを阻害する“空気の渦”が車体の後ろ側にたくさん発生するのがわかります。じつは「空気がクルマのボディーから離れていくときの抵抗」というのが一番問題で、まさに「進もうとするクルマを後ろから引っ張る」というかたちになっている。それをいかに解消できるかがポイントなんです。
そのためにトヨタで生まれたのが“さかなフィン”といわれるアイテム「エアロスタビライジングフィン」でした。サイドミラーの内側とか、リアコンビランプの横などに、魚の形をした細長い突起みたいなのが、けっこう多くのトヨタ車に付いていますよね。「86」なんかは車体の下側にまでそういう突起を付けて、空気がボディーから離れるポイントで渦をつくって、空気の剥離(はくり)がうまくいくようにしたりしていました。
なんでこんなパーツが生まれたかというと、水中を物体が移動する際にも同様の渦ができるのですが、「魚はこの渦を最もうまく体から剥離できる形状になっている」とする論文がたくさんあって、風洞実験を含めいろんな形状を試してみたところ、確かにコレだ! と納得するに至ったわけです。当初はオプション販売していましたが、今や当たり前のパーツになってしまいましたね。形状は違えど、他の自動車メーカーも同じ思想で似たようなことをやっています。
一般的な量産車開発において、今のように空力性能が大いに意識されるようになったのは、まさに86が出たころからだろうと思います。自分も社内に眠っている技術を探っているうちに、このフィンのほか、クルマの帯電状態を改善し空力性能や操縦安定性を向上させるアルミテープをかたちにしたりしました。
今や空力自体は車両開発において非常にプライオリティーの高いものであり、そもそものクルマの形を決める段階で、大きな意味での空力性能を意識しながらデザインしています。「まずデザインありきで、あとから“さかなフィン”みたいは追加パーツを使って工夫する」というプロセスは、今の時代にはないでしょう。
ミニバンや角張ったタフ系SUVでも、その点は変わりません。どうにも変えようのない基本の形を前提としたうえで、それは崩さない範囲で、同じように取り組んでいる。ワンボックスカーなどで空力性能を高めるというのは、物理的な制約もあってなかなか難しいですが、ミニバンだって、ひとむかし前のモデルに比べれば、空力性能ははるかに上がっているはずですよ。
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多田 哲哉
1957年生まれの自動車エンジニア。大学卒業後、コンピューターシステム開発のベンチャー企業を立ち上げた後、トヨタ自動車に入社(1987年)。ABSやWRカーのシャシー制御システム開発を経て、「bB」「パッソ」「ラクティス」の初代モデルなどを開発した。2011年には製品企画本部ZRチーフエンジニアに就任。富士重工業(現スバル)との共同開発でFRスポーツカー「86」を、BMWとの共同開発で「GRスープラ」を世に送り出した。トヨタ社内で最高ランクの運転資格を持つなど、ドライビングの腕前でも知られる。2021年1月に退職。