スポーツカーの駆動方式はFRがベスト? FFや4WDではダメなのか?
2025.09.09 あの多田哲哉のクルマQ&Aクルマ好きの友人・知人は皆、スポーツカーの話となると「やっぱりFR車に限る」などと語ります。その決め手は何でしょうか? どうしてFFや4WDでは満足感が得られないと思うのか、理由が知りたいです。
これはなかなか、理屈で説明するのは難しい(苦笑)。何を隠そう、私自身が世にいう“FRオタク”です。トヨタ在籍中の「86」の開発に際しても、初期の企画段階で「駆動方式はFRしかありえない!」と言い続けて、今回のような質問(なんでFFや4WDじゃダメなのか?)を、トヨタ社内のみならずパートナーであるスバル側からも雨あられと浴びせられました。
当時はまあ、あれやこれやと説明はしたのですが、最後に行き着いた“答え”は、「FRが最も人間に近いから」というものでした。
ヒトは、両手でいろいろなものをつかみ、その腕で姿勢のバランスをとる一方、足で地面を蹴って歩いたり走ったりしますよね? FRというのはまさにそれなんだと。前のタイヤで行きたい方向に舵を切り、後輪で道路を蹴って走る。だから、人間本来の感覚に近くて望ましいものであると主張したのです。
「FFというのはその点、手を地面について逆立ちしているのと同じ。そんなの自然じゃないでしょ? 4WD? それは動物がよつんばいで走っているようなもの。だから、われわれに最もしっくりくるのはFRなんですよ! 」などと、周りをけむに巻いて、無理やりFR案を通した記憶があります。
……と、ここまでは半ば笑い話ですが、クルマの発展の歴史をみると、FRという駆動方式が広く支持されたのには、それなりの理由があります。
自動車のメカニズムで最も複雑なのは、エンジンとハンドリングにかかわる部分。だから、それらが同じ場所にあるというのは設計上好ましくないのです。
そのため、まずは、前にエンジンを積み後輪を駆動する(FR)、あるいは後ろにエンジンを積んで後輪を駆動する(RR)という形式が出てきました。なかでもRRは、ドライブシャフトがないぶんつくりやすいので、自動車の黎明(れいめい)期には多く見られました。
でも、技術が未発達な時代では、RRには「走行中にひとたびリアが滑り始めると、なかなかコントロールできなくなる」という難点がありました。リアに重量物を集中すると、トラクションをかけやすいなどのメリットはあるものの、制御不能に陥ってしまう危険性があったわけです。
その点、FRはしっかり舵が切れて、加速するときは自然にリアに荷重が移ってくれる。技術的に未成熟な時代でも、比較的、安定して走らせることが可能でした。それでなんとなく世界中でFR車が進化し定着していったというのが、実際のところです。
そうしたなかで、クルマ好きが今でも「FRがベスト」と言い続けているのは、いわゆる“ドリフト走行”と深く結びついてのことです。
FRだと、ドリフト走行における最初の舵の利きがすごくいい。つまり、ドリフト状態に入るきっかけをつくるのにとても向いていて、かつリアが重くはないため、滑り出しがよくわかる。ドリフト走行の最初の壁は、滑り始めのきっかけを自由自在につくれるかどうか。自分の思いどおりのタイミングでリアを流せることが重要なのです。
それがしやすいため、FRは世のクルマ好き、運転好きから支持されているという面があります。RRでは難しいのです。
4WDはどうかというと、昔は緻密な駆動力配分ができなかったものですから、クルマを思いどおりに滑らせることは非常に困難でした。が、それはあくまで“昔の話”で、今はそんなことはありません。前後の駆動力配分は自由自在だし、まさにクルマを滑らせるきっかけを与えるときだけFRにすることも可能です。技術的にいくらでも変更できるので、構造的に「FRじゃないとダメ」なんてことはありません。
FRうんぬんは今や、「電子制御はイヤだ」という話の延長で残っているだけです。「FRでないと運転が楽しくない」などということは、実際問題ではなく、単なるイメージなんだと思いますね。先に述べたとおり、今の4WDはいろんなことができるように進化しているのですから。でも、それがまたFRオタクからすると気に食わない。容易にドリフトできるようにクルマ側がお膳立てしてくれるなんて邪道だ! ということになるわけです(笑)。
FRがもたらす不安定な状況を自在にコントロールできると、運転がうまくなったという満足感が得られるのは確かです。とはいえ、そこに価値を見いだせない人にとっては、理解し難い話かもしれませんね。

多田 哲哉
1957年生まれの自動車エンジニア。大学卒業後、コンピューターシステム開発のベンチャー企業を立ち上げた後、トヨタ自動車に入社(1987年)。ABSやWRカーのシャシー制御システム開発を経て、「bB」「パッソ」「ラクティス」の初代モデルなどを開発した。2011年には製品企画本部ZRチーフエンジニアに就任。富士重工業(現スバル)との共同開発でFRスポーツカー「86」を、BMWとの共同開発で「GRスープラ」を世に送り出した。トヨタ社内で最高ランクの運転資格を持つなど、ドライビングの腕前でも知られる。2021年1月に退職。