日産スカイラインフェスティバル2010 開催
2010.07.12 自動車ニュースサーキットで硬派な同窓会 〜「日産スカイラインフェスティバル2010」開催
2010年7月11日、静岡県小山町の富士スピードウェイで「日産スカイラインフェスティバル2010」が開かれた。
■走りざんまいのイベント
1957年に誕生した「スカイライン」は、それより2年早い55年に登場した「クラウン」に次いで、日本で2番目に古い歴史をもつ乗用車の銘柄(ブランド)だ。そして、日本車には珍しくブランドが確立されているという点でも、クラウンと双璧である。
しかも、1964年に開かれた「第2回日本グランプリ」におけるポルシェとの激闘に始まるレースでの活躍によって築かれた「伝説」あるいは「神話」は、いまや揺らぎようがない。
「信者」と呼べるほどの熱烈な愛好家が存在するという点においては、スカイラインは日本車では他の追随を許さないだろう。
そんなスカイラインを愛してやまない男(と女)たちが一堂に集うイベントである「日産スカイラインフェスティバル2010」が、富士スピードウェイで開かれた。
主催者によれば「新旧スカイラインオーナー&ファンの大同窓会」であるだけに、対象となるのは初代「ALSI」から12代目現行「V36」までのスカイラインの歴代全モデルと、スカイラインの名は外れたものの、その血統を受け継ぐ現行「R35GT-R」。残念ながら初代のエントリーはなかったものの、2代目から現行までの約400台が全国から集まった。
レースで鍛えられた硬派のクルマであるスカイラインの、しかもサーキットイベントとあって、プログラムは当然ながら走りが中心。家族や仲間を乗せ、ペースカーが先導してのファミリー走行から、ヘルメット着用が義務づけられたスポーツ走行、そしてスペシャルイベントとして行われたプロドライバーによるデモラン、締めくくりのエントリー全車両によるパレード走行まで、一日中走りざんまい。参加したからにはパドックに止めておくだけではなく、メインコースを走ってこそ楽しめるといった内容だった。
前述したスペシャルイベントの主役は、往年の日産ワークスのスタードライバーである黒澤元治氏と星野一義氏。現在は自動車評論家として知られる「ガンさん」こと黒澤氏は、1960年代半ばから70年代初頭にかけて日産ワークスで活躍、6リッターV12を積んだモンスターであるプロトタイプスポーツの「R382」による「69年日本グランプリ」制覇を筆頭に、輝かしい戦績を残している。いっぽう現在は「チームインパル」の監督を務める星野氏は、1960年代末に二輪のモトクロスから四輪レースに転向。日産チームの2軍から叩き上げ、「日本一速い男」の称号を手に入れてからもつい最近まで日産の顔として活躍した。
黒澤氏は、ファンの間では「KPGC10」の型式名で呼ばれる「スカイライン・ハードトップ2000GT-R」のレーシング仕様をドライブした。「KPGC10」は、69年から72年にかけて通算50勝以上を挙げた、スカイライン伝説のもっとも重要な担い手と言っても過言ではないマシンである。
残念ながらワークスカーは1台も残されていないので、黒澤氏がステアリングを握ったのは、当時のプライベーターが駆っていたマシンをレストアしたものだ。とはいうものの残存が確認されている、実際にレースを戦ったマシンはこれ1台きりであり、なおかつ50数勝のうち2勝を挙げたヒストリーを持つ超希少な存在である。
星野氏は、「ニスモフェスティバル」などでもすっかりおなじみの、グループA時代の覇者である「カルソニック」ブルーに塗られた「R32GT-R」のレーシングを駆った。しかも同時代にグループAを戦った「フォード・シエラRS500」や「BMW M3」と模擬レースのごとく混走するという、ファンにはたまらない演出つきだった。
この日の富士スピードウェイは、朝からどんよりとした雲に覆われ、いつ雨が降り出してもおかしくない状況だった。梅雨時の開催とあって覚悟はしていたのだが、ときおりパラパラッとはくるものの、なんとか持ちこたえていた。ところが最後のスポーツ走行が終わるとほぼ同時に、こらえきれなかったように本降りとなり、フィナーレの全車によるパレードランの開始直前には、ゲリラ豪雨のような状態になってしまった。たちまちメインコースは水浸しとなり、視界も利かなくなってしまったことから危険と判断され、当初は2周の予定だったパレードは1周に減り、メインストレートを通過しないで終わってしまった。
あと30分、いや15分もってくれれば、グランドスタンド前を通り過ぎる400台のスカイラインが眺められたのに……それだけがちょっぴり心残りだった。
(文と写真=田沼 哲)
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