名勝負と茶番、2強の頂上対決【F1 08 総集編(前編)】
2008.12.22 自動車ニュース【F1 08 総集編(前編)】名勝負と茶番、2強の頂上対決
最終戦までもつれたタイトル争いの末、1点差でルイス・ハミルトンが最年少ワールドチャンピオンに輝いた2008年F1世界選手権。7人ものウィナーが5チームから生まれ、うち3人は初勝利に歓喜し、下位2チーム以外すべてがポディウムにのぼるなど、激戦となった1年を振り返る。まずは頂上を争った2強の戦いぶりについて。
■数々のハイ&ロー──ルイス・ハミルトン
18戦して勝者が7人──戦いの激しさと、ポイントが分散したことを示唆するデータである。
デビュー2年目の23歳で初の栄冠を手にしたハミルトンは、5勝し合計98点を獲得。チャンピオンが100点を下回ったのは5年ぶりのこと。1戦あたりの平均ポイント数は5.4点と、かなりのロースコアであった。これを激戦の証左としてもいいが、ハミルトンが取りこぼしたポイントの多さともいえる。
開幕戦オーストラリアでこそ快勝したものの、第3戦バーレーンではスタート失敗、その後前車(宿敵フェルナンド・アロンソ)に接触し13位でゴール。そして第7戦カナダではシーズン最大のミスをおかす。ポールポジションからトップを快走、セーフティカーラン中のピットレーン出口で赤信号に気づかずキミ・ライコネンに追突し、ライバルを道連れにリタイアをきっした。
そのペナルティで、翌戦フランスは予選10グリッド降格。追い上げをはかっていた最中にシケイン不通過でさらなる制裁を受け結局10位でレースを終える。第14戦イタリアでは雨の予選でタイヤ選択を誤り、決勝では7位2点を獲得したのみ。第16戦日本ではスタート直後に混乱をおこし、フェリッペ・マッサとの接触で重要なレースを落とし12位無得点だった。
これら不用意にポイントを失ういっぽうで、王者の名に相応しい名勝負も繰り広げた。第9戦イギリスでは、悪天候のなか後続に1分以上もの差をつけ優勝、故郷に錦を飾った。1993年ドニントンでのアイルトン・セナ圧勝に引けを取らない、歴史に残る雨の名レースだった。
続くドイツではチームの作戦ミスをカバーする圧勝。第13戦ベルギーではライコネンと丁々発止とやりあい、シケイン不通過のペナルティでレース後勝利を奪われたものの、シーズンのベストレースを演じた。そして残り2戦となった中国では予選、決勝とも完璧に仕上げタイトルに王手をかけた。
ミスも多かったがリタイアはカナダでの1戦のみで、ポディウムはフェリッペ・マッサと並ぶ最多10回を数えた。
この1年、数々の“ハイ”とともに“ロー”も経験してきたハミルトン。最終戦の最終周、最終コーナーまで息詰まる戦いを演じたこのエキサイティングなドライバーのキャリアは、まだはじまったばかりである。時折見せるチャンピオンらしからぬ失態が、GP2年目ゆえの経験のなさか、あるいはドライバーとしての生来の性分からなのかはまだ判断がつかないが、GPに名を残す逸材であることはたしかであろう。
■散見されたチームの隙──フェリッペ・マッサ
最終戦ブラジルGPを制したマッサ。目前に迫ったタイトルがその手からこぼれ落ちた男の悔しさと、ここまでやり遂げたという誇りをないまぜにした表情が印象的だった。
マッサにとって2008年は、「チャンピオンの器ではない」というこれまでの彼への批評を覆すことができた年だった。誰よりも多い6勝をあげ、不調に喘ぐ2007年チャンピオン、チームメイトのキミ・ライコネンを抜き、チームで実質ナンバー1の地位を築くことができた。
ではマッサにとって文句なしのシーズンであったかといえば、そうもいえない。第2戦マレーシアでは2位走行中にスピンしリタイア、1−2フィニッシュの機会を逃した。そして雨のイギリスでは5回もスピンを繰り返しポイント圏外でゴールするなど、彼自身の資質にかかわるミスがあった。だがそれにもまして、フェラーリによるチームとしての隙が随所に散見されたことは、今年の象徴的な出来事だった。
第6戦モナコでのタイヤ選択の誤り(結果マッサ3位)、翌カナダでの給油リグのトラブル(同5位)、第11戦ハンガリーでのトップ走行中のエンジンブロー(同17位)、第15戦シンガポールでは首位快走中にピットシグナルの誤作動で給油ホースをつけたままピットレーンを走行(同13位)と、以前の常勝フェラーリからは想像もつかないような体たらくだ。
ジャン・トッドが去り、ステファノ・ドミニカリがチームを率いた1年目。最多8勝と8つのポールポジション、通算16回目のコンストラクターズタイトルを手中に収め、1点差でドライバーズタイトルを逃したことは、むしろ称賛に値するかもしれない。しかしハミルトンが取りこぼしたポイントを、自らのミスでみすみす取り逃したレースも多く、これがロースコアによる激戦の一因となった。新体制2年目への課題がそこにある。
■それぞれのチームメイトの不調
ハミルトン対マッサの攻防の影には、それぞれのチームメイトの不調があり、そしてその苦戦の背景には、マシン特性との不一致という共通の問題があった。
ルノーからマクラーレンに移籍してきたGP2年目のヘイキ・コバライネンは、マレーシアでの第2戦で早々に3位表彰台を獲得するも、その後は伸び悩み、ハンガリーではハミルトン、マッサらの脱落に助けられ優勝できたが、結局ポディウムは3回、53点でドライバーズチャンピオンシップ7位と安定感に欠く低調なシーズンを終えた。
マクラーレン「MP4-23」はオーバーステア傾向にあり、これがコバライネンよりハミルトンの好みと合致した。チーム自体がハミルトンを中心に形成されつつあるいま、これからの身の振り方次第では、コバライネン“ナンバー2”固定化が進んでしまうかもしれない。かつてミカ・ハッキネンのよきサポーターとしてデイヴィッド・クルタードが仕えたように……。
2007年チャンピオン、ライコネンのスランプは、時として引退すら囁かれるほどGP界の大きな話題となった。
今年のフェラーリ「F2008」は、マクラーレンと対照的にアンダーステアの強いマシンだった。この特性に難なくあわせられたのがマッサなら、特に予選で苦労したのがライコネン。短い予選アタック中にフロントタイヤを適温までもっていくことに難儀したライコネンはグリッド下位に沈むことが多く、決勝では前後のマシンと格闘し、なかなか上位につくことが難しかった。
だが、レースで状況が変われば目覚ましいペースで周回を重ねることができ、現にファステストラップは最多10回を記録。またスパでのハミルトンとの鍔迫り合いを見ても、腕が鈍ったとかやる気を失ったという噂を信じることはできない。
レギュレーションが大きく変わる2009年、“アイスマン”の復活こそがチャンピオンシップをさらに盛り上げることになるだろう。
(文=bg)
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